名古屋市東区は、中区や名古屋駅前のような繁華街が見当たらなくて、昔から寺が残り何となく文化の香りが漂う気がする。北の黒川から真っ直ぐに南に下ると、実は丘陵地になっているから上るとが正しいが、外堀通りとの交差点の東に、名古屋では1・2を争う書店の正文館書店本店がある。
ここに行けば「無い本はない」と言われる大きな書店だ。新聞報道によると、正文館書店本店が今年6月末で閉店するとあった。教員の時は時々覗いたが、もう何十年と行ったことが無い。閉店とは誠に寂しい気がする。本の売り上げは大きく減ってしまい、店の維持が難しいようだ。
正文館書店本店から更に南に下り、錦通りに面した南側に、よく見ないと分からないようなビルに名演小劇場があるが、ここも来月23日で休館する。ここでは商業主義的な映画では無い、知られざる名作が上映された。演劇や落語、音楽などにも使われていた。名古屋でもこうした名作映画が上映される小さな映画館がいくつかあったが、今は名古屋駅西に1館あるだけかな?
大須にあった前衛劇場「七つ寺」は、まだ存在しているのだろうか。演劇や映画、音楽などの芸術に、流行り廃れがあるのは仕方ない。そうやって人は新しいものを創り出してきた。それにしても、書店まで無くなっていくのはなぜなのだろう。街に映画館が1館も無いことがニュースになっていたが、今は書店も無くなっている。
人々は何を見聞きして、芸術的な欲求を満たしているのだろう。いや、芸術に対する欲求そのものが減退しているのだろうか。芸術に対する最初の欲求は、裸婦だと私は思う。ギリシア彫刻をモデルに、彫刻師は裸婦像を芸術の域にまで高めた。裸婦を見たいという欲求は今も人々にはある。
芸術的な欲求は無くならないかも知れないが、書物や映画ではない媒体に変わりつつあるのだろうか。昔の人間である私にはよくわからないが、なぜか寂しい思いだけが残る。
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