〜 秘蔵つ子のやうな青さや竜の玉 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(大阿蘇より)
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遠い子供の頃、小学校低学年の頃の記憶に冬ともなれば篠笹の薮に入り、ポケットに忍ばせた切り出しナイフの「肥後の守」を取り出し、節の長い笹竹を選び「笹鉄砲」を作り遊んだものである。
笹鉄砲は節に合わせて弾を押し込む心棒も作り、筒の長さより1cmほど短く作って、弾は八つ手の実や竜の玉を使っていた。八つ手の実は少し和らかく、竜の玉の方が固くて笹鉄砲の弾には威力があり最適であった。
パチンと打てばうす青い煙が出て、子供心にもとても満足したものであります。
竜の玉は、竜の髭と云う植物の細長い草状の中に、宝石のラピスラズリーのような瑠璃色の美しい実の事であり、庭園周りに植栽されることが多いいようである。
昔の田舎では畦などに生えて居り、竜の髭の草を目の色を変えて掻き分けて探したものであった。まさに貴重な秘蔵っ子であった。
竜の玉は園芸品としても美しく魅力的であるが、作者も笹鉄砲を作って遊んだ事があるように想われ、俳句を通じて同じ想い出を共有しているとも想い愉快である。
〜 今は亡き犬の首輪や日脚伸ぶ 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(大阿蘇より)※
あれほど長くて厳しい寒さも少しずつ日脚が伸び、春近しの感がある昨今となりました。
その明るい日差しの当たる庭を見るにつけても、今では亡くなってしまった愛犬の元気に庭を走り回っていた姿を想い出し、その愛犬が身に着けていた首輪を見て更に淋しさを募らせている作者の様子が見えるようであります。
家に飼う愛犬や愛猫は今や家族の一員となり、家族皆の話題になるほどでもある。
その為以前は「犬や猫に餌をやる」と云って言い方も今では殆ど「餌をあげる」と家族のように言うようになっているのです。
しかし、犬や猫の平均寿命は15歳程と云われ犬や猫の1年は人間の5分の1ほどであります。その死は家族皆哀しみに打ちひしがれ、所謂「ペットロス症候群」とも云われているのです。
この様に季節の変り目となれば、色々な事を想い出し哀愁の漂う時季でもあるのです。
その内向きとも思える哀愁も、俳句に詠む重要な題材となり得るでようである。
〜 稜線を残して寒の暮れゆけり 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(大阿蘇より)
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人々が暮らす近くに嶺の連なりや、大きな河川、或いは海などの光景が見えれば、季節ごとに表情が変わり、その景色を日々眺めて暮らす内にそれぞれの在所への愛着が湧いて来るものです。
揚句の稜線と云う措辞に、作者の近くにも山の嶺の連なりのある景色が想われ、日常的に眺めて暮らして居る事が想像されるのである。
又、季節に関係なく好天の日に嶺に夕日が沈みゆく光景は、いつ眺めていても飽きる事が無いほど美しいものである。
更に、「稜線を残す」との措辞に「入日のまさに沈んだ直後の光景」が想われ、寒空の茜に、稜線の黒い影の連なりが作者には見えて居り、「息を呑む」ほど美しく思う作者の心情さえ見えて来るのです。
〜 雪降るや茅葺厚き阿弥陀堂 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(大阿蘇より)
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阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を本尊とする仏堂の事であり、平安時代からの浄土信仰と共に多く建てられました。後年、武士や貴族階級により自身の浄土を現前する為に阿弥陀仏を安置する小さな方丈の建物が作られ初めました。
又、大きくて有名な寺院の中にも阿弥陀堂はあるものの、その多くは武士や貴族階級の領地や敷地内にあり、日常的な信仰の対象となって居たようであります。
その多くは現在より人里離れた山林内などにある事が多く、嘗て源義経が兄の頼朝より京の都を追われ、吉野へ静御前と共に身を隠したと云う吉野の山中にて、そのお堂を見学したことがあります。
あれ程の武士が都を追われ、深吉野の小さなお堂に潜んでいたことを想い大変哀れを誘われた体験があります。
揚句に、茅葺の厚い屋根に雪が深々と降り積もり、清浄且つ霊験あらたかな景色が想われ、心が洗われる思いである。
〜 犬逝くや遊びし庭に冬の雨 〜
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犬や猫は縄文の昔より人に飼われて居た歴史があり、かなり以前より人間社会に於いて共存していたと云われて居ります。
昔であれば、犬は番犬として、猫は穀物を食べる鼠の駆除など夫々役割があったものの、現代では殆ど愛玩用に飼われて居るようである。
しかし、愛玩用として家族の一員となって居るとは言え、人間社会とは平均的寿命が違い、犬猫の平均寿命は種類にもよるものの、15~6歳
であると云われ、人間の80歳代へも匹敵すると云われて居ります。
永い間生活を共にすれば言葉は話せなくとも、人の意思が分かるようになり、なおさら愛着が湧いて来るのです。
この揚句の場合、今は冬の雨が降っている庭を眺め、亡くなった愛犬の元気な頃の庭一杯走り遊んでいた光景が想われ、哀しみに暮れて居るのです。
季語の「冬の雨」が、悼む心情を良く表して居る。
〜 ひとしきり煙りて阿蘇の山眠る 〜
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阿蘇山は「火の国」と云われる熊本県の象徴的な火山の山である。
阿蘇五岳より成り立ち、外輪山と内輪山のあるカルデラ地形は北海道のクッチャロ湖につづき、我が国二番目の規模と云われる活火山の山である。
いつも噴煙が棚引き、時には大きな噴火もあって火山性微動をもとに常時観測され、警報も出されて居ると云います。
又外輪山の内側には広い平野も在って、牛の放牧なども行われ人々の日常の生活も営まれて居り、「阿蘇の赤牛」として有名である。
数万年前の有史以前よりこの様に噴火を繰り返し、現在に至って居るのです。
永い歴史の内には、人々の噴火による被害もあったであろう事が想われるものの、火の山阿蘇山は悠久の歴史の中に息づき、冬は俳句の季語として「山眠る」と云われながら、不死の生命体のように歴史を繰り返すその活動に想いを馳せて居る作者の姿がこの句に推察されるのです。
〜 巌一つ寒満月を繋ぎ止む 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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寒の時季の満月は厳しい寒さの中、青白く凛と冴えとても美しいものである。
揚句を考察してみれば、「巌」とは大きな小山程もある岩が想われるのだ。
或は海岸近くに在れば、小さな島程もある大きな岩さえ想う事も出来るのです。
この様に一句の中に使う措辞や漢字は、大きな意味を持ち大変重要なのです。
更に考察を深くすれば、大きな巌の上に寒満月が在り煌々と輝くその場に臨み、美しい情景をを愛でている作者の視点が想われるのである。
又その景色が海岸近くであれば、潮騒の音も同時に想われ、幻想的な詩情がいやが上にも見えて来るのです。
良い俳句とはこの様に、「言いおおせて未だ何かある」と読者に想わせ幾らでも
想像がふくらんで来るのです。
〜 沖よりの朝日を浴びて寒稽古 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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日本武道の空手、剣道、柔道などは本来季節に関係無く我が身を護る為の武術であり、「常在戦場」の武道であります。
暑さ寒さなどを厭う事は許されず、どんな環境にあっても自身の技量を磨かなければ、我が身を護る事は出来ないのである。
寒稽古と云われる武道は現代のスポーツ界では、日本古来の武道の場合のみに言われるようであるが、心身ともに鍛える事が出来ると云われて居り、その良さを認められ、今でも奨励されているようである。
揚句の場合、朝の厳しい寒さの中、沖より差し昇る日差しを浴びながら海岸の砂浜を一団となって走っているのか、又は全員が同じ形稽古を行っている光景が想われる。
厳しい寒さの中にありながらも集団にて我が身を鍛えれば、その後には清々しい気分に浸れるようだ。
〜 ペンギンのつんのめりゆく寒さかな 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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ペンギンは主に南半球の海域に生息する海鳥であり、南極に棲むコウテイペンギンとアデリーペンギンは特に有名であります。
海に潜り魚を餌として捕獲しているものの、陸上や氷の上では他の鳥類にはない特徴として、短い脚でひょこひょこ歩き、その光景は可愛いらしくてとてもユーモラスであります。
羽も海に潜ることばかりの生態により飛ぶ事がなく退化していて短く、その両手と短い両脚での歩行は所謂「ペンギン歩き」とも云われ、皆から愛され動物園でも人気が高いのです。その為マスコット人形にもなる程でもあるのです。
揚句の作者はそのペンギンの生態を映像か又は動物園などで眺め、愛らしくて可愛いペンギンも「寒さ故につんのめりながら歩いている」のだと想い、又作者自身も寒さの中に居る事が想われるのである。何れにしても、寒い時季ならでは一句であります。
〜 原城址火箭のごと降る冬の雨 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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先ず、火箭(ひや)とは火矢とも云い、矢の先に炎を着け相手方に打ち込み火事を誘発させる戦法の一種の事である。
俳句に於いて史跡や名所を題材に詠む事は、ともすれば場所やそこで起こった事の説明に終わりがちとなり、意外に難しいものである。
「島原の乱」は江戸幕府の基礎も固まった1637年、時の島原藩主板倉勝家の過酷な年貢取り立てと弾圧の圧政に堪えかね、キリシタンである天草四郎時貞を中心に立ち上がって戦い、最後に立て籠った原城の跡地が原城址である。
原城には武士や浪人・農民・女子供まで混じり37000人が立て籠り、大変頑強に戦ったと云われ、最後に松平信綱の出番により、漸く鎮圧出来たと云われている。
勿論、島原の乱鎮圧後藩主板倉勝家はその責任をとがめられ処刑されたと言われている。
揚句を考察すれば、作者は冬の雨が「火箭のごとく」降りしきる時季に原城址を訪れ、荒涼とした光景を眺め、その当時の悲惨な現場に想いを馳せているのである。
〜 炭つぐや後ろ盾なき立志伝 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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立志伝とは志を立て、苦労と努力を行い成功した人物の物語である。
例えば我が国の歴史上の人物で云えば「豊臣秀吉」や「徳川家康」、現代で云えば「本田宗一郎」「松下幸之助」などであろうか?。
その例は枚挙に暇がない程である。
しかし、人は生まれながらにして成功者などは居らず、その人の切所の度毎に努力と知恵と才覚により、自ら運命を切り開き成功者となるのである。
その度毎に「後ろ盾」になる人、「協力者」を得て更なる飛躍を遂げるのだ。
又、たとえ大成しなくとも人は過去を振り返れば、その都度精一杯努力と苦労を重ねた者は、自らの「立志伝」を持っているものである。
揚句に火鉢にあたり炭を継ぎながら、孫やその友人らを前にして老人の若い時の「個人的立志伝」を少し自慢そうに語る光景が想われ、微笑ましいのである。
それほど「後ろ盾なき立志伝」とは、深くて重い意味のある措辞である。
〜 丘一つなべて貝塚冬うらら 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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今朝の当地京都洛西は良く晴れ、雲一つない穏やかな冬晴れである。
何時ものように散策ウオーキングに出掛けたが、風もなく寒さ対策を充分に行って出掛けた為、丘に向かって歩くうちに汗ばむ程の小春日和であった。
ここ数日の寒波の中に、「ポッ」と天の神様が恵みを与えて呉れたような穏やかで暖かい日差しであった。
さて、揚句の鑑賞を行って見れば、小高い小さな丘のすべてが貝塚だと云われて居るようである。
作者の住まう九州熊本は火の山阿蘇を控え悠久の歴史があり、縄文・弥生時代より人々の営みが連綿と続いた事が想われるのである。
小高い丘となっている貝塚を目の当たりのしながら、作者は穏やかで麗らかな冬の日差しを満喫している様子が目の前に見えるようである。
〜 寒晴や手で物を言ふ写楽の絵 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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東洲斎写楽は江戸時代後期の浮世絵師として人気があり、大活躍をしていた。
歌舞伎役者の図柄が多く、現代になって郵便切手の図柄にも採用された事により添い大好評を博し、更に人気が出たようである。
歌舞伎役者の目が真ん中に寄り、手ぶり身振りの「見得を切る」図柄なのである。
舞台の演目により台詞を決め、舞台全体を引き締める所作として間毎に絶対必要であると云われて居る。
揚句の季語の「寒晴」は、冬の厳しい寒さにじっと耐え、我慢の日々を送って居る人々に天よりのご褒美の様な晴れの日差しの事である。
写楽の絵の「手で物を言ふ」との措辞と巧みに呼応して居り、冬の晴れのひと時が想われるのである。
〜 声大き人来て揃ふ四日かな 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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正月は三ヶ日とも云われ、昔より何業でも三日間は正月休みであった。
現代ではスーパーなどの小売店は元旦より営業を行って居り、この傾向は少しづつ拡がりを見せている。
嘗ては四日となれば、初出勤の上全員にて掃除を行い、上司同僚らと新年の挨拶を交わし、午後からは会社の全員で初詣を行い、今年の会社発展の為の参拝とお祓い受ける事が多かったものである。
そしてその後は同僚らと街中に繰り出し、新年会代わりの一杯を行っていた。
挙句には初出勤にて全員が揃い、賑やかな会社の始業の様子が想われるのだ。
中には大きな声で話す社員、そこに居るだけでも華やかになる女子社員、又、誰よりもひょうきんであり、明るい社員も居り普通の会社の光景となるのだ。
「声大き人来て」との措辞が、初出勤の光景らしいのである。
〜 朝日差す富士のごとくに鏡餅 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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神社などの本殿の正面には、御神体として丸い鏡が設えてあります。
鏡餅の由来も年神様の憑依すべき丸い鏡に由来してい居るそうである。
又、富士山は我が国日本の象徴としての意味もあり、古代より山岳信仰の目出度さの意味もあると云う。
更に、正月二日の初夢に見る目出度さは1富士、2鷹、3茄子の順とも云われ、富士山は日本人にとってとても目出度い対象なのであります。
正月の初明かりが部屋に差し込み、鏡餅を照らせば、富士山のようだと目出度さを改めて感ずる作者の心情が見えるようである。
〜 復興の五十万都市初日差す 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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全国何処の地に在っても、通勤、通学、野良仕事にと近在の山河や海など日々に眺め愛で、心の拠りどころとなって居る景色は誰にでもあるものだ。
その光景は次第に心の中に焼き付き、故郷の想い出の景色となるようである。
「今日の海は白波が立ち荒れて居る、今日の山には傘雲が掛かっている、今日の川は水量が多く、濁って居る」など、様々な様相を見る事が出来るのだ。
揚句は作者在住の熊本城で名高い熊本市の光景と想われるが、先年の大地震により熊本城は多大な被害を受けたものの、復興を遂げつつある熊本の地域全体に初日が差していると、その復興を寿ぎ詠って居る喜びの心情が溢れている。
〜 忘年の貌引つさげて来たりけり 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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例年12月の今の時季ともなれば、会社勤めの人を中心に忘年会の季節である。
去年はともかく、今年はコロナ禍も収まる様子を見せ飲食業に於いて充分な対策を講じて居れば、小規模な宴会も可能となったようだ。
嘗て現職の百貨店の東京店在職の頃、31日までに販売予算を達成すれば打上げとして日本橋(すき焼きの日山)に於いて「お疲れ様忘年会」を開催する事になっていた。
当時売場単位を社内では品番と呼んでいたが、5品番で一つの課となっていた。
売上目標を達成出来た品番より主任、係長以上のどちらかが早めに日山に行き、待機する事になっていた。
3品番は早めに目標を達成出来たものの、2品番が苦戦を強いられ、全品番の全員が参集出来たのはかなり遅くなってしまった。
その時苦戦となった品番の主任と係長は、参集時には大変安堵の貌であり、今でもその時の顔が忘れる事は出来ない。
そう!「顔」ではなく、まさしく心情の出ている「貌」であったのである。
何業に於いても、12月は狂ったように多忙となるものの、小売り業の百貨店は31日の最後まであきらめる事はなく、勤しむのである。
〜 ストーブを消して他人のごとき部屋 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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独身男性が結婚を決意する時の動機の一つに、仕事が終わり、アパートに帰ってみれば、冬の今ごろの部屋は寒々と冷え切って居り、「心まで冷え切ってしまうようだ」との、理由による事が多いいとは嘗て良く聞いた事である。
家に帰ってみれば灯りが点き、部屋が暖かいと云うだけでもほっと安堵の心境になるようである。自身の帰りを温かく待っている家庭がある
と云う事は、それだけでも幸せのなのである。
「ストーブを消して」とは、独身男性が辛い想いで出勤に出掛ける時の心情が見事に表され、その状況等を余すところなく伝えているのではないか?
〜 全身に広がる寺の寒さかな 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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広くて何もない部屋を指して「がらんどう」とも云う事があります。
この言葉は、お寺の本堂の大きな伽藍のある部屋を「伽藍堂」と呼ぶ事に由来していると云います。
お葬式や法事を行えば家の仏壇にてお経をあげ、その後お墓参りを行い、そして更に檀家寺にお参りに行き、寺の中の「開山堂」にてその家の位牌の前で又お経をあげます。
その都度親類縁者は住職と一緒にお経をあげる事になるのです。
法事はその年の家で収穫された五穀を仏壇に捧げ、故人及びご先祖様にお経をあげて供養とします。
又、寒い時季ともなれば年配者は亡くなる事も多く、法事と共に冷えて、寒々としたお寺参りになる事が多いいのである。
伽藍堂は日々住職がお勤めのお経をあげる場所でもあるが、大きくてだだっ広く、その間は暖房など殆ど効かず、たいてい火鉢ぐらいのものである。
揚句に、如何にも寒々とした冬の広い伽藍堂が想われ、寒さが身に染みるようである。
〜 追はざれば振り返る猫漱石忌 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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12月9日は、俳句も嗜んだ明治の文豪夏目漱石の忌日である。
俳人正岡子規とも親交があり、句会の時は松山の下宿先の名前「愚陀仏庵」より俳号を採り、愚陀仏と称していた。
文学作品では、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」などが特に有名である。
忌日俳句の作句の場合、その人の業績、作品、評判などに因み詠む事が定石であり、揚句は即、「吾輩は猫である」との漱石の作品を連想させ、又猫科の動物の生態を如実に物語って居ると云える。
追いかければ逃げ、そして時々後ろを振り返り状況を確認するかのような仕種を見せるのだ。人間も人生に於いて時々振り返り、自身の状況を確認する事も必要な事を示唆しているのではないだろうか。
画像=月刊「俳句界」と『肥後の城』広告(22P)
〜 手袋の方方はづし道示す 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
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今朝の当地は北風が強くて寒く、毎朝出掛ける散歩ウオーキングの時も手袋を着けて出掛けた。
勿論、ネックウオーマーもつけ、厚手のジャンパーの下に何枚も着込み、ふくら雀の様相である事は言うまでもない。
首筋、両手などを被い、外気より保護を行えばとても暖かく、歩いて行くうちにじっと汗ばむ程の暖かさとなり、北風の寒さも気になる事はない。
いつも住まいのある街並みを抜け、15分も歩けば洛西の田園地帯に出て、田道を歩くコースが多いいようである。
何度も通るうちに、あの道をどう抜ければ何処に出て、春の犬ふぐり、秋の彼岸花を見物する為には、何処へ行けば良いかなども分かって来たようである。
当地の地域は散策コースも多く、遠方より訪れる人も多くて、よく道案内を行う事がある。
揚句のように、冬場であれば手袋を外し、丁寧に案内を行えば、道を尋ねる人も案内を行う人も、ほっこり暖かい心情になるである。
情けは人の為ならず為ならずとも云われ、丁寧に親切に応対を行えば、冬の寒さの中でもお互いに心楽しく、暖かく暮らせるのである。
〜 母のあと追ふごと銀杏落葉散る 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(花の城より)
※
今年も十二月中旬を過ぎ、残すところ十日あまりとなった。
身ほとりの山野や街中の黄葉・紅葉もすっかり葉を落とし、寒々とした枯木の、冬景色の様相となった。
揚句の銀杏落葉の句に、嘗て驚くほど感動の上その場より立ち竦んでしまった
経験が一瞬にして想い出されるのだ。
数年前の12月初め彦根城まで紅葉見物に出掛け、石垣や天守閣を見物して回り、その後、井伊直弼の居宅跡と庭を見学する機会があった。
思いの外、ちまちまとこじんまりとした部屋の佇まいに意外に質素な暮らしがぶりが想われた。
暫くして庭に目をやれば、銀杏の大木より銀杏黄葉が風も無いのにばたばたと一斉に降るように落葉している光景が目撃された。
その一瞬、自然界の大きな営みに感動を覚え「呆然と立ち竦んでしまった」のである。
落葉広葉樹は、冬の寒さと太陽光が少なくなれば葉の炭酸同化作用の働きが弱くなり、風雨によるのみならず、ある時季が来れば自ら葉を切り離し、裸木となって長い冬を凌ぐのである。
その銀杏の落葉の自然界の営みの瞬間に立ち会い、非日常の光景に出会えた事は生涯にわたって初めての経験であった。
「母のあとを追ふ」との措辞に、朽ちて母なる大地へ還る銀杏落葉の哀しいまでの詩情が深く想われる。
〜 悴みておのれに執すばかりなる〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(肥後の城より)
当地の今日の天気予報は最低2℃、最高でも7℃と、ここ数日の半分以下の予想気温である。朝より吹雪が舞い、いつもよりかなり冷え込みが激しく起きて、即ストーブに点火するほどであった。
暫くして昼前には明るくなり晴れて来たものの、日差しの中にも雪が時々舞い寒さはこの上無い程である。
急激な冷え込みとなれば、生物の中でも特に人間はストレスにより抵抗力を失い、病気に罹る事が多くなると云われている。
インフルエンザや、今流行の新型コロナウイルスは気温が低いほど伝染力が強くなるとも云われている。
そして急激な冷え込みにより、人は動作も緩慢・億劫になり心情もネガティブになり易いようである。手足が悴むほどの寒さになれば、これらの事により自己を守る為に防衛本能が働き、自身の身の回りのみに執着するようである。
今朝の急激な冷え込みに、とても共感の一句ではある。
〜 落葉踏む音に消えゆく我が身かな 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(城下町より)
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つい先日まで散策の度に眼を楽しませて呉れていた身ほとりの紅葉、黄葉もほぼ落葉となり、日毎に枯木立の景色が増えて来ている。
真っ青な空に葉を落とした枯木立を下より見上げれば、驚くほど美しいものの時には肌寒さも覚える冬独特の光景となりつつある昨日である。
今年は初冬から仲冬にかけ、あちこちの銀杏並木を眺める為に出掛け、時にはバスに乗ってまで出掛けた事もあった。
今ではすっかり葉を落とした銀杏並木の銀杏落葉を踏みながら歩けば、そのふかふかと感ずる足裏に、我ながらまるで哲学者となったような高尚な雰囲気を覚え、銀杏落葉を踏み行く事は飽きが来る事は無いようである。
揚句の「音に消えゆく我が身」との措辞に、あらためてその時の光景と感触を想い出すのである。
〜 人込みを肩に分けゆく寒さかな 〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(肥後の城より)
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愈々12月も13日を過ぎ、関西では正月準備にかかる「事始」の季節となった。
お歳暮配り、年末大掃除、正月を迎える飾り物の手配などを行う時季である。
又、何業に於いても狂ったように忙しくなる時季でもあり、歳末大売り出し、年内納めの仕事、売掛金回収など一度に忙しく、嘗ては節季とも云われていた。
街中へ出掛ければ、何処へ行っても人出が多く目的地へ急ぐあまり人込みを肩で掻き分けるように歩くのである。
寒さが募り来る中、街中を行くすべての人が忙しく苛立ちのような表情にて歩き、如何にも師走の街中らしい様相の一句である。
〜寒鯉や黒透くるまで動かざる〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(肥後の城より)
嘗て、趣味としてヘラブナ釣りに凝って居た時期があった。
季節ごとにへら竿、へら浮子、練り餌に工夫を重ね、釣果を競っていた。
概して殆どの川魚は水温が低くなれば動きが鈍くなり、餌を食べくなって釣りそのものが難しくなる。難しいからこそ工夫のし甲斐があるのだ。
冬の寒い時季は当たりが出ずらく、誘いや「聞合せ」を行う事もよくある。
寒の時季の鯉も水が冷たければ殆ど動かず、泉水の中でも水底にとどまり死んだように動かない。
揚句は泉水の中の光景と想われるが、寒鯉の真っ黒な背中が見えるようであり、「黒透く」との措辞が効き、如何にも寒そうな景色さえ想われる。
〜起きぬけの肩の強張り三島の忌〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(肥後の城より)
※
金閣寺、潮騒、優国、豊饒の海など多くの文学作品を残し、ノーベル文学賞の候補ともなった作家の三島由紀夫であるが、思想的には我が国日本の将来を憂い我が国を守る独自の戦力を持つべきだとして、三島由紀夫自身が中心となって民兵組織の「盾の会」を結成し、自衛隊に於いて訓練も行っていた。
そして1970年(昭和45年11月25日)に自衛隊の決起を促す為として盾の会の数人と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、バルコニーに於いて激を飛ばした後、森田隊員と共に割腹自殺を遂げたのである。
当時は大変衝撃的な出来事として、多くのニュースに取り上げられ、今でもその当時の記憶がありあり残っている。
揚げ句に、一瞬にしてその時の「盾の会」の制服の強張ったような勇ましそうな姿がとてもリアルに想い出されるのだ。
現代に於いて「憲法改正」の論議がかまびすしくなっているが、割腹自殺は別としても、今一度彼のその主張を耳を傾けて見る事は必要ではないだろうか?
〜冬深し土間が売場の蒟蒻屋〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(肥後の城より)
晩秋より初冬に掛けて収穫された蒟蒻芋で作るものが蒟蒻である。
現在でも地方都市へ行けば、豆腐屋、蒟蒻屋と共に室内にて作る
土間のある場所で、製造しながら販売も行う家業が見られるのだ。
蒟蒻芋はシュウ酸を多く含んでおり、そのままでは適さないため灰汁などを利用の灰汁(あく)抜きを施さなければ食用とはならない。
その為、豆腐屋家業と共に水を多く使うため、昔ながらの土間のある造りが適しているのである。
現在では灰汁抜きが施された蒟蒻も製造され、手間のかからない。
物が多く出回っている。冬の寒い時季の為、湯気の上がる土間の光景がありありと想われるではないか!!
尚、余談ながら「蒟蒻」も冬の時季のものながら「蒟蒻」のみでは季語とはならず、「蒟蒻掘る」「蒟蒻干す」などの言葉が付されて初めて季語となるのである。
更に、一句の中に季語の言葉が二つあっても俳句は「十七文字」と短い為「どちらにウエイトが掛かっているか?」が分かり、作者の意図がはっきり分かれば、「可」とされる事も考慮しておいて良い。
〜悴みて身の置き所なき世かな〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(城下町より)
寒さが募り、朝方の冷え込みは日毎に厳しくなりつつある。
朝の洗面でも、水道水の冷たさが手の切れる程となって来た。
お湯を出すか、或は時々手の悴みを癒やすように一旦間を置くことが良くある。
身も心も悴んで当に「身の置き所無き」寒さと冷たさなのである。
そして、このような時こそ寒波到来を実感する時でもある。
更に人間の心理として、寒い時季は暖かい時季より外出の機会が少なくなり勝ちであり、その為行動も心理的に制限され、内向きとなる事が多くなるようだ。
このような状況下では寒い戸外の事もさりながら、自身の身の周り世相も良く見えるようになり、ニュースへの関心も深まるのだ。
そして俳句を詠む時にも心理描写を投影した句が多くなるようである。
〜路地に出でおのれに戻る寒さかな〜
永田 満徳 第二句集『肥後の城』(城下町より)
寒さの募る朝、暖かい自宅を出て出勤の為に駅に向う途中の路地である。
さっきまでそんなに寒さを覚えなかったものの、急激に冷え込んで来たのだ。一瞬にぼんやりしていた眠気も吹っ飛び、我に返り、今日の業務の段取りなどを考えながら駅に向かって歩きだす。
誰にでもある通勤者の朝の光景が、昔の我が事のように蘇る冬の一句である。
〜仮名書きを習ふにいろは冬うらら〜
第二句集『肥後の城』(城下町より)
※小さな子供の頃の手習いであれば「あいうえお」の所、「仮名書きを習ふ」とは大人になってよりの、書道の手習いであることが一瞬にして分かります。
書道の漢字であれば、楷・行・草と順を追って習うところ、書道の平仮名書きはまったく別物のような書き方である。
又、平仮名は漢字の草書をもとに我が国で考案された独特の文字とも云われ、更に物事の始まりを「いろはのいから」とも云い、「冬うらら」との季語により新しく始める習い事の嬉しさの心情までくみ取れるのである。
この様に、俳句の短い十七文字からでも良く読み込めば、作者の色々な思いが込められて居る事が分かるのです。
〜ペンシルの芯折れやすき夜学かな〜
第二句集『肥後の城』(城下町より)
※夜学と云えば、本人の向学心とは裏腹にどうしても暗いイメージとなり勝ちである。
働きながらでも勉学に励みたいとの、殊勝な心がけとは云え色々事情を抱えての事であり、社会としても応援すべき所のものである。
小生も高校卒業後、上京の上東京神田駿河台にある大学の第二学部つまり夜間に通っていた。
仕事が終わって、空腹はもとより今の時季であれば寒さと疲れも手伝い、職場の同僚らと同じく早く帰って暖かい家庭にて寛ぎたいと心構えが揺らぎ、情けなく思った事であった。
ペンシルの芯の折れとは「夜学生の心構えの折れ」とも想われ、その心情が痛い程理解出来るのだ。
それにしても、貧しくて学問を学ぶ機会の無かった年配の人もかなり居り、その方達への夜間中学は打ち切りとなると聞き心が傷む事である。
〜オートバイ落葉の道を広げたる〜
第二句集『肥後の城』(城下町より)
※十一月も仲冬ともなれば、紅葉・黄葉は散り初め、木の葉しぐれの様相となる。
日毎に木の葉が散り積もり、至る所に落葉の光景となる。
何処の道路も街路樹の葉が積もり、落葉道となるのだ。
落葉道は散策にとても適して居り、思索などを行いながら歩けば、如何にも冬の風情を満喫する事が出来る。
その落葉の道路をオートバイが疾走すれば、舞い上がり道を広げながら走るようであり、如何にも冬ざれの光景が想われる。
〜毛糸編む妻の横顔すなほなる〜
第二句集『肥後の城』(城下町より)
※子供達も成長独立し、今や夫婦二人の生活である。
朝食も終わり、家事も一段落の細君の様子である。
夫はテレビを観て居り、その傍らにて細君は無心に毛糸編みの最中です。
近くにはストーブの火が暖かく、薬缶には湯気が出て、静かな憩いのひと時が目の前に見えるようである。
時には激しく言い争う事があっても、無心に毛糸を編む妻の、何と素直な表情であることでしょう!!。
〜冬籠あれこれ繋ぐコンセント〜
※先ず鑑賞者自身の環境より考察すれば、パソコン、照明のライト、プリンター。時には電気ストーブ等々、雑多とも思えるほどのタコ足配線の様相である。
現在タップを利用しているものの、冬籠ともなれば今の寒い時季には、当に「電気喰い人間』の生活の様相となるのである。
然し世の中には、この様な冬籠り状態の中で仕事を行っている人も沢山居るのではないだろうか?
カーボンニュートラルへの未来と云っても、現状では電気に頼る生活様式が続く事が想われ、その実現への道のりは大変困難を来たすようである。
挙句を鑑賞してみれば、色々想いを深くさせるような一句である。
〜みづからを叱るごとくに咳き込みぬ〜
第二句集『肥後の城』(城下町より)
これからの季節、寒くなれば咽喉や気管の粘膜が
おかされ、急激に咳き込む事があります。
又、年齢的な理由にもより寒い時は嚥下の力が
落ち、急激に咳き込む事もあるようだ。
一瞬の事に、「あれ!どうしたのだろう?」と
思い、「何か悪い事でも行った所為だろうか?」
と、自らを返り見て戸惑うことがある。
その瞬間を「みづからを叱るごとく」とはとても
納得のゆく所である。
これも寒さのなせるわざであろうか?
〜ストーブの触れたき色になりにけり〜
〔永田満徳訳〕
translated by Mitsunori Nagata
traduit par Mitsunori Nagata
※日毎に寒さが募り、特に冷え込む朝夕は暖房が欲しくなって来た。
手足も冷たく、背中もぞくぞくする程の寒さを感ずれば、ストーブに火を点け、赤くなれば直接触れたい心情になる。
厳寒の時季は勿論、特に今頃の時季の日中と夜の気温差が激しい時に、そのように思える事がある。
更にストーブと云えば小学生の頃、学校では「達磨ストーブ」があり、ストーブを囲んで先生も一緒に昼食の弁当を食べた、懐かしい光景が想い出されるのである。「ストーブ係り」などの言葉も懐かしい。
第二句集『肥後の城』(城下町より)
※日毎に寒さが募り、遂に木枯し一番も吹く寒い季節がやって来た。
人々が寒さを感ずる事は、絶対温度ではなく、個々人の寒さに対する心構えのようなところがある。
その為、急激な寒さには未だ身体が慣れて居らず身構えてしまうようである。
北風の吹く時の外出に襟を立てて身構え、「御身大事」と戸外へ一歩踏み出す様子が、ありありと見えて来る。
桑本栄太郎の【『肥後の城』一句鑑賞】
〜立冬や大丼の男飯〜
※第二句集『肥後の城』(城下町より)
※嘗て、若手新進女優のテレビによる談話を聞いた事がある。
司会者の「貴女は旦那様のどこが良くて結婚なさいましたか?」
との質問に対して「とにかく、食べ物を如何にも美味しそうに食べる人なのですよ!」と応えて居りました。
若い女性に取って、食欲があり美味しそうに食べる相手も魅力のひとつのようである。
挙句、立冬と云っても11月初旬の事であり、秋たけなわの季節で紅葉、黄葉もこれからの活動的な時季でもある。
「大丼の男飯」との措辞が効き、丼飯を搔き込み如何にも生活力があり、頼もしい健康的な男性が想われるではないか!
この度、永田先生の句集『肥後の城』の一句鑑賞を担当させて頂く事になりました。
皆様の俳句鑑賞の一助となればと引き受けました。
宜しくお願い申し上げます。
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