昨日の中日新聞のコラム『中日春秋』に、「罪を憎んで人を憎まず」が載っていた。人を裁くことの基本なんだろうけれど、被害者にとって加害者は殺したいほど憎いだろう。5年前だったか、池袋の暴走事故で妻と娘を殺された事件があった。運転していた80代の男性は当初、「車の不具合」と主張していたが、ブレーキとアクセルの踏み間違いによるものだった。
被害者の夫は、交通事故防止を呼び掛けた。加害者の男性は、高齢のため獄中で亡くなった。それを聞いた男性は、「複雑な心境」と語っていた。今度はその男性に、「そんなに苦しいなら、殺してあげよっか」というメールが届いた。メールの差出人は中学3年生の女の子だった。「内に問題を抱えていて、相談する相手が欲しかった」らしい。
文面から、友だちに送るメールのように見える。でも、受け取った人がどう思うかまでは全く考えていない。SNSの顔が見えない者同士の、やり取りの怖さがある。それにしても、どうしてこうも短絡的かと思うが、これが現代教育のひつとの典型かも知れない。
嫌な事件が多い中、ホッとする判決もあった。大阪で2歳の女の子の死亡が、1審では「暴行を加えられるのは被告しかない」という理由で、懲役12年が言い渡された。被告は女の子の父親だが、母親の再婚相手である。被告は娘をとても可愛がっていたが、状況から揺さぶられ症候による死亡と判断された。
被告は裁判で、無罪を主張したが受け入れてもらえなかった。警察や検察は、ドラマでもあるように事件が起きれば、犯人を見つけなければならない。女の子が連れ子であったからというだけで犯人扱いは惨い。今日の高裁では無罪が下された。被告の男性は、「無罪の判決ですが、わたしは無実です」と述べていた。
無罪の人を有罪にしてしまう「冤罪」があってはならない。けれども人が人を裁くのだから、絶対は無い。事件が起きないことが一番大切だが、事件の解決には「慎重に、慎重を重ねて」取り組んで欲しい。中3の女の子の人生が狂わないようにと願うばかりだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます