世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

翼魚と天使

2014-02-18 08:47:54 | こものの部屋

愛には、愛しすぎるということはありませんが、狂うということは、あります。

存在がまだ未熟な頃、愛に溺れすぎ、悲しいことになってしまうことがあります。

あなたがたへの、かのじょへの愛は、かつて、掌中の玉というようなものでした。それはそれは、あなたがたは、かのじょを、ほかには何一つないほど、愛したことがあったのです。

だが、あなたがたは、愛の前に何をすればいいのか、わからなかった。せねばならぬことをすることができなかった。
ゆえにあなたがたは、いとも簡単に、かのじょを失ってしまった。
その時、あなたがたは、そのあまりの現実に、狂ってしまったのです。

その時の経験は、あまりに痛かった。

そして、この人生で、再びかのじょに出会ったとき、あなたがたはかのじょを愛しすぎ、とうとう、食ってしまいたいとまで、思ってしまったのです。

これが、愛に狂ったものの、最後の到達点です。

そして実際、あなたがたは、かのじょを食べてしまったのです。
そしてかのじょは消えた。

愛するものが、消えた。

その、今ある現実こそが、あなたがたの愛の、今の真実の姿です。

愛するものを、自分で食ってしまった。

それが今の、あなたがたの姿です。


                          サビク





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マグダラのマリア

2014-02-18 04:04:09 | 虹のコレクション・本館
No,72
ヤン・ファン・スコーレル、「マグダラのマリア」、16世紀オランダ、北方ルネサンス。

これもまた秀逸な女性像である。美しいね。
マグダラのマリアを描いた絵は多いが、これはかのじょをもっとも誇らしく描いた絵だと思う。

マグダラのマリアは姦淫の女と同一視されることが多く、少々官能的に描かれる絵が多い。やたらと裸にされるが、本来の彼女はそんな女性ではなかった。

もっと誇り高く、知性のある女性だったんだよ。かわいらしい女性と言うより、えらい女性という感じだったのだ。当時の人間の中で、唯一、イエスが信頼できると感じていた人だった。

女性ゆえに、何の力もふるえなかったが、かのじょが一番、イエスを理解し、イエスを愛していた。ゆえに人は、彼女に、もっと誇り高い姿を与えるべきだ。イエスの真実をわかっていた人がひとりでもいたということが、あなたがたの救いになるからだ。

この絵は、マグダラのマリアを描いた絵の中で、最も、彼女の実像に近い絵である。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする