友々素敵

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長く続くものはない

2011年11月25日 18時17分59秒 | Weblog

 名演の正式名は名古屋演劇鑑賞会。1954年に名古屋演劇同好会として発足し、労働運動の盛り上がりから名古屋勤労者演劇協議会となり、75年から現在の名称となった。私が高校の教員となったのは67年で、労演と呼ばれていたように思う。高校生の中に、労演のお手伝いをしている子がいたし、先生の中にも演劇好きな人がいて、時々観に行った覚えがある。宇野重吉や杉村春子が出演していた。生徒の中にも演劇にあこがれる子はいたけれど、黒テントや唐十郎の状況劇場、寺山修司の天井桟敷などのアングラ演劇に人気があった。私もいわゆる正統派の新劇よりもこうした前衛演劇の方に興味があった。

 

 しばらく縁がなかったけれど、この町で地域新聞を発行するようになり、演劇をやっている女性グループに頼まれて、『野麦峠』公演のお手伝いをしたことから演劇とかかわりが生まれ、名演の会員になった。名演の演劇が好きで、この運動を消してはならないという使命感はなく、いわば義理で付き合っている。正直に言えば、誘ってくれた方が止めれば私もやめるつもりだ。毎月2600円で、年間6回から7回の演劇が見られるのは安いと言えばそのとおりだろう。でも、観てよかったと思えなければ高い会費である。どこでどんな演劇が行われているのか、知る術がないのだから、まあいいかと思っている。

 

 これが映画のように、作品を紹介する冊子や新聞があれば、自分が本当に観たいものを選ぶことができるが、悲しいことに演劇はそのような情報を提供するものがない。名古屋市内には各区に演劇を観るにはちょうどよい座席数の小劇場なるものがある。愛知県内にどれほどの演劇団体があるか知らないが、発表の場としては多い方ではないだろうか。わが市のホールもそうだけれど、各市のホールはどういうわけか競って1千人前後のものが多い。1千人以上入れないとNHKの「のど自慢大会」を誘致できないと聞いたことがある。でも、演劇は3百人からせいぜい5百人までが一番いい。

 

 名古屋の老舗、御園座が営業不振だと聞いた。歌舞伎を中心に開催してきたけれど、最近では演歌歌手のワンマンショーも行っていたが、それでもお客を確保できなくなってきたのだろう。昔なら、農協とか呉服組合とか郵便局とか、大勢を動員できる組織が元気だったけれど、これまで御園座を支えていた団体が力を失ってきたのだ。歌舞伎のA席などはめちゃくちゃに高い。高すぎる。これではお客を失うだろう。芸能といえば、昔は最下位の職業だった。それが日本の伝統などとちょっといい気になりすぎたのではないだろうか。

 

 名演は生まれて57年になる。先日の鑑賞会でも、私くらいの年齢の人ばかりだ。20代30代で会員となった人たちがそのまま今日に至っているのだろう。同好の士がお金を出し合って、支えていくシステムは大事だと思うけれど、それがいつまでも続くということはないのだ。どういう形になっていくのか私には分からないが、限界に来ていることは確かだ。それは11月例会の『妻と社長と九ちゃん』が物語っている。舞台では古いものを否定しないという主張だったけれど、これからをどうしていくのかということだった。

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