友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「覚悟せしこともありたる古暦」

2011年11月27日 17時43分01秒 | Weblog

風もなく暖かな日々が続いている。鉢の土の入れ替えにはもってこいの天気である。しかし見送ってあげたい人の葬儀があって式場に向かった。地元の女性だけに大勢の人が参列していた。私の後の女性はご近所のようで、「もう少し長生きしてもよかったのにね」「もう1回会いたかった」と話していた。

 

彼女は俳句をたしなむようで、私の席の前には幾冊かの句集と、彼女が生前に使っていたであろう創作ノート、電子辞書、筆入れが置かれていた。私が知る彼女は竹を割るような性格で、かなりストレートにものを言う人だった。思いやりや気配りにも長けていたけれど、こちらが何か迷っていたりすると、ズバッと言ってくれた。

 

 「覚悟せしこともありたる古こよみ」の句が張り出されていた。彼女は小さな時の予防接種が原因で、B型肝炎のキャリアだったという。死因の直接の原因は知らないが、7年位前から身体の調子は良くなかったとも聞く。今年の同じ歳の集いには来なかったので、どうしたのかと気になっていた。

 

喪主の息子さんの話では、「病気のことは知らせないでと言っていた」ので、多くの人が知らずにいたようだ。「生きられるのはあと1年とか半年とか、はっきりしてきた時、母は苦しむことと痛いのは嫌だからと治療の仕方を望みました。それで、無くなる3日前までは全く普通でした。亡くなる時も穏やかで眠るように息を引き取りました」と話す。気丈夫なところは最後まで彼女らしい。

 

  「愛のチョコ命預けし主治医には」

「翌朝は未だしやんとされ雪仏」

この2句までは書き写すことができたが、いずれも闘病中に作ったものと勝手に解釈した。バレンタインのチョコの句はちょっとユーモアが漂っているし、雪の日の翌朝、雪だるまを見るとまだ凛々しく立っている、その姿にきっと励まされたに違いない。

 

それでも死は必ずやってくる。順番なんかない。慌てることなく、彼女のように穏やかに受け止めたいと思う。死後のことなど言ってもどうにもならないが、私の希望は、信仰もしていない宗教葬儀は止めて欲しい。誕生を身内しか祝うことがないように、死去も身内だけで送ってくれればいい。私が年賀状を差し上げている人たちの住所録はパソコンにあるので、何年何月何日に亡くなったと送っておいて欲しい。火葬場では骨は拾わなくていい。位牌や仏壇や墓は当然なことだが不要だ。ブログにこう宣言しておけば、残された者が負い目を感じることも無いだろう。

 

さて、それまでに短歌をもう少し勉強して、「へーえっ!?」と思われるような辞世の歌を作くろう。それまでは果敢に生きていかなくてはと思う。

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