友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

責任を取る勇気

2010年06月23日 21時29分12秒 | Weblog
 広島の自動車工場で11人が車にはねられ、内一人が死亡した。現場にはブレーキ痕が無かったと新聞は報じている。殺人未遂などの現行犯逮捕された男は車内に包丁を持ち込んでおり、秋葉原の無差別殺人事件を連想させる。男はテレビカメラに向かって顔を隠す様子も無かった。誰かに似ている。男の両親が記者のインタビューを受けていた。「おとなしい子」「気遣いのできる優しい子」と両親は語っていた。

 犯人の親ならば仕方ないのかも知れないが、どうしてこんな風にさらし者にされなければいけないのだろう。記者は親のしつけとか教育に原因があると思っているのだろうか。42歳にもなっている大人の犯行の原因を親に求められたのではたまらない。たまらないといえば、浜名湖で水死した中学生の両親も別の意味で、やりきれない思いと腸の煮えくり返る思いでいっぱいであっただろう。

 亡くなった女の子の父親は葬儀で、「いつも笑顔を絶やさない子でしたので、笑顔で送ってやってください」と述べていた。学校が行なった保護者への説明会では、「なぜ、訓練を強行したのか」「どうして誰も止めようと言わなかったか」といった質問が相次いでいた。実行することよりも中止することは難しいことはよくわかるが、やはり一番上の立場にある人はその責任を負わなくてはならないだろう。

 私もいくつかの疑問を持った。ボートにはインストラクターが乗り込んでいるが、転覆したボートには乗り込んでいない。そのわかりに先生が2人乗っているが、女性教師と若い男性教師である。ベテランなの?そうは思えなかったのは、転覆したボートの内側に女性教師と生徒が何人か取り残されたとあるから、若い男性教師はボートの外側に他の生徒といたのだろう。どういう順番で救助していったのか定かではないけれど、まだ生徒が救助されないうちにこの男性教師は迎えのボートに乗り込んでいる。

 普通の教師なら、まず救命ボートに乗り込まない。最後まで現場に残って生徒の安否を確かめる。ボート内に閉じ込められた女教師も大変な状況だったことは分かるけれど、「何人いる?」と確かめるのが普通だろう。空気が薄くなって脱出した時も、「みんなで一緒に出るよ」と声をかけたのだろうか。そういうことができなかったほど、混乱していたのだろうけれど、自分の命よりも預かっている生徒の命を大事にして欲しかった。それが教師の務めだと思う。

 菅直人首相も、なぜ消費税を上げなくてはならないか、全く説明していない。亡くなった女の子の中学校の校長も「申し訳ない」と言うばかりで、全ての責任が自分にあると言い切っていない。ああだったら、こうだったら、そんなことは聞きたくも無い。「こうします。ああします」と言われても、なぜそうするのか、全く明らかではない。どうしてこうも人は他人のせいにしてしまうのだろう。責任を取る勇気がなぜこんなに欠けてきたのだろう。
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