NHKの朝の連続ドラマ『わろてんか』は笑えるような面白さはない。主人公の女優は可愛いが相手役や脇役が、私の好みでないからかも知れない。ここでも高橋一生さんが使われているが、この俳優はもっと暗くて裏表のある役の方がいいと勝手に思っている。初めて高橋さんをドラマで見た時は、味のある俳優がなんて薄気味悪い男かと思った。
『わろてんか』の中で一番印象に残っているのは、兄弟弟子の落語家が演じた百人一首、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)であった。落語の題「崇徳院」は知らなかったが、崇徳院が悲劇の人であることは、どこかで聞いたことがある。子どもの頃に国語の教師だった父からか、こういう話が好きな母からか、それとも高校の授業だったのか定かでない。
ドラマの方は破天荒の落語家が得意とする「瀬を早み」だったのに、全く情感のないヘタな落語だった。川幅が狭いところは流れが速く、岩によって割かれてしまうけれど、別れてもいつか逢おうと思うと切ない恋を詠っている。けれど、作者の崇徳院の生涯を聞いた時、恋歌を装っている歌かも知れないと思った。今はこんなふうに割かれているが、いつか必ずの思いが込められている気がした。
崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子だったが、幼少の時から父親に嫌われ、皇位に就いたのに父親によって異母弟に譲位させられ、保元の乱を起こすが敗れてしまう。崇徳院の父親は鳥羽天皇の祖父の白河法皇と言われている。崇徳院の母親は鳥羽天皇に嫁ぐ前から白河法皇の愛人だったという訳だ。平安時代の貴族はかなり自由に恋していたようだ。現代人よりも情欲が深かったと思うのは間違いだろうか。
それでも私は恋歌の方が切実感があって好きです。「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」。
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