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政党議員は縦社会

2010年08月18日 22時21分25秒 | Weblog
 名古屋市の河村市長の支援団体が17日、市議会の解散請求書を市選挙管理委員会へ提出した。これで正式にリコール運動が始まった。議会を開かず、先決で行なう九州の鹿児島県阿久根市の市長に対して、リコール運動が始まっている。阿久根市は人口が少ないからリコールは成立するだろうけれど、名古屋市はリコール署名が集まりきれるかと心配されている。

 ちなみに私たちの「無党派・市民派 自治体議員と市民のネットワーク」は8月21日に、河村市長を招いて、地方議員の議員年金廃止にむけて集会を、名古屋駅前の愛知県産業労働センターで開催する。地方議員の議員年金に公金を投入して維持しようというのを断固として阻止したいからだ。河村市長は国会議員の議員年金について廃止の立場であったから、ぜひ話を聞こうというものであったけれど、リコールの話にずれていかないかと心配だ。

 名古屋市の市議会議員には高い報酬に加えて、毎月50万円もの政務調査費が支給されている。私の知っている市議会議員はこの政務調査費は多すぎると言い、「どのように使っているのか、疑問だ」とも話していた。市議会を「市会」と呼ぶように、地方議員でありながら国会並みの意識なのに、それにふさわしい政策論議がされているのかと疑問に思う。地方議会にあって、政党の役割とは何かと考えさせられるが、河村市長もよく言うように、どうして「党議拘束」しなくてはならないか私には理解できない。

 地方議会では、政党色を色濃く出してまで議論することは稀だ。旧自治省から鳥取知事になった片山義博さんが、自民や民主などの政党の要請や推薦を受けて知事選に立候補した時、選挙準備や公約作りなどで、政党の組織的な手伝いはなかったと話していた。政策が一番大事だと言いながら、実際は選挙に勝って自分たちに都合よく働いてくれればいいのだ。それは、知事選だけでなく、地方のあらゆる選挙が同じ構造だと思う。

 政党にとっては、どのような国を作っていくのかと同様にどのような地方を作っていくのか、そのビジョンを示してこそ有権者の支持が得られるはずだ。ところが現実は、どのような人のつながりを作っていくのか、に重点が置かれている。つまり、選挙で勝つことが最大の課題なのだ。だから、市町村の議員や県議会議員は自分の選挙のために、国会議員を利用しようとするし、国会議員もこうした地方議員は大切な集票マシーンである。もたれあいと同時にピラミッド型の縦社会が政党議員にはできていく。

 どれだけ自分のために働いてくれたか、つまりは票集めに役立ってくれたかが、政党議員の信頼関係の基準だ。思想や信条といったものとはかけ離れた、利害だけで結びついた政治家の集団が現在の日本の政党ではないだろうか。ここから、国会議員も地方議員も同等のひとりの政治家として議論し合える政党に脱皮できなければ、日本の政党政治は廃れていくだろう。これからどうなっていくのか、不安もあるが同時に楽しみでもある。

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