友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

全てを公開した方がいい

2011年05月14日 22時19分41秒 | Weblog
 井戸掘りの後、私たちの車が細い路地から出てきた時だ。10メートルほど先の道路上で、黒いサングラスをかけた60代くらいの男が、10代と思われる自転車に乗った学生風の男に向かって怒鳴っていた。サングラスの男はプリウスの運転席から降りて、「オマエが悪いんだろう」と大声で言った。こういう状況になると、なぜか私のおせっかいがムラムラと湧き上がってくる。何があったのかはわからないけれど、交通事故では先手必勝とばかりに、「何をするんだ。あんたが悪い」と言わなきゃダメとよく言われる。見た目にはサングラスの男が若い男に因縁をつけているように見える。けれども実際は、自転車の若い男が横着な運転をしたのかも知れない。

 そこで、「どうされましたか。往来ではなんですから、車を端に寄せて話を聞かせてくれませんか?」と声をかけようか。それとも「どうされました?私たちは充分時間がありますから、おふたりの話を聞かせていただいてもかまいませんよ。私たちは普通の人間ですけれど4人もいますから、どちらかに偏った判断はしないと思います。それじゃーお話を伺いましょう」と言った方がいいだろうか。サングラスの男は冷静さがなかったけれど、同年代の年寄りの私たちは4人もいるから、たとえ殴り合いのケンカになっても負けることはないだろう。

 やってみるか。そう思ったけれど、男の車の後から何も知らない車が1台やってきたし、対向車となる私たちの車もあったから、男はまだ何やら若い男に向かって叫びながら車の運転席に戻ったので、事を起こすこともないかと私たちの車も発車してもらった。原因が何か、何がどうなったのかはわからないけれど、世の中には何故かすぐに腹を立てる人がいる。まあ、いいじゃないかと鷹揚に構える事が出来ないのだ。確かに命にかかわるような行為に、まあいいじゃないかとは言えないし、逆に言うべきではない。原因やその経過は洗いざらい検証することが必要だ。

 原子力発電はクリーンで安全と言われてきたけれど、福島の原発事故でそれはウソだったことがわかった。原発は安いと言うのも全くウソで、事故が起きればこれほど高く付くものもない。補償に巨額のお金がかかるだけでなく、人の命が懸かっているし、これから先も住むことも出来ない。これまで私たちは全てを公開する経験をしてこなかった。政治にしても、会社の運営にしても、地域社会の営みにしても、いつも担当者に任せてしまい、関心も持たずに来た。担当者もまた公開することのリスクというかトラブルを恐れ、あるいは責任を持って仕事に励むことを美徳と思って来た。

 小学校には児童会が、中学・高校には生徒会があって、国会を真似て審議して来たけれど、あらゆることを公開してしまう、そういう手法はとってこなかった。情報化社会というけれど、本当に全てが公開されているのかは疑問だ。それでも、これからの社会を考えれば、全てを公開してしまうことの方がうまくいくと私は思っている。
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