新築祝いと入学祝いの「宴」をぶち壊してしまった。次女とはよく言い合いになることがあるが、長女と言い争いになったのは昨日が初めてだ。帰り道で、長女のダンナのお父さんから「醜態はイカンです。私は争いが嫌いなので、何も言いません」とお叱りをいただいた。それでも事態を振り返ってみると、長女が私ではなく、ダンナに加担してくれてよかったと思う。あの場でもし、私の肩を持つような発言をしていたら、とんでもないことになってしまっただろう。
ことのいきさつは、長女のダンナが「親の世代が、結婚し子どもをつくるようにと教えてこなかったことにある」と言ったことに、私が反論したからだが、長女には「また、発狂した」と見えた。「結婚するのも、子どもを産むのも、それは個人の自由でしょう。社会のため、国のためではおかしいよ」と、私の持論である個人主義を主張した。結婚する人もいればしない人もいる。結婚しても子どもはつくらない人もいる。
それを親が「結婚して、子どもをつくれ」と教えなかったと親の前で言うのは許せない。どんなかたちであっても親は子どもの幸せを願っている。私が声を荒げてダンナを非難したので、長女が「そう言いながら、私には子どもを堕胎しろと言った」と強く抗議した。長女は私を、言うこととやることが違う偽善者と言いたいのだ。私は偽善者かも知れないが、個人主義者なので人の命を粗末にする思想はない。言った、言わないではラチがあかないが、私の言葉で、長女は傷ついたことがあったということだ。
いろんな家庭の形があり、それを非難することは出来ない。ダンナのお父さんが言うように、何も言わない方が波風は立たない。それでも「親の育て方が悪い」と言われては黙っていられない。ダンナも私を挑発したがっているのに、黙っているわけにはいかない。「父親は間違っていたが、熱い男だった」とふたりで笑って思い出すこともあるだろう。何を大事に生きてきたのか、そんなことを振り返る日もあるだろう。「やっぱり、偽善者だ」と思うかも知れないが‥。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます