友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誤解だった

2007年11月16日 23時47分39秒 | Weblog
 昨夜はちょっと酔っ払って、パソコンに向かって打ち込んでいるうちに、どうも支離滅裂だと感じてアレコレやっていたら、気が付けば12時を回ってしまっていた。そうなると、もう今日は何もしなくてもいいのではないかという気分になる。しかし、明日は20人ばかりの友だちと近江路の散策と竹生島をメインとするバス旅行に出かけるし、また戻ったらすぐにその足で「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の秋期合宿に参加するので、明日はブログを書くことはできない。やはり今晩、やるしかないなと思った。

 そうなると、昨夜の私のブログに対する友だちの反論を期待したのだが、先ほど見る限り、まだ更新されていなかった。だからまた一方的に私が彼のことを書く以外にない。彼は照れ屋である。格好つける人でもあるが、そんなことを言えば、誰でも格好をつけたがる。私は男だから女のことはよくわからないが、私の知る男たちは皆、格好をつけたがる。中学高校以来の友だちがみんな揃って時間を共有したのは、大学に入ったばかりの時だった。昨夜、私がブログに書いている友だちは浪人していて、どういうわけか、彼は毎晩のようにやってきては「飲みに行こう」と言う。

 浪人して予備校に通っている奴に呼び出されれば、いやとは言えないのが残りの3人で、家庭教師のアルバイトが終わる頃、揃って出かけていた。私たちが金のない学生と知っている飲み屋の女給さんは、お店で残った食べ物を黙って持ってきてくれた。ビールだって何本飲んだかわからないが、支払うお金は知れていた。女性を相手に遊ぶというそんな経験も根性もなかったから、至って品行のよい客だったと思う。そんな中で、浪人中の彼だけはすぐに女の子の一人に熱を上げてしまっていた。

 彼にすれば、私たちよりも年の若い九州だったか四国だったかから出てきた女の子を不憫に思ったのかもしれない。彼は優しい。友だちも話し相手もいないそんな女の子が気楽に話せるのが彼だったのか、彼は女の子の相手をしていた。私たちは、そんな彼を初めは誤解していたと思う。彼は女の子とSEXしたいだけだろうと誠に情けない想像をしていた。しかし、いつでも、いつまでたっても、彼が女性に求めているものはプラトニックなものだ。下世話な私には想像できないほど、彼は純真な心の持ち主なのだ。

 女の子がいればすぐに馴れ馴れしく近づいていくから、彼を助平な男だと思っていたけれど、助平とは全く正反対の男だと、ブログを読んでいて気が付いた。彼は決して女性の身体に触れることはない。むしろ彼は、自分の言葉が彼女の心にどのように届くのか、彼女の言葉がどのように自分の心に溶け込んでいくか、二人の気持ちが融合していくことだけを願っているようだ。

 今、病気と闘っている4人のうちの一人は、一番格好をつける男で、「過去にこだわるなんてナンセンスだ」と言い切る。よくストリップを見に行きたがったから、私はこの男も助平な奴と思ってエロ小説を送ると、「より高い生き方をしたい」と手紙をくれた。元気付けるつもりで助平な小説を送りつけたことが恥ずかしく思った。

 人生の終末を迎える時期に来て、私たちはそれぞれに自分に忠実に生きることの意味を見出しているようだ。未熟なのは私だけなのかもしれない。今晩もお酒を飲みながら、パソコンに向かっているので、果たして正しい文脈なのか心配だが、明日の朝は午前5時には起きなくてはならないから、今日はここまでにしよう。
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甘えん坊な奴

2007年11月16日 00時01分26秒 | Weblog
 私の中学高校からの友だちが、最近ブログでおかしなことを書いている。彼は身体も大きく、がっちりした体型だが、私に言わせれば誠に甘えん坊だ。苦労している割には昔から人に、特に女性に甘えたがる。私の大学時代の友だちにも彼によく似た男がいた。頭もよいし、何でもできるのに、どうしてか甘えたがるのだ。「自治会の総責任者なのだから最後のところはあなたが結論を出し、あなたが指示しなくてはならないよ」と言うのに、もたれかかってきた。

 中学高校からの友だちは、昨夜のブログで「ボクはあなたを忘れない。ボクは死ぬまで忘れない。いいんだ あなたは忘れてもいいよ」などと書いている。どうしていつも、心と裏腹なことを口にするのだろう。私は彼に「自分が傷つきたくないからではないか」と言ったことがあったが、今もそう思う。

 詳しいことは何も知らない。彼が13年間も付き合っている女性がどういう人かも知らないし、付き合っているというのはブログの中であって、本当はどうなのかも知らない。だけど、彼のブログ上の「友だち以上恋人未満」「今一番大切な女友だち」に対して、「ボクは死ぬまであなたを忘れない」と言いながら「あなたは忘れてもいいよ」などというその言い方が私には気に入らない。素直でない奴だなと思ってしまう。

 彼は健康診断で肺に二つの腫瘍があり、医者から手術を薦められたことで、パニックになっているようだ。そこで彼は、大切な女友だちの方から愛想尽かしをしてもらい、離れていく算段をしているのだ。大切な女友だちの目の前で、かつて知っている他の女性と親しくして見せたりする。こういうことって、確か高校生の頃もあったような気がする。自分を嫌いになって欲しいというのは、裏返せばもっと自分を好きになって欲しいということだ。愛想尽かすだろうというのも、さらにいとおしくなって欲しいというものだ。

 彼はいつも自分から自分の望みを言い出さない。深刻な検査を受けたことのない私が言うのは間違っているかもしれませんが、検査の結果が悪性だったら、それが何だというのだ。すぐ翌日に死ぬのですか。私は、もしそうであったとしても、拒否することが出来ないことは厳粛に受け止めようと思います。死がはっきりわかることはありがたいことではないでしょうか。それならそれで、自分が何をするのか決めることができます。

 彼は「私が負担にならない道が、私が最後に取るべき道だという結論に達しました」と言います。本当にそれでよいと考えるなら、今度一切、大切な女友だちとの連絡を絶つことでしょう。ブログで女々しく、「ボクはあなたを忘れない」などと書かないことです。ひたすら奥さんや娘さんやお孫さんのことだけを書き綴ることです。どうせ私たちはいつか死にます。死んでしまえば、すぐに忘れられてしまいます。私たちがたくさんの人の死を忘れてきたように。それが人の世界、無常の世界でしょう。

 自分がどう生きるか、生きているか、それに尽きるようですが、それも実は誠にあいまいだと私は思います。昨夜のミュージカルではありませんが、「生きている」ことでいいような気がしています。私が「生きている」ことは恥の上塗りばかりですが、それも死んでしまえばおしまいです。死んだ方が勝ちというものです。これだけけしかけても、きっと彼は変らないでしょうね。それが生きるということなのでしょう。
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