初夏というより真夏のような一日、午前中しか作業が出来ないので、ルーフバルコニーに出て、掃除や水遣りの世話をする。小学校の運動場では体力測定が行われている。「ピー」と笛が鳴ると先生が、「休憩します。樹の下に入って」と校庭の南の樹木を指さす。子どもたちは一斉に、「ワアー」と声を上げて走り出した。
みんなが一斉に同じ行動をする集団教育は、まだまだ健在だ。集団で何かを成し遂げることは大事な教育だと思う。教師としては、個々の子どもたちの違いを認め、その個性を尊重することだろう。ともすると、教師に忠実な子どもはひいきにし、反抗的な子はのけ者にされてしまう。教師は意外に、自分のえこひいきに気が付かない。
子どもの数が減ってきて、どこの地域も「子どもに優しい街」とか「子どもを増やす街づくり」を掲げている。若い夫婦が移り住んでくれる政策が重要になっているが、全体の数は変わらないから、要は引き抜き合いをしている訳だ。「私たちの街」が良くなれば、過疎の街が生まれてしまう。
「異次元の子育て支援」は何なのか、さっぱり分からない。1つの手当てをしても、全てがうまくはいかない。人口が減るのは仕方ない。現状に踏まえて、困っている人に手を差し伸べるしかない。どんなに商品を売って儲けても、買う人が少なくなれば儲けは少なくなる。相互扶助で生きていくしかない。
子どもたちにいろんなタイプがあるように、大人はさらに幅広い価値観や美意識が存在する。他人を非難することも、自分を卑下することも、くだらないことだ。花たちが美しいのは虫に受粉を手助けさせるためだ。花の咲かない植物は、どうやって子孫を増やしていくのだろう。槙野万太郎さんに訊いてみたい。
胞子で増えるキノコ類、苔、シダ類…