トルコの地震を心配した先輩が、「おたくのマンションは地震は大丈夫かね?」と電話をくれた。地震についてはいつも話題になる。先日の臨時総会でも議題になった。私は建設した清水建設が震度5に耐えられると保障した建物であり、専門家の調査でも「耐震補強工事は必要ない」と見解だったことを話す。
マンションには自治会の下に「防災委員会」が組織され、必要な備品を備蓄している。私たちが掘った井戸が2基あり、いざと言う時は簡易便器に水を流せる。市内の各町内の倉庫にも、地震に備えた器具や備品があるのだが、新旧役員の伝達がうまくいっていないところもある。
年に1度は地震に備えて、器具や備品を取り出して、使い方などの訓練をして欲しいと思うが、地区の役員のなり手が無い現状では、訓練はさらに荷が重いようだ。働く世代は忙しいし、退職した世代は足腰が弱くなっている。後期高齢者は動員対象から外して欲しいと思うけれど、そうばっかり言っていられない。
日本人は昔、「講」という隣り同士で助け合う相互扶助があった。相互監視の役割も担っていたから、いいことばかりではないが、助けられたことは多かっただろう。農業が中心だったから、水を引いたり耕したり収穫したり、農作業は共同で行う方が効率的だったのだろう。
けれど、工場ができ労働者が生まれると、共同は様変わりした。工場も共同作業なのに個々の範囲に限られ、機械が止まるまで働き続けなくてはならない。農作業の共同性は必要がなくなり、家族も大家族から夫婦単位へと変わった。家族が寄って食事したりおしゃべりしたり、そんな機会も減ってしまった。
友だちのいない子どもたちが増え、孤独になっている。子どもだけでなく、大人も同じかも知れない。夫婦でありながらおしゃべりもないケースもあるという。地震に備えて、まず夫婦で、それから家族で、話し合いが必要なのだ。
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