友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

これも運、よい年になりますように

2023年01月11日 17時03分39秒 | Weblog

 正月の宮参りは日本人の行事と思っている私は今朝、この地方の国府の神社である国府宮神社に参拝してきた。三が日は込み合うので駐車場も空きが無いが、10日を過ぎた平日なら車で行っても大丈夫と判断した。

 楽々駐車して、正門で1礼し、手を清めて拝殿に進む。貯金箱にあった5円玉5枚を入れた祝儀袋を賽銭箱に放り込み、1礼2拍手して「今年もよろしく」と頭を下げる。カミさんから「今年の運勢だから」と、おみくじを引くように促される。

 「吉」だった。「改革の時」とあり、「少し時間はかかっても必ずよくなる運勢ですから、かねて考えていた事柄をここで思い切って新しくしてみるとよい」とあった。国府宮神社まで来たのだから、美味しいものでも食べて帰えろうといくつかの店を調べておいた。

 新聞で紹介されていた店に電話すると、「今日は予約でいっぱいです」と断られる。次の店は定休日だった。ここがいいのではないかと思っていた店は、かなり遠い。「吉」運でも、食事運はよくないのかと思っていると、カミさんが「ここなら分かっているから」と言うので、『ピッツェリアマリノ』へ。

 店内は大半が女性客だった。スパゲッティを頼むとピザ、サラダ、フルーツ、飲み物がお替り自由というシステムで、ついあれもこれもと食べてしまう。ふたりで4,268円だったからランチとしては高額な出費だ。お腹もいっぱいになり、食事運はよかったと訂正。

 ホームセンターに寄って買い物をした。ホームセンターの一角に宝くじ売り場があった。「今年の運試しだ」とカミさんに言い、「今売り出し中の宝くじをください」と、財布からお金を出す。今日から発売のくじと、年末から売り出しているくじの2種類を買う。

 当たってもいないのに、今年はすごいぞとウキウキして来る。「改革の時」は既にやって来たのだ。何か新しいことを始めないと、そう思いながら、思いついたのは宝くじを買うことだった。これもきっと運だ。よい年になりますように。

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ああ、北風よ、止まれ!止まってくれ

2023年01月10日 17時28分06秒 | Weblog

 マイナンバーカードの交付を受けに市役所へ行ってきた。マイナンバーカードに私は全く興味も魅力も無かったが、暮れに孫娘がカミさんの指示で申請手続きをしてくれた。「今なら2万円分のポイントがつくのよ」と言う。

 最近やたらと「ポイント」が流行している。「ポイント」を餌にしてものを釣るようで、私には意地汚く見える。「手続きをするだけで、お金がもらえるのに、しない方がおかしいんじゃーない。2万円稼げるの?」とまで言われてはウンもスンも出ない。

 久しぶりに市役所へ出かけたが、もう知っている職員はいない。窓口は特に若い人が多い。それにしても混んでいる。私のようにマイナンバーカードの交付を受ける人、カード申請のための手続きを教わる人、住民票などを申し込む人が多い。

 パソコンからの申請が出来るコーナーでは、若い職員が1対1で教えているが、来ている人は年寄りばかりでなかなか進まない。「口座?あるよ。農協の本店だったかどっかだ」と曖昧なジイジに、手こずりながらも腹も立てずに付き合っていた。

 岸田内閣は健康保険証や運転免許証などをマイナンバーカードに一本化する方針だという。それで国民はどれだけ手間が省けるのだろう。何のためにカード化していくのだろう。先進社会とは人間を数字で見ることなのか。

 市役所へ出かける時、駐車場で古い知り合いに出会った。「お元気ですか」と声をかけられ、「まあまあです。なにしろもう歳ですから」と答えると、「お顔の色もいいし、大丈夫ですよ」と、励まされた。やっぱり、どう見てもジイジなんだと自覚する。

 強い北風に煽られて、真っ直ぐに歩けないほど風が舞った。今日明日は風が強いが、週末からは春の陽気になるという。気温の変化が激しいと、体調がついていけなくなる。ああ、北風よ、止まれ!止まってくれ。

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皆のためになっているのだろうか

2023年01月09日 17時35分02秒 | Weblog

 松本潤さんが演じるNHK大河ドラマ『どうする家康』を観た。昨年の『鎌倉殿の13人』もそうだったが、違和感が大き過ぎた。これはどうみても私に問題がありそうだ。今年4月に79歳になる老人は、史実からドラマを観ようとする傾向が強すぎるのだ。

 第1回目から「桶狭間の戦い」が始まったので、この時の家康、信長、義元の年齢を事典で調べてみた。家康は19歳、信長は26歳、義元は41歳であった。立て籠もっている今川方の大高城に、食糧を届けるのが家康軍の任務である。

 自分の姪を嫁にやったり、京都を目指した行軍の先頭ではなく、食糧を届ける任務にしたことを考えると、義元は家康を評価していたようだ。けれど、義元は信長の奇襲に遭い討死してしまうと家康は急いで岡崎に引き返す。

 ドラマではひとりで海岸を彷徨う場面があったが、桶狭間から岡崎に逃げる途中に海は無い。もし、海に出たなら現在の碧南市辺りだろうが、岩礁が見られるような海岸は存在しない。そんなところばかり気にするのは老人の悪い癖だ。

 今川家の家臣に引き立てられるところだった家康は、義元が死ぬと今川方から織田家との同盟に踏み切る。『どうする家康』は決断できない家康が、部下の提言を迷いながらも受け入れていくドラマになっていくのだろう。狡いとも賢いとも言われる家康の真骨頂である。

 ウクライナのドラマ『国民の僕』もよく分からない。ドラマは実際に放映されたもので、「国民の僕」は政党でもあり、ゼレンスキーはこの政党に属していた。高校教師のゼレンスキーが政府の腐敗や政治家の利己主義を口汚く批判する。

 これが国中に広がり、大統領になってしまう。まるで漫画のようなドラマが、どうしてこんなに人気なのだろう。今日は「成人の日」、選挙権は18歳から行使できるが、選挙の結果だけの社会は、皆のためになっているのだろうか。

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私はひとり合点していた

2023年01月08日 17時47分52秒 | Weblog

 韓国ドラマ『愛の不時着』を観たけれど、私が想像していた恋愛ドラマとは違っていた。このドラマに共感した人々は、『冬のソナタ』の次の世代ではないだろうか。設定が奇抜すぎるし、アクションが多いし笑いを誘う場面も多い。

 北朝鮮の高官の息子と南朝鮮の大富豪の娘が恋に落ちる設定は、ありえないとしても面白い。何度も半島の統一が幸せを呼ぶというセリフがあった。韓国の人々は心の中では、そう願っているのかも知れないと思わせてくれる。

 ドラマだからなのか、北朝鮮にも金持ちの実業家がいる。高官の息子とこの実業家の娘は同じ中学校に通っていて、彼女は高官の息子に好意を抱いた。ピアニストを目指していた高官の息子はスイスに留学し、彼を追って彼女もスイスへ旅立つ。そしてふたりは両親の前で結婚を誓う。

 そのスイスが、北の高官の息子と南の大富豪の娘との運命の出会いの場だった。北朝鮮の軍部の中に、金を得るため不正を働く者がいる。息子と不正を働く者との戦いが始まる。悲しい愛の物語なのか、正義と悪とのアクションドラマなのか、織り交ぜながら続いていくから、間延びにイライラしてしまう。

 最後にふたりはどうなるのかと思ったら、ふたりは1年に1回、夏休みにスイスで逢瀬を楽しむ。ドラマって本当に勝手だ。ふたりが既婚者では無ければ、どこまでも純愛を貫いたことになるが、そんなことってあるだろうかと考えるのは下衆野郎なのだろうか。

 ドラマだからなのか、南の人も北の人も美人が多い。若い男性はハンサムで背が高い。ソウルもへピョンヤンも高層ビルが建ち並ぶ大都会だ。やっぱりこのドラマは南北統一を願っていると、私はひとり合点していた。

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ひょっとすると見られるようになるかも知れないから

2023年01月07日 17時14分28秒 | Weblog

 小学校の同級生は賀状に、「相変わらず体調が思わしくなく、盛り沢山の治療を続けています」と書いていた。しかし次に、「週1回、開催される老人の集まりに参加しています」とあり、「昨年10月からピアノ教室へ通うことにしました」とあった。

 「少しでも気が紛れ、社会との接点を持ち続ける事が出来るよう心掛けています」と、凄く前向きになっている。歳を重ねると誰もが身体のどこかに違和感を覚える。気にし始めると、さらに症状が悪化する気さえする。彼のように前向きになることが一番の治療だと思う。

 6年生の時、学校帰りに彼の家に何人かで行った。電気蓄音機やパンを焼くトースター、ピアノがあった。とても可愛い妹さんがいた。彼の父親はトヨタ系のエリートだったのではないかと思う。彼は学業は優秀で、小学校を卒業すると名古屋の私立中学へ進学した。「テストの度に成績順で席替えが行われる」と手紙に書いてあった。学年が進むと手紙は途絶えてしまった。

 今朝、私にブログを勧めてくれた、中学からの友だちのブログを見てビックリした。同じ記事が6日、6日、7日と連続してUPされている。ブログの業者が変わったようなので、きっと何かの間違いだと思うけれど、彼自身も訂正に四苦八苦しているのではないだろうか。

 私も今日は時間があったので、教員になったばかりの頃に映画好きの3人で作った8ミリを、DVDに仕立て直したものをパソコンで見ようと思ったのに見られなくて焦った。パソコンの調子が悪くて、昨年5月に新しくした時、これまで通りに使えるようにしてもらったはずなのにどういうことなのだろう。

 また業者に来てもらうことになりそうだ。「ブログさえ出来ればいいです」と、軽く言ってしまったことが災いのもとかも知れない。機械音痴というか、パソコンは全く分からない。これも年齢からくる「衰え」なのかも知れない。でも、今しばらくはこのままにしておこう。ひょっとすると見られるようになるかも知れないから。

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ところでHolicってどういう意味なんだろう

2023年01月06日 17時48分05秒 | Weblog

 年末年始は駅伝がよく放映されていたが、歌番組も多かった。歌手やグループの名前が横文字になっていたり、題名も横文字が多くて困った。若い人たちには聞きなれた歌であり、歌手だったかも知れないが、日頃の音楽番組はFORESTAが歌う、『BS日本 こころの歌』が好きな私には分からない歌ばかりだった。

 それでも年末年始だからと歌番組も見た。若い女の子が丈の短いスカートで、登場し始めたのはいつからだったのか、山口百恵さんの次の世代からだったのかな。歌よりも女の子たちの美しい脚に見入ってしまった。女性は肌を見せたい本能が備わっているのだろうか、それとも男たちがそうさせているのだろうか。

 たくさんの歌の中で、気になった曲がある。日本レコード大賞に輝いたSEKAI NO OWARIの『Habit』だ。SEKAI NO OWARIはローマ字なので読める。それに以前、あのピエロを見た覚えがある。けれど、『Habit』とはどういう意味なのかと、歌詞を聞いた時、凄い歌だなと思ったので調べてみた。「習慣」とあった。

 「君たちったら何でも噛んでも分類、区別、分けたがる。君らは分類しないとどうにも落ち着かない」と、痛烈な社会批判である。会社は年功序列給から能力給となり、出来る人は評価され出来ない人は見下げられた。学校に入った時から、テストで分類されてきた。成績が良ければ難関校へ進学し、エリートの道を進む。

 こんな社会批判の歌がレコード大賞に輝くほど、日本の社会は批判に寛容になったのか。この歌を聴いて育った世代はきっと、人を区別する社会から脱却していくのだろう。区別の無い社会は、人が目指してきた平等の社会なのだろう。凄いな日本は。この歌は映画『ホリック×××Holic』の主題歌という。どんな映画なのか見てみたい。ところでHolicってどういう意味なんだろう。

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みんな元気でいるかな

2023年01月05日 18時13分51秒 | Weblog

 私は年賀状を出すことを止めてしまったが、律儀に年賀状を送ってくれる人がいる。もらえば相手の様子が分かり、嬉しいものなのに申し訳ない気がする。頂いた年賀状を見ていると、この人もバラを育てていたのかと同じ趣味だったことに楽しくなる。

 彼は小牧工業高校で一緒だった英語の先生で、クリスチャンだった。保守的な先生が多い中で、進歩的な考えの人だった。年賀状の空きに、「偽情報の溢れる中、本物を見分ける姿勢を確立したい」とあった。もうその姿勢から、判断出来ている人だと思った。

 愛知工業高校で同じ新任だった国語教師の女性からは、「どこにも行けず悶々と過ごした3年間。ウクライナの人々は寒さに震え戦火の下で生きている。香港やミャンマーでは若者たちが物言えぬ苦しさに涙している。(略)でも、私は何もできなかった。」

 いや、彼女は日本で暮らす外国籍の人々のために尽力してきた。「何もできなくても毎日は過ぎていく。さてと、今日の夕飯に自家製の麹につけたべったら漬。毎日が平凡でつつましい。でも、これこそ世界の人々が望んでいる毎日。文句言っちゃア申し訳ない。」

 生きる姿勢は昔と変わらない。最後に、「みんなに会いたいなあ」と書き添えてあった。コロナ禍が収まれば、新任の時の7人に「集まって」とハガキを出そう。先輩で、学校帰りに酒屋に連れて行ってくれた体育の先生にも連絡しよう。みんな元気でいるかな。

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明けましておめでとうございます

2023年01月04日 17時30分12秒 | Weblog

 明けましておめでとうございます。今日からブログを再開します。

 年末年始はなぜか駅伝が多く開催されますね。ただ、ひたすら前を向いて走るだけの競技なのに、テレビを見入ってしまいます。日本人はこういうチームで頑張る姿が好きなのだと思います。

 追いついたとか、あっ抜かれたとか、それだけのことなのに涙を流してしまいます。元日に初日の出を見ました。東の空から太陽が上がっていく、それだけのことなので、「今年はキレイに見える」くらいの感想しかありません。母親は柏手を打ってお参りしていましたが、私は「今年はどんな年になるのだろう」と思ってみました。

 私は年賀状を止めてしまったのに、相変わらず年賀状を送ってくれる人がいます。受け取って眺めてみると懐かしく、どんな様子か想像がつきます。お礼のハガキを出さなくてはと思いつつ、なかなか時間が作れなくて書けずにいます。

 3日に長女の家族がやって来て、新年会を行ったので、結構忙しかったからです。今日はのんびりできる一日だったのに、新年会の後片付けに追われました。午後こそお礼のハガキを書こうと思っていたのに、カミさんに「テレビを見るわよ」と言われ、従うことにしました。

 昨日、長女のダンナが「韓国ドラマ『愛の不時着』など、見られるようにしておきました」と言ってくれたので、その好意に甘えることにしたのです。ウクライナのゼレンスキー大統領をモデルにした『国民の僕』や、東大紛争で三島由紀夫と全共闘の公開討論も、「見られます」と言います。

 まあ、毎日何もやることは無いのだから、テレビを見るのもいいのかも知れません。『愛の不時着』はしっとりとした恋愛ドラマを想像していたけど、まるで漫画のようなので拍子抜けです。それでも見始めた以上、最後まで見ようと思っています。

 私のブログを読んでくださる皆さんに、新年のご挨拶でした。時にはどうかコメントもお寄せください。毎日のネタ探しに困っています。今年もよろしくお願いします。

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