長女は早朝より四国へ出張である。晩ご飯の時、孫娘から友だちの「恋愛」の悩みを聞く。好きだと告白したのに、「もうこれからはメールもするな」と言われたが、どうしようというものだ。そんな話から「ママちゃんは中学時代にはどんな付き合いだったの」と孫娘は祖母に聞く。
問われたカミさんは「告白されたことはあるけれど、1対1の付き合いでなくて、みんなで遊ぶ方がよかったね」と言う。孫娘は「へえー、告られたことがあるんだ」と言うので、カミさんは「たくさんあるわよ」とちょっと得意気に答える。
多分、間違いなく、好意を寄せていた男はたくさんいたと思う。何しろ可愛かったから、みんなの注目を集めていたことは確かだ。大学時代もカミさんに好意を抱いていた男が何人かいた。孫娘は自分が好きになった男はいるけれど、告られたことはないようなので、尊敬と羨望の眼差しで祖母を見る。
「そうか、パパちゃんは自分が好きな子を、友だちが好きだといったら、引いちゃうな」と私が言うと、「本当に好きなら引けないじゃないの」と孫娘は言う。ビクッとする。高校時代に私があの子はいいなと思っている子を友だちから「好きだ」と告白されたことがある。わたしは二人が結ばれるように取り持ったけれど、確かに孫娘が言うように、本当に自分が好きなら相手と競争したかもしれない。
友人と比べて自分が劣っているなら仕方ないが、決してそう思っていないのであれば、競争してもいいはずだ。それなのに、先に告白されると、それでも自分が好きだと言うことは卑怯な気がしてしまう。友人との信頼を大切にして、自分が身を引いたほうがうまく収まるように思ってしまったのだ。
それでも、とどのつまり、孫娘の言うとおり、本当に好きで決して人に渡したくないというほどではなかったのかもしれない。そんなことを見極められるように孫娘がなってきたことが、私にはうれしかった。中学時代の好きだとかいうのは、実は恋愛なんかじゃーないと思う。「高校生は違うの?」と孫娘は聞くが、高校生あたりからは本当の恋愛ができると思うけれど、それが本物かどうかはやはりもっと歳をとってから言えることだと思う。
私は高校生の時に、初恋の人から「あなたが好きなのは私ではなく、あなたが描いている私なのよ」と言われ、衝撃を受けた。けれども、彼女の言い分は正しい。私は彼女の全てを受け止めているつもりだったけれど、彼女にすれば、それは私が描いていた彼女に過ぎないということなのだろう。
いつもいつもそんなことの繰り返しだ。私は自分しか見えないのかもしれないと不安になる。いや、むしろ自分も見えないのかもしれない。人はいつも自分が見えているつもりだけれど、それさえも不確かなのかもしれない。私はあなたのことを信じている。それでいいのではないか、そんな気がする。
問われたカミさんは「告白されたことはあるけれど、1対1の付き合いでなくて、みんなで遊ぶ方がよかったね」と言う。孫娘は「へえー、告られたことがあるんだ」と言うので、カミさんは「たくさんあるわよ」とちょっと得意気に答える。
多分、間違いなく、好意を寄せていた男はたくさんいたと思う。何しろ可愛かったから、みんなの注目を集めていたことは確かだ。大学時代もカミさんに好意を抱いていた男が何人かいた。孫娘は自分が好きになった男はいるけれど、告られたことはないようなので、尊敬と羨望の眼差しで祖母を見る。
「そうか、パパちゃんは自分が好きな子を、友だちが好きだといったら、引いちゃうな」と私が言うと、「本当に好きなら引けないじゃないの」と孫娘は言う。ビクッとする。高校時代に私があの子はいいなと思っている子を友だちから「好きだ」と告白されたことがある。わたしは二人が結ばれるように取り持ったけれど、確かに孫娘が言うように、本当に自分が好きなら相手と競争したかもしれない。
友人と比べて自分が劣っているなら仕方ないが、決してそう思っていないのであれば、競争してもいいはずだ。それなのに、先に告白されると、それでも自分が好きだと言うことは卑怯な気がしてしまう。友人との信頼を大切にして、自分が身を引いたほうがうまく収まるように思ってしまったのだ。
それでも、とどのつまり、孫娘の言うとおり、本当に好きで決して人に渡したくないというほどではなかったのかもしれない。そんなことを見極められるように孫娘がなってきたことが、私にはうれしかった。中学時代の好きだとかいうのは、実は恋愛なんかじゃーないと思う。「高校生は違うの?」と孫娘は聞くが、高校生あたりからは本当の恋愛ができると思うけれど、それが本物かどうかはやはりもっと歳をとってから言えることだと思う。
私は高校生の時に、初恋の人から「あなたが好きなのは私ではなく、あなたが描いている私なのよ」と言われ、衝撃を受けた。けれども、彼女の言い分は正しい。私は彼女の全てを受け止めているつもりだったけれど、彼女にすれば、それは私が描いていた彼女に過ぎないということなのだろう。
いつもいつもそんなことの繰り返しだ。私は自分しか見えないのかもしれないと不安になる。いや、むしろ自分も見えないのかもしれない。人はいつも自分が見えているつもりだけれど、それさえも不確かなのかもしれない。私はあなたのことを信じている。それでいいのではないか、そんな気がする。