青森県八戸市の「みちのく記念病院」の事件で、思い出したことがある。岡崎市民病院から、兄貴が入院したと電話があった。兄貴は材木屋を経営していたが、借金を作って破産し、離婚して音信不通となっていた。
その人は、「奥さんに連絡を取ったが、弟に連絡して欲しいと言うのでかけさせてもらった」と言う。姉さんも兄貴には苦労させられたから当然だろう。私はすぐに岡崎市民病院に駆け付けた。点滴を受け、身動き出来ない状態だった。
それから何日かすると、市民病院では世話が出来無いので、豊明の病院に移転させると連絡が入った。その病院は精神科病院で、私の子どもの頃はキチガイ病院で知られていた。小高い場所に寂しく建っていた。
どうしてこの病院だったのかと思ったが、何度か見舞いに通って分かった。鉄格子のある病室、働く看護師さんも僅かで、主に世話をしてくれていたのは、看護師の下で働くおばさんたちだった。兄貴は口も利けず、ただ、「ウー、ウー」と唸るだけだった。
私は病院見舞いの慣例に従い、受付の事務所と世話をしてくれるおばさんたちに手土産を持って行った。おばさんは「手のかからない、いい人ですよ」と言う。「迷惑ばかりかけてきたからねえー」と私は冗談のつもりだったが、兄貴の目から涙が流れた。
病院にどのくらい通ったか覚えが無いが、ここで最期を迎えた。その間、一度も担当医に会ったことが無い。そもそも医師を見かけたことも無い。どこにも行くところの無い患者を、受け入れてくれるだけでありがたい病院だった。
「みちのく記念病院」がどういう病院で、なぜ問題になっているのか分からないが、日本の各地に、受け入れ先の無い患者を引き受けてくれる病院があるようだ。病院に入院出来ても、長期の入院は出来無いから、そういう患者は行先に苦労している。
カミさんはまだ時々咳き込むが、元気は取り戻したようだ。次女一家が来る前に、ガス・水道・電気の他、寝具の用意も出来た。私は花を買って来て、玄関と居間に飾った。明日から24日まで、ブログを休ませていただきます。
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