友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

剣を取る者は皆、剣で滅びる

2023年01月21日 17時41分04秒 | Weblog

 世界にキリスト教徒は25億人いるという。なのにどうして戦争は無くならないのだろう。世界は今、近代戦争の恐ろしさを熟知しているのに、ロシアのウクライナ侵攻に対して、ウクライナは兵器の援助を求め、欧米は援助するという泥沼に向かっている。

 イエスが捕らわれようとした時、イエスと一緒にいた者が剣を抜いて抵抗した。するとイエスは、「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われ、連行されていった。戦えば、必ず犠牲者がでる。私の好きな、イエスの言葉がある。

 「あなたがたも聞いているとおり、目には目を、歯には歯をと命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をもむけなさい」と。

 さらに、「あなたがたも聞いているとおり、隣人を愛し、敵を憎めと命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子になるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」。

 なのにどうして2000年以上経ても、戦争は無くならず憎しみの連鎖は続いているのだろう。いったいキリスト教徒は、イエスの言葉をどう信じ、何を守っているのか。イエスは戒律を守るだけでは神の国に入れないと教えたのに、これだけ多くのキリスト教徒がいながら、どうしてイエスの時代と変わらないのだろう。

 キリスト教の基礎を築いたと言われるパウロは、イエスの直接の弟子ではない。パウロは「ローマの信徒への手紙」で、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威は無く、今ある権威はすべて神に寄って立てられたものだからです」(13-1)と書いている。

 これでは、プーチン大統領やゼレンスキー大統領に逆らえない。イエスが聞いたら、「神を穢してはならない」と、言われると私は思う。

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真面目に毎日を何となく送る

2023年01月20日 19時01分01秒 | Weblog

 大寒という割には暖かだった。来週からは強い寒波がやってくるという。大寒とか啓蟄とか、どういう成り立ちかも知らずに使っているけれど、昔の人はどんな暦を使っていたのだろう。1月を睦月、2月を如月と呼ぶけれど、1年を12カ月にどうして分けたのだろう。

 西暦では、7日間を1週間としているが、これが旧約聖書の創世記によることは知っている。神が「光あれ」と言われた第1日に始まり、6日間で万物を完成された神が、7日目に休まれたためだ。それでは1カ月はどのように決まったのだろう。1年を365日と決めたのはどのような根拠なのだろう。

 日本に西暦が無かった時は、どのような暦を用いていたのだろう。古代中国は高い文化があったから、その中国から伝わった暦を私たちの祖先は使っていたはずだ。それは月の変化を基本に考えたものだと思われるが、東洋人は季節に敏感だったから、暦も細かく設定していたのだろう。

 夕方になって、友だちが来たので、ブログに取り掛かるのが遅れてしまった。彼は友人やその家族がコロナに感染し、ひとりは亡くなり、ひとりは大変な状況にあると言う。コロナ禍は収束する方向にあるのかと思っていたが、なかなかそんな平穏には戻りそうにないようだ。

 人類が誕生して、幾度も苦難に見舞われ、それでも人類は生きてきた。戦って勝ち抜いてきたというより、何となく切り抜けてきた気がする。きっと人類の理想を求め、我武者羅に努力してくれた人たちがいたからだろうが、真面目に毎日を何となく送り、未来を信じてきた人たちが現実を支えていたのだろう。

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どうか平和で楽しく終わって欲しい

2023年01月19日 18時06分59秒 | Weblog

 長女のダンナが我が家のテレビで、韓国ドラマ『愛の不時着』やウクライナのドラマ『国民の僕』を見られるようにセットしてくれたので、今は『国民の僕』を観ている。どうやら1話が30分のドラマのようだが、いったい何時、どんな風に終わるのかとヤキモキして観ている。

 高校の歴史の教師だった男が、政治の腐敗撲滅を掲げて大統領選挙に出馬し、当選してしまう。教師役を現大統領のゼレンスキーが演じ、仲間の教師に行った政権批判が隠し撮りされ、SNSで話題になり、大統領選で当選してしまう。結果として、そうなってしまったのだから観ていてもややこしい。

 テレビニュースにゼレンスキー大統領が出てくると、ドラマなのかと錯覚してしまうほどだ。ドラマは極めてコメディータッチなので、本当にこんな大統領でいいのかと心配になる。信念は変わらないが、ドジでどこか頼りない。友だち思いで友情に篤いが、友だちと思っていた人に裏切られてしまうのはなぜなのだろう。

 私がよく分からないのは、腐敗と戦っていたのに、大統領になってしばらくすると、かなり裕福な暮らしぶりになってしまったことだ。これはドラマだから仕方ないが、実際の彼はロシアに愛着を持っていたのに、ロシア軍の侵攻に対して、「国土を守るのは国民の務め」と言い切って武力で対抗してしまうのも解せない。

 国民の命を守ることが大統領の最大の使命なら、もっと他の方法を考えるべきだ。ドラマのゼレンスキーはあくまでも正義感の強い人で、不正に屈しないが、権力のある人や財力のある人に助けを求める場面もある。理想ばかりを追い求めず、現実を見つめることも政治には必要だろう。

 ドラマのゼレンスキーと現実のゼレンスキー大統領がどうしてもダブってくる。ドラマも現実も、どうか平和で楽しく終わって欲しい。ドラマは後、何回続くのだろう。

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連れてきてよかった

2023年01月18日 18時28分19秒 | Weblog

 小牧市にある『メナード美術館』と新しくなった『中央図書館』へ行ってきた。『メナード美術館』は小さな美術館だけれど、企画がとても面白い。美術館が所蔵している作品を、企画に合わせて展示するだけのことなので、何度も同じ作品に出逢うけれど、毎回、そうだったのかと感心させられる。

 『中央図書館』は2021年に、名鉄小牧線の小牧駅前にオープンした新しい図書館である。私は司書免許を取得するため、前身の小牧図書館で実習させてもらった。その時に出逢った上司から、「本の中身まで知らなくてもいいが、図書館に来る人の相談相手になれる知識は身につけておきなさい」と指導された。

 新図書館の建設には市民から反対運動があったので、その辺の事情も聴いてみたいと思って出かけた。地下1階地上4階の随分立派な建物だが、駐車場に入りにくいし、駐車スペースも狭い。今日は難なく駐車できたが、出るのに一苦労してしまった。まずエレベーターで4階まで上がり、広い図書館内を上から一望する。

 テラスにも出てみたが、眺めがとてもいい。イスもあり談笑できる。館内に戻り、1周してみる。学習机が備わっていて、高校生らしい人たちがノートを開き勉強している。吹き抜けになった、中央階段から3階に降りる。ここでも同じように高校生が勉強している。大人はいないのかと見てみると、奥の閲覧コーナーに大人用の学習机がある。

 1階には子ども向けの本があり、閲覧室もある。また、スターバックスもあり飲食できる。本が好きな人や勉強が好きな人は、一日中居ても飽きないだろう。個室もあるから、他人を気にせずに夢中になれる。このユニークな図書館の設計は、新居千秋都市建築設計が担当した。

 小牧高校で美術を教えていた津田勝利先生の作品が展示されていた。素晴らしい図書館を見学出来て、カミさんは大満足の様子だった。連れてきてよかった。どうして反対運動が起きたのか、職員に尋ねたが分からなかった。

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ふたりが納得できていればよい

2023年01月17日 17時41分32秒 | Weblog

 「思っているだけでは伝わらないぞ。ちゃんと口に出して言わなければダメだ」と、先輩に言われたことがある。思いが強ければ、以心伝心のように思うけれど、相手だって、何となく解っていても、早合点ということもある。

 言葉で伝えることが大切なことだと分かっていても、なかなか難しい。若い男性は、「そんな面倒なことをするくらいなら、別に恋なんかしなくてもいい」と、ハッキリしている。「恋人がいなくて寂しくないの?」と聞くと、「却って自分の時間が出来ていいですよ」と言う。

 若い時はそれでいいのかも知れないが、「歳をとると寂しくなるよ」と、言いそうになって止めた。50歳も年下の人に、そんなことを話しても理解できないだろう。彼らには彼らの生き方があり、価値観も違う。「恋愛はしたことありますよ。でも、何で結婚するんですかねえ」と逆に問われてしまった。

 好きになれば結婚するのが当たり前だと思っていた。好きな人と一緒に、景色を観に出掛けたり、食事をしたり、映画や演劇を観たり、話をしたり、それがとても楽しかった。恋することの歓びと充実があった。

 「それは僕らも同じですよ。時々身体の交わりもあったりして、それで充分じゃーないですか?」と、言われてしまうとどう返答してよいのか困った。恋愛中に性行為は無かったし、するべきものでは無いと戒めていた。

 高齢者となった今、若い時のようなセックスは出来なくても、恋人同士のように付き合っている人たちもいる。松井久子さんの『最後のひと』の男女は86歳と75歳だが、慎み深い性愛に満たされている。

 恋愛は本人たちが満足なら、どんなかたちであってもよ恋愛以心伝心い。高齢者のふたりが、籍を入れる入れないも、ふたりが納得出来ていればよい。以心伝心に頼らずに‥。

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「ぴったりな人」を求め続けている

2023年01月16日 18時13分16秒 | Weblog

 月に百万円もの会社の接待費を湯水のように使ってきた先輩たちが、「最後の恋」を口にしても本気とは思えなかった。80歳を過ぎたジイジに関心を寄せてくれるような女性がいるはずがない。そもそも先輩たちは、恋などとは無縁の人生を生きてきたはずだ。

 もし、高齢者が「今、恋をしています」などと口にすれば、「気持ち悪い」とか「スケベジジイ」と言われるのがオチだ。世の中には「孤独な老人」が溢れているが、老人の恋など聞いたことが無いし、出来るはずも無いと思い込んできた。

 名古屋が生んだ前衛歌人、岡井隆さんの『わが告白』(新潮社)の帯に「男女の愛とは何だろうか―」とある。岡井さんは1928年(昭和3)に生まれ、慶応大学医学部を卒業した医師だが、現代短歌に思想性を導入した前衛短歌の旗手として名が知られている。

 1957年に同じ「アララギ派」の歌人と結婚し娘1人、翌年に別の女性と同棲し娘1人を授かる。北里研究所附属病院に勤務していた1970年、42歳の時に20歳年下の女性と九州へ隠遁し、息子2人娘1人を授かる。5年ほど経て医師として復帰し、歌人としても復活する。

 1989年に30歳年下の女性と出会い、98年に70歳で結婚する。歌会初めの選者を務めるようになり、2007年には宮内庁御用掛となる。前衛歌人の遍歴にはすさまじいものがあるが、『わが告白』にどのように書かれているのか、まだ完読出来ていないのが残念である。

 何歳になっても「恋」に憧れるのは男ばかりかと思ていたら、『疼くひと』の作者・松井久子さんが『最後のひと』を出版した。『疼くひと』では70代の女性が15歳年下の男性に溺れていく性愛の物語だったが、これはその続編のようだ。帯に「75歳になって、86歳のひとを好きになって、何が悪いの?」とある。

 人は年齢に関係なく、男と女として、「幸せになる」ために、「ぴったりな人」を求め続けているようだ。

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私たちは何が出来るのだろうか

2023年01月15日 17時22分04秒 | Weblog

 どうして人が人を殺すのだろう。憎いとか、気に入らないとか、金が欲しかったとか、様々な理由がある。でも、だからと言って、殺人が正当化されることは決して許されない。「殺してみたかった」というケースは、狂っているとしか思えない。

 ロシアのウクライナ侵攻は、何が目的なのかよく分からないが、攻められたウクライナは「国を守るため」に戦う。両親や友人そして国土を守るために、ロシア兵を殺す。しかし、目的が正しければ街を壊したり、人を殺してもいいのだろうか。

 ウクライナ侵攻の主力部隊は、ロシア国軍ではなく民間軍事会社『ワグネル』だという。『ワグネル』は、ロシアの刑務所にいる受刑者から志願兵を募っているというから、ロシア国家対ウクライナ国家の戦争ではない。『ワグネル』に国家を守るなどという意識は存在しない。

 『ワグネル』はヒットラーが好んだドイツの作曲家ワーグナーをロシア語読みしたものらしい。ワーグナーも再び利用されて、情けない気持ちだろう。世界を見ると、未だに紛争が絶えない地域は、民間軍事団体が暗躍している。

 紛争が収まってしまえば、民間軍事団体に金が入って来なくなる。そういう連中が世界の政治に大きく絡んでいるのだから呆れる。防衛費の増額を掲げて、アメリカの太鼓持ちになっている日本政府に、平和外交を迫る国民が多数にならないとダメだ。

 どんな理由であっても、人殺しは許されない。平和を実現するために、政府は何をすべきなのか、私たち一人ひとりの国民は何をすべきか、よく考えたいと思う。人の欲を無くせと言っても、根絶は出来ない。せめて、みんなが持てる、絶対に人殺しはしないという価値を共有したいと思う。

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人生の意味は生きていること

2023年01月14日 17時34分27秒 | Weblog

 午前中は雨が降っていた。陽射しが無いので寒く感じたけれど、真冬のような底冷えではななかった。すぐにでも春がやって来るような気がするが、来週からは寒さが戻るという。今日・明日は大学入試の共通試験で、その様子がテレビで映し出されていた。

 高校を卒業して大学に進学する人は、着実に増えているようだ。大学に進学しなければ、まるで将来が保障されないかのようだ。それでいて、出世も望まない、結婚もしない、車も持たない若者が増えているとも聞く。人それぞれの生き方があってもいいという主張だ。

 私は高校の1年の時に母を、3年の時に父を亡くした。次男だったので、これで自由に生きていけると思った。初恋の人から、「あなたは私に恋しているのではなく、あなたの描いた私に恋しているのよ」と別れを告げられ、この地で生きていく意味を無くした。

 東京へ行って、ストリップの看板描きになろうなどと夢想していた。兄貴に「大学へ行かないのか。国立の受験料くらいは出してやるぞ」と言われ、それなら受けてみるかという気になった。何も深く考えずに、美術科を受験し合格した。両親がいないので授業料は免除になり、奨学金も貰えた。

 大学でろくに勉強もしていなかったのに、高校で仲良しだった友だちに「常識問題しか出ない」と教えられ、毎日新聞社の試験を受けた。共に不合格だった。大学の図書室に置いてあった『図書新聞』を読むことはあっても、一般紙を購読していなくて時事に疎かった。『図書新聞』で森本和夫とか埴谷雄高とか吉本隆明を知った。

 大学を卒業し高校の教員になった。大学で出会った女性の父母に、両親がいないことや兄が失踪したことを話したが、結婚は許してもらった。誰もが周りの人々のおかげで、今日生きている。人生の意味は生きていること、ただそれだけのようだ。

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なかなか面白いから不思議だ

2023年01月13日 17時27分02秒 | Weblog

 小学校の図書室にあった『アンクル・トムの小屋』を読んだことや、ラジオ番組の『ルーテルアワー』を聞いていたことが、キリスト教に興味を抱いた始まりだった。聖書を見てみたいと思っていた。中学校へ通う道の途中にルーテル教会があった。

 私はドアを開けて、「聖書のことが知りたい」と告げた。牧師はアメリカ人だったが、教会には居なくて、日頃は30代くらいの女性がひとり居た。「だったら、お友だちも誘って中学生聖書研究会を作ればいいわ」と言うので、友だちを呼んで始めた。

 聖書に旧約と新約があることを知ったが、ルーテル教会では新約しか使わなかった。もっぱらマタイ伝をみんなで読んだ。しかし私の関心は、なぜ神は男と女を創ったのかにあった。男と女を創り、食べてはならない果実を食べた。そのため、人類は生まれた時から罪を負っている。

 確かに赤子の時は無邪気なのに、知恵がついてくると泣いたり喚いたり、駆け引きをするようになる。更に、人の悪口を言ったりウソをついたりする。他人のことより自分のことを優先する。そしてもう少し大きくなると、異性に関心を持つようになる。

 邪な心の存在を認めるから、どうしようもなく罪悪感に陥る。「神を信じれば、救われる」と教えられるが、神はどこにいるのか、なぜこの苦しみから救い出してくれないのか、ますます苦悩の深みに嵌まってしまう。そんな時だった、アメリカ人の牧師が「君は牧師になりなさい」と言った。

 私は「アメリカ軍がベトナムで、無差別な殺戮を行っているのは神の遺志なのですか」と牧師に尋ねた。牧師から明確な答えは無かった。高校を卒業するとともに、教会から去った。遠藤周作氏は「信仰は理屈ではなく、受け入れることだ」と言うが、無理だった。

 読んでみたいとは思わなかった旧約聖書だったのに、今、並木浩一氏と奥泉光氏の『旧約聖書がわかる本』を読んでいる。なかなか面白いから不思議だ。

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投書欄は世相を反映していて面白い

2023年01月12日 17時25分16秒 | Weblog

 新聞はその新聞社の意見だけでなく、幅広い人の意見が載っていて面白い。新聞社の意見は社説で知ることが出来るし、編集の仕方で何を大事にしているかを知ることも出来る。高校・大学と新聞作りをし、主張のない新聞は役割を果たしていないと思った。

 高校生の時、「普通高校は予備校でよいのか」と、新聞社の声の欄に投稿し掲載された。将来は新聞記者になりたいと思った。記者にはなれなかったが、新聞は今でも好きで、中日新聞と朝日新聞の2紙を購読している。

 朝日新聞の紙面が黒っぽいのは漢字が多いからで、中日新聞は漢字を少なくし、1つの記事の量も減らして、優しく読みやすくしている。朝日の『天声人語』と中日の『中日春秋』を読み比べてみると、その特徴が一目瞭然である。

 私が真っ先に読むのは投書欄だ。朝日の10日の投書欄には考えさせられた。82歳の女性は戦争体験者で、政府の防衛費をGDPの2%増額を心配し、「かえって挑発的で危険な印象さえ与えてしまう」「徹底した平和的外交の努力こそ、唯一の戦争被爆国・日本の役割であり、戦争を回避するための責務」とあった。

 59歳の男性は、「還暦の子育てで気づいたこと」と題し、58歳で子宝に恵まれたとある。友人からは「子どもが大きくなった時、どうする?」と心配された。子どもが20歳になる時は78歳なのだから当然だが、子どもを得た以上は行き先までの配慮もしているだろう。

 「若い頃は仕事や趣味で忙しく、結婚も遅かった」「子どもは大嫌い」だったが、「子どもたち一般への見方が寛容になった」「子どもは社会の宝、と責任感も感じています」と結んでいた。「60歳前後で第1子に恵まれた方が、私を含めて周囲に3人います」ともあった。

 時代は変わってきていると実感した。投書欄は世相を反映していて、面白い。

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