薄曇りの空が広がり、時々北から黒い雲が流れて来る。西の山々には雲がかかっている。関ケ原の北、伊吹山の頂上は雲で隠れてしまっている。電車も車も行き来しているのに、なぜか濃尾平野は寒々としている。市の拡声器から、「詐欺の電話がかかってきています。注意してください」と、女性の声が聞こえる。
12月も半ば、明日からは厳しい寒さになるという。私は20歳まで刈谷市に住んでいたが、寒い北風を「伊吹おろし」と呼んでいた。伊吹山から吹き降ろしてくる風は本当に冷たくて、身も心も震え上がった。それでも外で、ウロウロしていた。市内にある3つの書店を巡り歩き、本の背表紙を眺めていればよかった。
子ども向けの雑誌などは、店の人がいる前に並べてある。雑誌を手にすると店の人が嫌な顔をするので、たいていは奥の書棚にある単行本の書名を見ていた。すると、書店で見た本が父の書棚に並んでいることもあり、何が書いてあるのかと手にすると父に、「お前にはまだ分からないだろう」と取り上げられてしまった。
家の外の木材置き場の隙間で育っている雑草を見ていると、おばあさんが「ご飯だよ」と呼んでくれる。おじいさんは既に食卓に向かい座っていて、熱燗をチビチビやっている。料理とは別に酒のつまみが用意されているから、おじいさんだけいつも1品多い。おじいさんが酒を飲み終わると、おばあさんはご飯を茶碗にもってくれる。
それから家族みんなの食事が始まるが、誰も何も言わず、黙々と食べる。冬は食卓の中央にコンロが置かれ、鍋になることもあった。おばあさんの料理で食べられない物は無かった。イワシやアジなどの煮物は美味しかったが、サバを食べた翌日は、私はジンマシンが出るので食べない方が良かったのに、食べたくてブツブツの顔で登校した。
寒い風が吹くようになると、なぜか子どもの頃を思い出す。おばあさんは私を連れて、よく映画館へ行った。長谷川和夫や市川雷蔵が好みだった気がする。おばあさんは昭和33年、私が14歳の時に亡くなった。
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