友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どこでどう判断するか、見守っていきたい

2022年04月20日 18時59分22秒 | Weblog

 穏やかな陽射しがいっぱいだったので、サルビアの鉢の土を取り出し、堆肥を混ぜて土作りをしようと勇んでルーフバルコニーに出たけれど、思った以上に暑かった。気になる鉢の手入れをして、早々に部屋に引き返した。

 桜が咲き終わると藤が房を伸ばして盛期を迎える。我が家のルーフバルコニーも、ツツジが満開となり、バラが咲き始め、アジサイが若葉を膨らませている。冬を越したペチュニアは数を増やし、赤・青・紫ばかりか混色のものまで咲き始めた。

 いろんなところから芽を出し、花を咲かせているビオラを集めたら5鉢も出来た。花の大きなペチュニアは、これから秋にかけてさらに咲き続けるだろう。ウクライナやロシアには、こうした草花はないのだろうか。花を眺めていると人を殺す気にはならないだろうに。

 ここまで書いたら、知り合いの女性に呼び出されて、彼女が不安に思っている家の前まで行って来た。彼女は家の中に入りその家の女性と話している間、私は外でふたりのやり取りを聞いていた。それが私の役割だったからだ。

 家の主は不動産屋に勧められて、売却することを考えているが、知り合いの女性は不動産屋に丸め込まれているのではないかと心配している。買取価格も相場に近いから騙されている訳ではないが、なぜ家を売るのか、売ってその後はどう暮らしていくのか、その点が分からない。

 世の中には彼女のような「おせっかい」さんが少なくなった。他人のことに口出しするのを控える人の方が多い。彼女は貴重な存在だが、どこでどう判断するのか、見守っていきたい。

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悲劇はいつでもやって来る

2022年04月19日 18時32分50秒 | Weblog

 ロシア軍がウクライナに侵攻してもうすぐ2カ月になる。テレビで報じられる限りでは、悲惨以外の何物でもない。どうして人間は殺し合うのだろう。ロシアはウクライナ南東部の主要都市、マリウポリに猛攻撃している。ウクライナ側が投降要求を拒否し、抗戦を選んだためだ。

 プーチン大統領が何を目的にウクライナに侵攻したのか定かではないが、戦闘が長引けば長引くほど、多数の犠牲者が出る。一般市民に数多くの死傷者が出ているが、攻撃しているロシア軍にも、抗戦しているウクライナ軍にも死傷者は多い。

 戦争は殺し合いだから、礼儀正しく良い戦いなどあるはずもない。「戦争すべきではない」と言うと、「平和ボケなことを言うな」とお叱りの声が飛んで来る。私はただの老人だから、どうすることも出来ないが、私がウクライナの大統領なら、我が身を人質に差し出して、停戦を訴えるだろう。

 政治のトップにいる人は、人々を守ることが最大の使命である。相手が何を望もうと、国民の命だけは守らなくてはならない。国土を取られても、命があれば、必ず新しい時代を築くことが出来る。戦争を続ければ、国民の命は限りなく奪われ、国土はますます疲弊していく。

 国の指導者、街の指導者は、市民を戦争に巻き込むべきではない。平和を構築するために、全てを捧げる覚悟を持つべきだ。人々の命を守ることを一番優先し、そのためには指導者の命を差し出しても構わないと決意を示すべきだ。

 地方の首長と市議を決める選挙で、半数の有権者がサボタージュしていて、本当に民主主義は守られていると言えるのだろうか。無関心でいると、ロシアのウクライナ侵攻のような事態になってしまう。もっともっと、政治に関心を持たないと、悲劇はいつでもやって来る、そんな気がする。

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市民との会話を続けていって欲しい

2022年04月18日 19時16分51秒 | Weblog

 選挙の結果はとてもよかったが、投票率は前回よりも2.66ポイント下回り、過去最低の43.46%だったのが気になる。立候補者の陣営にいると、とても盛り上がった選挙戦に見えた。投票場も列が出来るほど人が並んでいたので、この投票率の低さが信じられない。

 「民主主義は投票から」と、電話かけで話しかけていた人がいたが、現在の制度では投票は有権者の大きな権利だろう。けれど、それにしては、どうして権利を放棄する人が多いのか、説明がつかない気がする。半数以上の人はなぜ関心が無いのだろう。

 わが市は合併以来、市長選挙と市議会議員選挙が同時に行われきた。市の将来を決める絶好の機会だから、当然関心が集まってもいいはずだ。それに市長選挙は、役場の職員から市長になる方式でずーと行われてきたが、今回はこれに「待った」をかけた選挙だった。

 造反の声を上げた候補の妻は、私の長女の高校時代からの友だちで、候補の主張する「財政危機の原因を解明し、対策を立てる」、「市長給与の20%カット」に、私は大賛成だ。行政のウヤムヤした部分を切開出来るのは、行政の外にいた者でなければ出来ない。

 私が応援した彼も上位で当選した。やっと安堵出来る。当選が決まった昨夜、私は彼に1年生議員のリーダーとなるようにとお願いした。市長選も長女の友だちの夫が大差をつけて当選した。議会と市長の関係がガラリと変わるはずだ。

 彼には、議会が本来の機能を果たすように、議員各位に働きかけ、市民の代表にふさわしい議会となるように議員をまとめていって欲しい。彼が人としても幅を持つなら、それは可能だろう。これから4年、議員活動を怠らず、ニュースを発行し、市民との会話を続けていって欲しい。

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今日からはブログを続けます

2022年04月17日 18時13分05秒 | Weblog

 彼は無党派・市民派の立場で市議選に立候補したが、2度続けて落選した。立憲民主党の衆議院候補となった元市議が、彼を公設秘書に採用してくれた。彼は再度、「市議に挑戦したい」と言うので、「立憲民主党の公認候補にならなければ、次回も当選しないだろう」と助言した。

 衆議院候補の力添えのおかげで、「公認候補となったので、選挙を応援して欲しい」と言うので、4月9日から家に帰るのが午後8時過ぎになり、ブログを休止していた。応援する側はこんなに気苦労が多いとは、自分が立候補していた時は気付かなかった。

 私が初めて選挙を経験したのは1995年で、周りのみんなが応援してくれた。早朝や帰宅時に駅前で挨拶するといいとか、チラシを作って撒くといいとか、みんながそれぞれにアイディアを出してくれた。今ではそんな運動スタイルが一般化している。

 選挙前の政治活動をフルに活用し個別訪問で、有権者に顔と考えを知ってもらうことは多くの候補予定者が行っている。選挙期間に入ると、自転車に乗って街宣する候補や地域を歩いて回る候補が多くなったのも最近のスタイルのようだ。

 昨夜、街宣活動が終了した午後8時過ぎ、候補がスタッフや応援者にお礼を述べた。これで終わりになるはずだったのに、司会者が「ちょっと待ってください」と言う。まだ何かあったのかと思っていたら、誕生日ケーキが運ばれてきて、皆さんが私の78歳の誕生日を祝ってくれた。

 家に帰ると玄関に、卒業生からの花かご(写真)が飾られていた。花かごが届けられた時、孫娘が我が家にいて、「パパちゃん、スゴイね」と感心していたとカミさんが教えてくれた。選挙が終わり、誕生日ケーキを食べ、さらにカミさんが用意してくれたワインも飲んだ。

 さて、今晩は当落が決まる。今回は当選できると思うが、順位が気になる。ぜひ、上位で当選して欲しい。明日は事務所の片付けに行かなくてはならない。今日からはブログを続けます。

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その後は何もしたくないのが本音

2022年04月08日 19時03分06秒 | Weblog

 選挙告示の2日前、10日の出発式に出席してくれそうな人の所を回るが、不在が多い。今回の選挙を前にした活動では、個別訪問スタイルが定着したのか、街宣車で走り回っている姿は少ない。候補予定者が自分を知ってもらうためには、個別訪問が最適だと思うが、昼間は家にいない。

 私の友だちは77歳か、それより上の人が多いが、家を訪ねてもいない人の方が多い。ケイタイに電話すると「シルバーで働いている」と言う。何もせずにボーとしているより働いて、僅かな報酬であっても、「人の役に立っている自負がある」と言う。

 そういう世代なのだと痛感した。それでも友だちと話していると、「自分を含めて、余りにも社会に無関心だ」と嘆いていた。ウクライナ侵攻のことは、私たちではどうすることも出来ないが、たとえば公民館や図書館が閉鎖されるとか聞いても、「へぇ―そうなの」と言うだけで掘り下げることが無い。

 私も忙しさにかまけて、今日のブログはこれで終わる。明日は最後の土曜日なので、もっと遅くなるのでブログは休むことになるだろう。中学からの友だちのように、寝る前に立ち上げればよいのかも知れないが、晩飯の時に一杯飲むから、その後は何もしたくないのが本音だ。

 そういう訳で、これでおしまいにします。

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入学式は大丈夫だっただろうか

2022年04月07日 18時48分15秒 | Weblog

 車椅子の人と一緒に桜を眺めていた時、ヒヨドリ(多分)が、桜の枝から枝へ飛び回っている。「桜はいいですね」と話しかけるが、一生懸命に応えてくれているのに、何を言っているのか分からない。このコロナ禍のうちに、病状が進んでしまっていた。

 全く話が通じ合っていないのに、「そうですね」とか、「ええ」とか、いかにも会話が続いているようにしていた。そこにやはり高齢の女性が、「桜は春の象徴よね」と声をかけてきた。「私なんか、今日が何日だったか忘れてしまうのに、桜は毎年、春を告げてくれるから賢い」と言う。

 そんな会話をしていると、車イスの彼のカミさんがやって来て、車に乗せて出発していった。見送るように桜吹雪が舞い上がった。ヒヨドリが花の根元をかじったのか、桜の花が一輪、車のボンネットの上に落ちていた。花弁は飛び散るが、一輪の花は堂々としている。

 ウクライナ侵攻はますます泥沼化している。市民が虐殺されたとか、それはウソだとか、テレビから流れてくる。戦争に人道的とか非人道的とかが、存在するような報道だ。残虐でない戦争など存在しないのに、正義とか悪とか、区別しようとしたがっている。

 人間は愚かだけれど賢いと、誰かが言っていた。賢いと信じる他ない。人が人を信じ、争いを放棄する道を探るしかない。何が前提になるかと言えば、やはり信じることからだろう。今日は中学校の入学式の日。中学生になる長女の下の娘は花粉症だが、入学式は大丈夫だっただろうか。

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そんな風潮を一掃しなくては前進は無い

2022年04月06日 18時41分45秒 | Weblog

 暖かな一日、今日は小学校の入学式だった。校門に掲げられた『入学式』の看板を背に、親子で記念写真を撮ったり、友だちを交えてちょっと気取った撮影も行われていた。小学校の入学式はなんとなく微笑ましいが、中学校となると緊張感が漂うのはなぜなのだろう。

 中学3年生の母親から、「制服を自由にしてくださいとお願いしているのに、どうして2年経ってもまだ『検討中』何ですか?」と話しかけられた。確かに名古屋市などでは制服が自由になっている。昔は、「制服の乱れは、生活の乱れ」などと言われたものだ。

 先生たちは、制服のように統一されていた方が、統率しやすいと考えているのだろう。個々の生徒がそれぞれの個性を出せば、何を基準にすればいいのか、判断に迷うのかも知れない。「どうしてなんですか?」と訊かれるのが嫌なのだというか、説明できないのだろう。

 中学校と高校では随分違うが、私が高校の教員だった時、生徒指導部から、「先生のクラスは頭髪が乱れているので注意してください」と言われた。そこでホームルームの時、「頭髪が乱れている者は手を挙げて」と言ったけれど、誰も手を挙げなかった。

 「ウチのクラスに頭髪の乱れた者はひとりもいないな」と念を押すと、「はーい」と答えた。「分かった、指導部には頭髪が乱れた者はひとりもいませんでしたと報告しておく」と言った。指導部にそのまま報告したが、呆れた顔をされただけだった。

 中学校では最近まで下着の色を調べていたが、よくそんな、人権を無視していたと思う。教師の中から、問題にする声が上がらなかったのが不思議だ。黙っていた方が楽、そんな風潮を一掃しなくては前進は無い。

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それでも、人のつながりは重視される

2022年04月05日 18時40分33秒 | Weblog

 昨日に続いて今日も暖かな一日だった。選挙の応援を頼みに回るが、二つ返事でOKという訳にはいかなかった。無党派なら構えることの無かった人も、立憲民主党となると「ちょっと」と引いてしまう人もいる。私たちのような年代になると、地域の活動もあって「参加できない」と言う。

 そうかと思うと、「いいよ。時間はいつからいつまで」と気さくな人もいる。「4年前にウグイスを頼まれて街宣車に乗ったけど、結構楽しかったよ」と言う女性に、「じゃー、応援は無理だね」と聞くと、「今年は頼まれていないから、あなたの顔を立てあげる」と言ってくれる。

 自分の選挙でもないのに、いや自分の選挙の時に、これくらい熱心に回っていたなら当選していたかも知れないと、バカな反省心が湧いてきた。選挙はどれだけの人に会い、どれだけの人が受け入れてくれるかで決まる。地道に回って人に会う、それしか無い気がする。

 選挙期間中に出来ることは、街頭で政策を話すことだが、どの候補者も政策は似ているから、演説を通して自分をアピールするしかない。選挙公報と選挙期間中に新聞折り込みの出来るチラシが、一番有権者にストレートに候補者を届けることが出来る。

 そうなると、主張や政策と共に文章やデザインが大事だ。ようやく主張や政策で競い合う選挙になってきた。以前なら、地元の有力者を接待して飲み食いすることが支持につながった。金が有り、地元に溶け込んでいなかったら議員にはなれなかった。

 生まれ育っていない「ヨソモン」を支持することは無かった。しかし今は、それなりの政策とビジョンが無ければ応援してもらうことは出来ない。けれど、それでも、人のつながりは今も重視される。つながりを作っていくことも候補者の役割のようだ。

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これも自分のためには良かったのだろう

2022年04月04日 18時56分29秒 | Weblog

 午前中、高齢者講習を受けた。1時間の講義と1時間の運転実技で、なんとか終了することが出来たので、後は警察署で免許証の発行を待つのみとなった。先日の警察署でも講義もそうだったが、要は高齢者の運転を少なくしたいという意図が明らかだった。

 事故を侵した人の50%以上が高齢者である現実を見れば、警察としては速やかに免許証を返納させたいのは当然である。実際に動体視力などの検査を受けると、やっぱり返納した方が良い気がしてくる。それでも、教習場を走る運転実技は平常通りに出来たつもりだった。

 けれど教官は、「発進はもっとゆっくり、停止線ではキチンと止める」と言う。どこをどう走るのか、もっと前に教えてくれればいいのに、指示がハッキリしないからモタモタしてしまう。それに今、私が乗っている車の感覚と違うので、慣れるまでは仕方がない気がした。

 いろいろあったけれど、まあまあ無事に終わることが出来た。次回は80代になってしまうので、運転免許証は返納することになるだろう。教官も言っていたが、いつまでも免許を取った時の感覚でいるつもりでも、能力は確実に低下している。私自身のためにも、世の中のためにも、高齢者は運転を控えた方がいい。

 今日は雨降りの予報だったので、運転実技は大変だと覚悟して行ったけれど快晴になり、かえって甘い判定を期待できない日となった。これも自分のためには良かったのだろう。さて、これからは選挙運動のために時間を割くことが出来る。

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困ったものだ

2022年04月03日 18時06分40秒 | Weblog

 我が家に3月28日から来ていた次女とその娘が茨城へ帰って行った。1週間はアッという間だった。1日の夜、次女の小2になる娘と長女の中学生になる娘のふたりが、長女の上の娘の家に泊まった。小2になる孫娘がどうしても実現したい夢だった。

 翌日の2日、長女夫婦と次女と私夫婦も出かけて行き、それぞれの子どもの入園、入学、進級の祝いの集いを行なった。そして、小2になる孫娘の希望で、みんなでトランプやウノを行った。ひとりっ子の孫娘は、大勢の家族で遊ぶ機会に憧れているのだ。

 2日の夜は中学生になる孫娘が、我が家で一緒に泊まってくれることを期待していたが、さすがに27日から外泊が続き疲れてしまったようで、家に帰って行った。けれど、今朝は父親に送ってもらい、次女の娘の希望通り我が家でトランプに興じてくれた。

 子どもだと思っていたが、明らかに中学生らしくハッキリと自己主張が出来るようになってきた。小2になる従妹との付き合いを重んじながらも、限度を示す大切さを持っている。小2の孫娘はひとりっ子の我がままと人への期待が大きいが、いずれ成長と共に変わっていくだろう。

 娘たちを駅まで送り、気になっていた市長選の候補者の事務所に顔を出した。私の選挙の時も来てくれていた男がいた。挨拶だけして帰ろうと思ったが、彼が話しかけてきたので気まずくならないようにと付き合った。けれど、彼は市職員の名前をあげて、大声で「バカだ」と言った。

 候補の妻が「やめてください」と注意したことに腹を立てた男が怒り出したので、これはイカンと思い、男に「コーヒーでも飲みに行こう」と外へ連れ出した。喫茶店で1時間、男と付き合うことになったが、世の中には自分は正しい、それを認めないアホばかりと勝手に思い込んでいる人がいる。困ったものだ。

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