お世話になった方に、心ばかりの品を届けるようになったのは私が地域新聞を発行していた頃からで、もう何十年にもなる。親戚筋にも送っていたが、「お互いに止めよう」となり、どんどん縮小してきた。今年もひとり、「果物アレルギーなので」と辞退された。
豪華な物ではなく、人と人とのつながりで渡してきたが、届ける人が少なくなるのは何か寂しい。他人からは笑われるかも知れないが、娘ふたりにも届けている。娘たちの家庭の方が我が家よりも収入が多くなっているのに、いまだに何か助けになればという気持ちが働いてしまうのだ。
卸市場の業者に知り合いがいるから、値打ちで珍しい物を送ることができる。人は人の縁の中で生かされているのだ。私が地域新聞の発行を決意した時、元町長のところへ挨拶にいく段取りをつけてくれたのは、私の友だちと同じ児童文学研究クラブにいた大学の1年後輩だった。
新聞には「天声人語」や「中日春秋」のような、読みたくなるコラム欄が絶対必要である。たまたま超有名な広告会社のコピーライターが、次女の保育園で一緒だったので新聞発行の計画を話し、コラム欄を担当して欲しいと頼んだ。以来10年間ノーギャラで書き続けてくれたし、新聞を辞めて町長選挙に立候補した時も変わらず応援してくれた。
私はいつも、人に恵まれている。嫌な人との出会いよりも素敵な人との出会いの方が圧倒的に多い。そして素敵な人とは今も交流がある。人は自分だけでは限界があり、人に助けられて生きている。それはよく分かっているのに、「感謝」を口に出すのは照れくさい。困ったものだ。
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