No,67
ピサネッロ、「聖エウスタキウスの幻想」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
何とも幻想的な絵だが。
ローマ帝国の将軍であったエウスタキウスはある日、狩猟の最中にキリストの幻想を見た。美しい牡鹿の角の間に、光る磔刑像を見た。
それに打たれたエウスタキウスはキリスト教に改宗したが、それからは苦難の連続と言う人生となった。財産を失い、愛するものを失い、あらゆる難がふりかかっても信仰を捨てなかったが、結局は捕らえられ、悲劇的に殉教した。
これは、人間にとって、その運命を強く示唆する絵である。
エウスタキウスに限らず、人間は時に、よく磔刑の幻想を見るのだ。それは、人間の心に、深くうがたれた罪の記憶だからだ。決して忘れることはできない。
この現実を認めるとき、初めて、罪の浄化が始まる。素直に正しいことに向かう時、甘やかにも厳しい運命の浄化が始まるのだ。
自分がかつてなしたことが、帰って来るのだよ。それは実に苦しい。だが、正しいがゆえに、幸福だと思う時、人間は真に救われる。それがキリストの約束だ。
運命を受け入れる準備が整った時、まるで約束のように、人は磔刑の幻を見る。
これはそういう人間の運命の約束を描いた絵だ。あなたがたも、いずれこの幻を見るかもしれぬ。そのとき、否と言うか、諾というかで、自分自身が決まってくるだろう。
このイメージを、胸にやきつけておくとよい。
ピサネッロ、「聖エウスタキウスの幻想」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
何とも幻想的な絵だが。
ローマ帝国の将軍であったエウスタキウスはある日、狩猟の最中にキリストの幻想を見た。美しい牡鹿の角の間に、光る磔刑像を見た。
それに打たれたエウスタキウスはキリスト教に改宗したが、それからは苦難の連続と言う人生となった。財産を失い、愛するものを失い、あらゆる難がふりかかっても信仰を捨てなかったが、結局は捕らえられ、悲劇的に殉教した。
これは、人間にとって、その運命を強く示唆する絵である。
エウスタキウスに限らず、人間は時に、よく磔刑の幻想を見るのだ。それは、人間の心に、深くうがたれた罪の記憶だからだ。決して忘れることはできない。
この現実を認めるとき、初めて、罪の浄化が始まる。素直に正しいことに向かう時、甘やかにも厳しい運命の浄化が始まるのだ。
自分がかつてなしたことが、帰って来るのだよ。それは実に苦しい。だが、正しいがゆえに、幸福だと思う時、人間は真に救われる。それがキリストの約束だ。
運命を受け入れる準備が整った時、まるで約束のように、人は磔刑の幻を見る。
これはそういう人間の運命の約束を描いた絵だ。あなたがたも、いずれこの幻を見るかもしれぬ。そのとき、否と言うか、諾というかで、自分自身が決まってくるだろう。
このイメージを、胸にやきつけておくとよい。