友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

職務に忠実なこと

2007年11月12日 23時37分46秒 | Weblog
 今朝早く、役所から電話があった。とても丁寧な口調で、「金美齢講演会の看板がまだ立ててあるので、撤去してください」というものであった。高圧的な言い方ではなく、親切から連絡してくださったと思った。そう思ったのに、しばらくしてなぜ、電話をかけてきたかと思った。職務に忠実な若い職員は、上司から「まだ看板が出てるぞ!」と言われ、電話をかけてきたのかもしれない。それはありがたいことではあるが、看板が出ていては困るという事態でもないのに、急がせる理由があるのだろうかとも思ったのだ。

 看板の設置も撤去も役所の仕事をよく引き受けている業者にお願いしている。業者といっても従業員二人の自営業だから、仕事の段取りというものがあると思う。それによく出入りしている業者だから、納入時に撤去のことも話しているかもしれない。受付の窓口でもない職員が、わざわざ電話をかけてくれたことに、感謝ではなく疑問が湧いてきてしまった。

 体育館を管理するこの担当課は、貸した者への管理を厳しく行っているのだろう。行事が終わればすばやく撤去し、次の人が気持ちよく使えるようにしておくことは鉄則だ。貸すことで、体育館の管理費をできる限り賄っていきたいとする自治体の姿勢はよくわかる。

 ところが昨日、体育館を貸してもらって気が付いたことがある。一つは、入り口に壊れて使い物にならない傘立てが放置されていること。これは長い年月、そのままになっていることがはっきりわかるほどひどいものだ。二つ目は、ホールの天井の照明の電球が切れたままになっていること。これも長い間点検されていない様子だ。三つ目は、ホールの裏には壊れた机がそのまま置いてあること。使えないものは処分してもよいのではないかと思った。

 管理する上で、こうしたことはたいしたことではない。それでも私は、仕事場を愛して欲しいという気がしている。道路の歩道にはところどころに植木があり、草花が植えられている。自分の家の前のこうした草木が枯れていたり、雑草が茂っていても気にならないだろうか。私は草木に水をやったり、雑草を抜いたりして可愛がって欲しいと思う。商売をしている店の前の草木が雑草で覆われていたら、その店は商売に熱心ではない気がする。仕事場をキレイに掃除したりするのは、仕事を愛する人ならばできると思う。

 職務に忠実なだけではなく、それ以上の「愛」が人には必要な気がする。
コメント
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