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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

うさぎ竜と天使

2014-02-16 08:39:25 | こものの部屋

あなたがたの言う、死後界とは、とても美しく、広大な世界です。
そこには、地球よりも広い場所があり、地球人よりも多い人々が住んでいます。
とても豊かな、明るい世界です。

もちろん、そこに住んでいるのは、人間の霊だけではありません。植物の霊も、住んでいます。
植物の霊は、あなたがたよりは、段階が進んだ存在です。
神は、人間よりも先に、植物の魂を創ったのです。

一度、植物の生き方を、つぶさに見てごらんなさい。
彼らは、一度根付いた場所からは、動くことができません。
与えられた条件を、よきこととして受け入れ、最善のことをなしつつ、豊かに創造してゆく。
それぞれの植物によって個性的ですが、彼らはいつも、上を、明るい方をめざしてのびてゆく。
大地にしっかりと根をはってゆく。

なぜ、彼らには、あのような生き方ができるでしょう。
それは、神が、彼らには、人間にはない美質を与えたからです。

植物存在というものを、単なる環境素材としてではなく、美しい愛の存在として、一度正しく見てみなさい。
そこにどのような熱い存在があるかを、それがどんなに人間と違うかを、感じてみなさい。

それが、あなたがたを、地球霊的天然システムへの入り口に、導いていくでしょう。


                           サビク





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薔薇を切る人

2014-02-16 03:41:02 | 月夜の考古学・本館

 予感というものは、時に耳元にみしりと音をたてて、やってくる。ような気がする。
「おい、あれ、やったの、だれだ」
 朝、子供達を学校に送り出した後の、つかの間の静けさの中で、舅の和夫がふともれるように言った。
 ふりかえると、家の裏手にあり、昼間でも光の入りにくい台所で、舅はまるで細い立ち木の影のように立ち尽くし、勝手口の外を指さしている。
「あ、あれ、わたしがやったんですよ」
 嫁の奈津は、流し台の前でてきぱきと洗い物を片付けながら、少しぞんざいに言った。
「あんまり窮屈そうだったんで……。前からやりたいと思ってたんです。昨日、スーパーによったとき、花の土の安売りをしてたから」
 舅が指さしていたのは、裏口を出たすぐの所においてある、小さな鉄製の花台だった。六十代で引退するまで、腕のいい旋盤工だったという舅が、若い頃に自分で作ったという花台の上には、古い松の盆栽と、小さな薔薇の鉢がのっている。その薔薇の鉢が、いつの間にか前より二回りも大きいものに植え替えられていることに、舅は気づいたのだ。
 自分のやりかたに口を出されるのが、何よりきらいな舅だから、必ず何か文句を言うはずだと奈津は身構えていたのだが、意外にも舅はおとなしく、「そうか、じゃあ、薔薇もくつろいどるな」と言うと、くるりと背を向けて、そのまま静かに台所を出ていった。
 あのとき、寂しげに台所を出て行った舅が、一体何を考えていたのか、奈津にはわからない。ただ奈津はそのとき、少し拍子抜けをすると同時に、何かしら妙な不安が胸をよぎるのを感じた。
 以前なら、たとえ相手が嫁だろうと息子だろうと、家族が少しでも自分に逆らう様子を見せれば、容赦なく噛みついてきた。妻である姑をはじめ、家族のすることには、どんな些細なことにもケチをつけ、細々と文句をたれた。
「二階の網戸が閉まっていないぞ」
「ショウユは手の届くところにおいとけ」
「この床はいつ拭き掃除をしたんだ」
「みそ汁の味が薄い」
 家族は半ば聞き流し、半ばあきらめて、この老後の虚勢を張り続ける男に耐え続けた。奈津は、この舅が、あまり好きではなかった。
「どうして皆、ワシの思い通りにしてくれんのか」
 それが彼の口癖だった。長年のつき合いから彼の扱い方がわかっている姑は、夫のわがままに「ハイハイ」と応えながら、その都度うるさい注文をいちいち片付けていた。それが奈津には歯痒くてならなかった。女が自分の意見を言うなどとんでもないという時代に生まれた姑は、男の言うことには考えるよりも先に体が動いて、従ってしまうのだろうか。そんな風に女が素直に言うことをきくから、男はつけあがるんだと、奈津は言いたかった。いや、実際、何度か言ったことがあった。
「昔の男の人って、女がみんな自分の思いどおりにしてくれるのを、当然と思っているみたいですね」
 そんな奈津の言動が原因で、舅と奈津は一度大ゲンカをしたことがあった。舅は三十以上も年下の奈津を相手に、顔を真っ赤にして子供でも言いそうにない雑言をはいた。奈津も負けてはいなかった。そんなとき姑は、奈津と舅の間をおろおろ行き来しながら、「やめて。家の中で大声をあげないで」と言い続けるだけだった。
 同居してしばらくは、そんな小競り合いも何度かあったが、子供も次々と生まれ、つき合いも長くなってきたころには、やりあうのもめんどうなので、極力対立しそうな話題を避けていたように思う。一緒に暮らしているうちに、互いに自分たちが考え方の上で入れ合わないことが、だんだんとわかってきたのだろう。長いこといっしょに暮していくには、それなりにがまんも必要なのだ。最低限、それがわかる人だったから、十年も一緒に暮らしていくことができた。今なら、そういうことも、わかる。
 ともあれ、その彼が夏風邪をこじらせて入院をしたのは、奈津が薔薇の鉢を植え替えて、半月も経たない頃のことだった。持病のこともあって、ここ数年は入退院をくりかえしていたので、この度もすぐに退院できるだろうと、家族はみな楽観していたが、入院して五日目に容体が急変した。電話連絡を受けて、各地からすっ飛んで集まった五人の息子と娘たちに囲まれて、その翌々日の朝早く、彼は亡くなった。慌ただしくも、平凡で幸福な死だったと、奈津は思う。
        *
「奈津さん、ちょっと出掛けてくるから」
 ある朝、奈津が二階で末っ子のおむつを替えていると、階段の下から姑のセツ子が声をかけてきた。舅のふた七日の法要をすませて、数日後のことだった。
「あ、はい。今日もですか。大変ですねぇ!」
 奈津は手早く汚れたおむつを片付けると、エプロンをかけ直しつつ、階段を下りて台所に向かった。セツ子は片手に黒いファイルをもち、出掛ける時にいつもかぶる白い帽子を手にもっている。
 町内の老人会の役員をしている姑は、定期的に近所の一人暮らしの老人宅を訪問している。五人ほどの独居老人を受け持ち、彼らの生活ぶりや病気をしていないかなどの近況をきいては、町内会長に報告をするのが、その役目だった。八十近くになっても、まだしゃんと背筋も伸び、家事をきりもりしているセツ子だが、彼女の受け持つ老人の中には、彼女よりずっと年下でも、もう歩くことができかねている人もいるという。
「おとうさんのことがあるから、ほんとはもう少し休ませてほしいんだけど、やっぱり心配でねえ。役目でもあるし。いってくるわ」
 そう言って勝手口から出掛けていくセツ子を、奈津は目を細めて見送った。花台の上では、最近新しい枝を伸ばし始めた薔薇が、かすかな風を受けてゆれている。
 舅が亡くなって、気落ちしてしまうのではないかと、一時は心配だったが、むしろ奈津の目に姑は伸び伸びしているように見えた。老人会のみならず、近所の友人との約束や、お寺の寄りあいなどで、彼女の部屋にかけてあるカレンダーは予定がぎっしりだ。それは彼女の夫が生きていた時と、ちっとも変わらない。人づき合いがよく、だれに対しても親切で明るい性格の姑は、昔から近所でも評判がよく、多くの友人にも恵まれている。
 台所で用事をすませると、奈津は二歳の末っ子を連れて外に出た。自転車に子供を乗せて、家から十分ほどのところにある山裾の公園に向かう。夏休みなので、多分子供達でいっぱいだろう。朝ご飯を食べてすぐ、網をもって出掛けた上の二人のお兄ちゃんたちも、たぶんそこらへんにいるはずだ。
 結婚してすぐのころは、まさか三人も子供を生むことになるとは思わなかった。近ごろはだいたい二人ぐらいが普通だったし、二人目が生まれた時点で、もう出産はしないだろうと勝手に決め込んでいた。それがなぜか、二男が四つになるころ思い出したように三人目ができてしまった。奈津の毎日はワンパクな子供達の世話においまくられている。おかげで、家の中はうるさいほどにぎやかだが、家族が一人減ったという、静かで確実な喪失感を、どうしても拭い去ることはできなかった。
 彼が死ぬまで、家族の一人の死というものが、どういうものなのか、奈津は知らなかった。今の今まで、そこにいた人が、肉体も声もちゃんと存在していた人が、煙のようにいなくなる。骨壺の中の、ぼろぼろの骨になってしまう。
 どうしてだろう? 血もつながっていないし、そんなに長いつき合いでもなかったのに。むしろ、だいっきらいだったのに。
「さあ、遊んでおいで」
 公園につくと、奈津は末っ子を解き放った。山裾の公園の隅には、クスの大木や桜の木陰が多く、風の通り道でもあるから、夏でもけっこう涼しい。虫取り網をもった子が数人来ていたが、それは奈津の子供たちではなかった。上の二人の兄は、このところ出かけたら鉄砲弾のように帰って来ず、ほぼ一日中虫取りにはげんでいる。昼ご飯にさえ帰ってこない日がある程だ。もっとも家にいたら家にいたで、いたずらやけんかばかりして手がかかるので、内心外に出てくれていた方がありがたいと、奈津は思っていた。
 奈津はもってきたクールバッグの中から麦茶を出し、木陰のベンチに座ってそれを飲んだ。草むらで小さなヒナギキョウの花を見つけた末っ子が、大喜びでそれを見せにくる。
 この子は、おじいちゃんのこと、覚えていないだろうな。
 子供の頭をなでながら、ふと思う。嫁のことは嫌いでも、孫はだれよりかわいがった。孫が自分の部屋の前を通るたびに、甘い声を出して呼びこみ、菓子やおもちゃを与えたり、昔話をしてやったりしていた。
 さみしかったんだろう、と奈津は思う。晩年は、持病のこともあって、ほとんど家にとじこもりきりだった。仕事をしていた頃の友人は、遠くに住んでいて、めったに訪ねてはこない。老人会などの役員をしている姑は、さまざまなつき合いから家をあけることも多かった。心を紛らす相手をしてくれるのは、幼い孫だけだった。当の孫は、そのおじいちゃんがいなくなってしまったことにも気づかず、今は無心に草むらにしゃがみこんで、何かを見つめている。
 奈津はふと、裏口の、小さな薔薇の鉢のことを思った。奈津は、舅が死んだことと、自分があの鉢を植え替えたこととは、なんとなく無関係ではないような気がしていた。
 奈津が嫁に来たときから、あの薔薇はずっとあの場所にあった。こぶしほどの小さな鉢に根をさして、弱々しげな茎を伸ばし、毎年初夏にひとつだけ、小さな白い薔薇を咲かせた。家にとじこもりがちで、持病から好きな釣りにもいけなくなった舅は、庭いじりだけが楽しみだと言っていたが、この薔薇に対しては、そんなに世話をしているように見えなかった。奈津は園芸のことはよくわからないが、一度花が終わった後の薔薇が、根元からほぼ五センチほどを残して、全部ちょん切られていたことを覚えている。その切り方が、ちょっとむごいように思えて、奈津は食事時に舅に尋ねたことがあった。
「薔薇って、花が終わったら、あんなふうに切るものなんですか?」
 舅は聞こえていたのかいないのか、返事をせず、ただ黙々と箸を動かしていた。奈津は少し腹立たしくなり、もう一度言った。
「あれ、鉢が小さすぎるんじゃないかって思うんですけど。もう根がつまっちゃってるんじゃないですか? 植え替えないと、枯れちゃいますよ」
 舅は口をもぐもぐしながらふと顔をあげると、奈津の顔を見るでもなく、ぼそりと「ヒマがなくてな」と言った。ヒマなら腐るほどあるだろうに、と奈津は思ったが、もちろん口では言わない。
「あの薔薇、私がもらってもいいですか?」
 奈津は言ってみた。だが今度も、舅は聞こえないふりをした。またあれだ、と奈津は思った。言いたいことが幾つも喉まで盛り上がってきたが、それ以上言うとまた言い争いになるような気がして、奈津は無理にそれを飲み込んだ。親子って、どうしてこんなに似ているんだろう。都合の悪いことは聞こえない振りをする。それは奈津の夫にしても同じことだった。
 その頃、奈津の夫は、三十代半ばの仕事が絶好調の頃で、家庭を顧みたり妻の心を思いやったりすることには、てんで無頓着だった。ただ「仕事だから」という理由を、十字架のように掲げて、自分の気持ちや都合を家族に押しつけるだけだった。育児や狭い人間関係の中でたまったストレスを、夫に訴えても、夫は疲れてるからと背を向けて、先に眠ってしまう。置いてきぼりになった気持ちを、奈津は胸の奥にためこんでいくしかない。
 そんな奈津の、日常の窮屈さにあえぐ気持ちが、狭い鉢の中に閉じ込められ、それでも懸命に花を咲かせる白薔薇に、他人事ではないような情愛を感じさせたのかもしれない。そして、咲かせた花を楽しむこともほめることもせず、無情に切ってしまう舅へ、怨念にも似た反発を感じさせたのかもしれない……。
 あの鉢を、植え替えてやらなくては。
 いつしか、奈津の心のすみに、そんな思いが、どこからか忍び込んだ種のように、根付いていた。それは、様々なストレスにさいなまれる暮らしの中で、治らない小さな傷のようにうずきながら、確実に、いつか芽生えるチャンスを、伺っていた……。
 日差しが強くなってきたので、奈津は末っ子を呼んだ。末っ子は、奈津の声に蛙のように飛び上がり、喜びいさんで帰って来る。奈津は末っ子を抱きしめ、自転車に乗せこんだ。この、穏やかで情愛の深いかわいらしい娘に、奈津は今までに何度、くじけそうな気持ちを救われたことだろう。わたしの大事な白薔薇ちゃん、奈津は時々、甘い声で娘をそう呼ぶ。そして舅もまた、似たような声で、なめるようにこの子をかわいがっていた。奈津は、舅が嫌いだった。でも、娘をかわいがる舅は、嫌いではなかったように思う。たとえ互いに相いれぬ部分をもっていたとしても、同じものを愛している。そこに、家族としての接点を見いだしたかったのかもしれない。家族なのだから、憎みたくなかった。憎み切ってしまったら、それこそ家の中は地獄になってしまう。地獄になんぞ住みたくはなかった。たとえ嫌いでも、決して、彼を、憎みたくなかった……。できれば、愛したかった……。
 そう思った時、思わぬほどの量で、涙があふれ出て来た。奈津の両腕の間では、子供用の補助椅子に座った末っ子の、甘い匂いを発する頭がある。歌でも歌っているように、彼女は楽しそうに足をふっている。奈津は自転車をこぎ、涙を流れ出るにまかせた。胸の奥がよじれるように痛んで、ため息がもれそうになった。死んだ人の気持ちが、急に形をあらわにして、目の前に現れたような気がした。
 一日、家に閉じこもり、テレビばかり見ながら、彼は何を考えて、暮らしていたのだろう。どうして、生きていたとき、彼の気持ちに、近づいてやろうとしなかったのだろう。なぜ、彼は、家族の気持ちに、背を向け続けたのだろう……。
 生きていた時代も、考え方も、違い過ぎた。けれど、わかりあうための方法は、本当に何もなかったのだろうか?
        *
 その日の夕食後、奈津は食器を片付けながら、ふと、夫に、言ってみた。
「パパ、亡くなったお義父さんと、話をしたこと、ある?」
 奈津の問いに、夫は読んでいた新聞をふとおろして、眉間にしわを寄せた。奈津は、このところ急に白髪の増えた夫のもみあげを、少し不安そうに見つめた。最近、不景気もあって、彼が仕事で行き詰っていることを、奈津はうすうす気づいている。夫は仕事のことは家では一言も言わないけれど、舅が亡くなる数カ月ほど前から、帰宅の時間が早くなり、急に子供達や家の細々したことを気にかけるようになった。そんな彼の変化に、先々に関する漠然とした不安も感じないわけではなかったが、夫婦の会話が以前よりずっと増えた事のほうが、奈津にはうれしかった。
「……あんまりないな。昔から、自分のことは何もしゃべらん人だったからな」
 夫は、思い出を絞り出すように、言った。奈津はテーブルの彼の向かいに座りながら、ため息まじりに言った。
「私の知ってるお義父さんは、いつもうるさいくらいしゃべってたけど。ゴミが落ちてるだとか窓が汚れてるだとか。とくにお義母さんのすることには、ほとんど一挙一動みんなケチつけてたわ。それこそショウユのびんの汚れから、おふろにかけてるタオルの位置まで」
「それは年とってから、そうなったんだよ。俺が子供のころは、ほとんどしゃべらなかったよ」
「男の人って、年とると、おしゃべりになるの?」
「さあ、どうなんだろうな。……若いころの親父は、仕事と趣味の釣りばっかりで、めったに家にはいなかったんだ。よくそれでおふくろがぼやいてたけど、俺は親父にかまってもらったとかどっかに連れてってもらったとか、あんまり記憶にないんだ。おふくろとは、良いことも悪いことも、いろんな思い出があるんだけど……。だから、親父がいったいどういう人間なのか、どんなことを思ってたのか、本当は今でもよくわからない……」
「家族なのに?」
「だから、話したことなんて、あんまりなかったんだよ。俺が覚えてる親父の姿は、ただ家で黙々と飯食ってるときとか、釣竿背負って出掛ける時とか、それくらい、かなぁ……」
 奈津は、生前、舅が座っていた椅子に目をやった。奈津の知る限り、彼はいつもそこで、ひっきりなしにしゃべっていた。ほとんどは家族に対する文句と苦情ばかりだったが、もしかしたら彼は、もっと別のことを言いたかったのかもしれない。奈津はふとそんなことを考えた。
「何であんなに、文句ばっかり言ってたのかしら……?」
「さみしかったんじゃないかな……。若いやつらは仕事で忙しいし、おふくろは年とってから、役員だのなんだのでひっぱりだされるし、相手をしてくれるのは、孫くらいのものだろ」
「さみしいならさみしいって、言えばいいのに」
「言えないよ。いくら年とっても、男は男だろ」
 夫は立ち上がると換気扇のスイッチを入れ、たばこの火をつけた。
「言えやしないよ、さみしいなんて……」
 そう言うと夫はくるりと背を向けた。換気扇にたばこの煙を吸わせながら、彼の頬が少しびくびくと引きつれるように動いたのに、奈津は気づいた。
 四十を過ぎても、少年のように細い背中。外回りで日焼けした腕や首筋……。この人と暮らして、十年以上になるけれど、この人の中にも、まだ彼にだけにしかわからない彼だけの年月があるのだ。そんなことに、奈津は今初めて気づいたかのように驚いて、知らず立ち上がっていた。そして手を伸ばせば届くところにある男の背中に、思わずすがろうとして、かろうじて、思いとどまった。涙が、にじんだ。
       *
 その夜、奈津の夢の中に、舅が出て来た。
 彼は、生きていた時より少し若く、まるで少年のように首をかしげて、所在なげに部屋のすみに座りこんでいた。奈津は声をかけようと思ったが、なぜかできず、彼の前をすどおりして、台所の勝手口に向かった。出口の白い光の向こうに、あの薔薇があるはずだった。今日こそあの薔薇を植え替えてやろう。そんなことを考えていた。手には赤いスコップをもっている。
 でも、彼女が見たのは、小さな鉢の中で、根元の茎を五センチほど残して、後はばっさりと切られてしまった薔薇の無残な姿だった。
「お義父さん、またこの薔薇切ったんですね」
 振り返りもせずに、言った。口調には少し非難が混じる。すると背後から、聞きなれた声が聞こえる。
「伸ばしてなんぞ、やらないんだ」
 奈津が振り向くと、そこには一人の子供がいる。奈津の長男によく似ているが、しかしそれが舅であることはすぐにわかった。
「みんな、わしをおいて、行ってしまう。わしだけを残して、どっか知らない所に、行ってしまう。だからそいつだけは、どこにもやらない。伸ばしてもやらない。伸びてきたら、ちょん切ってやるんだ……」
「どうしてそんなことをするの?」
「ちょん切ってやるんだ……」
 子供はぷいと背を向けて、暗い家の中に逃げ込んでいく。奈津は怒りにかられ、家の奥に向かって叫んだ。
「いいかげんにして! 薔薇が何も感じないと思ってるの? 心も魂も何もないと思ってるの!」
 返事はかえってこない。奈津はスコップをにぎりしめた。そして彼女は薔薇の鉢を持ち上げ、スコップで鉢をたたき割った。解き放たれた薔薇の根が、思いもしない長さで広がり、あふれ出した。
 不意に風景が変わり、そこは夜の海辺になった。深緑の、暗い色の海の向こうで、白い花火が音もなくあがっていた。ああ、あれがお義父さんのいく彼岸だ。奈津はなんとなくそう思った。するとすぐそばに、半分透明になった舅が、青い草のつるのように背筋を曲げて立っていた。
 いけないんだ、と舅は言った。まるで濡れそぼった子供のようにみじめな目をして、足元を見つめている。見ると彼の足元には、ちいさな薔薇のつるがあって、クギのように鋭い一本の棘が彼の裸足の足に深々と突き刺さっているのだった。
「薔薇をいじめたから、おれはいけないんだ」
「そんなことはない。いけますよ。ほら、花火があがってる。あそこがおとうさんのいくところですよ」
 奈津は海の向こうを指さしながら、舅をさとした。
「どうやっていったらいいか、わからない」
 奈津も途方にくれた。どうやったら彼岸にいけるのか、そんなことだれにも教えてもらったことがない。まわりには船も筏もなく、人影もない。奈津はもうこんな人のことなんか放っておいて、行ってしまおうかと考えた。どうせ自業自得なんだもの。だが、やはり何かが邪魔をして、そのままにしておくことはできなかった。ここで私が見捨ててしまったら、きっとこの人は永遠に彼岸にたどりつくことができない……。
 奈津ははっと思いついて、言った。
「だれかが、助けてくれますよ」
 舅は顔をあげた。正面から奈津の顔をみつめた。生きていた時は、一度も、この人の顔を正面から見たことがない。奈津は目を細めて、見つめ返した。まぶしいような気がした。
「きっとだれかが、迎えにきてくれますよ。亡くなったおとうさんのおとうさんか、おかあさんか……、むこうに住んでる家族が、きっと助けにきてくれますよ……」
 舅は、まるまると目を見開いた。長男とそっくりな、大きな丸い瞳。不意に、薔薇が、しゅっと音をたてて、砂の中に溶けてしまった。と思ったら次の瞬間、もう目の前に舅の姿はなかった。背後で、また、音もなく花火があがり、周囲に白い光が満ちたかと思うと、どこからか涼しい一陣の風が通り抜けた。
 夢は、そこで終わった。
      *
「昨日の晩、お義父さんが夢に出てきたんですよ」
 翌日の昼ごはんどき、奈津はセツ子に言った。セツ子は別に関心もないといったふうで、へえ、そう、と答えた。今日は午後から友達の大正琴の発表会を見にいかねばならないので、彼女は少しあわてている。
「お義母さん、あれから夢にお義父さん出てきました?」
「いいや、出てこないわね。言いたいこともないんじゃないかしら。もう十分に、世話はさせてもらったもの。後悔はないわ。おとうさんも、自分の思う通りに生きたし」
「そうなんですか?」
「わたしが子育てで髪を振り乱してヘトヘトになってるときにも、ゆったりと釣り三昧してた人だもの。子育てが終わったら、今度はわたしの番だって言っても、別にばちはあたらないと思うの」
 姑には珍しく、少し非難めいた言葉だったので、奈津はそっと目をあげて姑を見た。家族の調和を保つために、自分の考えはほとんど言わず、周囲にあわせてばかりいた人。その心の内部には、意外な程たくさんの、怨念が潜んでいるのかもしれない。
 舅は、そのことを知っていたのだろうか。
 そして男は、老いて力を失ったとき、それまで振り向きもしなかった家族からの復讐を、恐れるのだろうか。
 食事を終えると、手早く食器を片付けて、姑はいそいそとよそ行きに着替えた。白いブラウスに紺の花模様のスカート。年よりはずっと若く見える。
「それじゃ、いってきます。あとは頼むね」
「いってらっしゃい」
 勝手口の向こうに出て行く姑の背中を見送りながら、奈津は、あの二人には、心から語り合ったことがあったのだろうかと、思った。黙々と従うことで、姑は夫との心の葛藤から逃げていたのかもしれなかった。舅は舅で、表面上は従順でも、決して本当には心を開かない妻に、恐れを感じていたのかもしれなかった。
 二人の長い年月が、いったいどんなものだったのか、今の奈津には想像のしようもない。
 裏口の花台の上では、今年二度目の花芽をつけた薔薇の枝が、心なしかほこらしげに、午後の光をあびていた。

           (おわり)




(2001年、ちこり21号所収)






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