高校の文芸部の機関誌に、修学旅行を終えて初恋の人に「一緒に帰ろう」と話したのに、彼女と帰ることが出来なかった切なさを寄稿した。機関誌を探していたら,中学生の修学旅行を綴った『青い実の紀行文』が出て来た。
4百字詰めの原稿用紙33枚を綴じたもので、表と裏は菓子箱を使い、3ケ所を紐で結んでいる。表には青色鉛筆で「青い実の紀行文」とあり、下に「1959.5.22~5.24」とあった。
表紙を開けると、「1.5月22日という日」とあるから、3日間の様子を綴ろうとしたのだろうが、結果としては初日だけで終わっている。その書き出しは、「まだ、朝のすがすがしい匂いの残るプラットホームを僕達の汽車は、音も無くすべるように動き出した」で始まる。
「車内では席を立たない」決まりだったのに、みんながあちこちへと歩き回ったことや、昼食は親が作った弁当を食べたことが続く。「まもなく汽車が富士川を越し、左手前の空に、ものすごく大きな富士山の中腹が見えた。僕は初めて見る富士山に心が躍り、その雄々しい姿に心を奪われ、じっと見つめたまま動けなかった」。
富士駅で観光バスに乗る。「マイクを通して美しい声が流れてきた。後ろの席の男子は総立ちでガイドを見つめた。しかしその瞳は全く希望の無い、悲しげな表情だった。僕等の期待は破れ、背の低い、歳の多い、鼻が低くて大きな顔の見苦しい人ではないか。こんなに書くと人権蹂躙と言われるかもしれないが」と、滅茶苦茶なことを書いている。
宿では、「3組は形式に縛られず、非常識な行動に出る者が多い」「部屋に戻ると、げんこつを作って壁を叩いている。楽しいぞ。隣りの部屋の女の子等と通信してるんだ。ガムやアメをもらったぞと言うので、僕達も夢中になった。あんまり張り切り過ぎて、壁の間にはめてある柱をはずしてしまう奴もいた」と。
富士山麓は私に強い印象を与えたようで、新婚旅行も家族旅行も富士5湖巡りと決めた。