昨夜は地域新聞にかかわった人に集まってもらい、話に花が咲いた。新聞の発行を思い立った私は、大手の広告会社に勤める次女の友だちのお母さんに助けを求め、出産したばかりの産院へ押しかけて行った。
彼女のOKが無ければ、地域新聞は成り立たなかっただろう。1面の下、『天声人語』の部分に当たるコラム『パントマイム』を毎号書いてもらった。おかげで、「必ずここだけは読む」というファン層が出来ていった。
そして最後のページの、街で活躍する女性を紹介する『奥さんこんにちは』も担当してもらった。写真は私が撮り、彼女は取材して記事にするのだが、生まれたばかりの赤子が一緒だから、夫婦に間違えられた二人三脚だった。
そんな初期の頃の話をし、その後34年間、新聞を発行し続けてくれた編集長への感謝を伝えた。新聞に『本』の紹介を書いてくれた友だちは車イス生活だったが、「歩ける」と聞き、会場は彼の家のすぐそばの焼き鳥店に決めた。
歩けるようになったとはいえ、杖とカミさんの介護が必要だった。長い時間をかけて店に辿り着いてくれたが、席に着く直前に転んでしまい、額に瘤が出来た。彼の家は3階建てで、その3階が夫婦の部屋になっている。無事に着いたのだろうかと心配したが、「いつも通りの朝を迎えている」と返信が来てホッとした。
昨日の様子を、最後に編集長を務めてくれた彼女が、ブログ『ネグmamaと息子』に書いていた。「皆さんの馴れ初めだったり 若い時の話だったり とりとめもなく ワイワイ楽しく話して 気づけば3時間弱」「思い出話にも花は咲いた 懐かしい顔 懐かしい話 こうやってまた 時間が過ぎていくのか」
彼女は新聞が廃刊となったことに責任を感じているようだったが、むしろ感謝の気持ちからの宴会だった。みんなに支えられての新聞だったので、支払いは私がするつもりだったのに、「それはダメだ」と言われ、平等に分担してもらった。
楽しい集まりだった。みんな無事に家に着いただろうか、それだけが心配だったが、彼女のブログやみんなからのメールで安堵した。それにしても、なんとまあ私は、友だちに恵まれた、幸せ者だろう。心から ありがとう。
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