◇サン・マルタン運河・オランジェリー美術館へ
今日もどうやらいい天気らしい。
スーツケースの最終点検を行って、チェックアウト。予約時の料金で清算が済みホッ
とした。荷物は預けてサン・マルタン運河に向かう。晴れてはいるが空気は冷たく、
特に川べりの風は冷たい。サン・マルタン運河は19世紀、ルルク運河とセーヌ川を結
ために掘られ運河で、第10区国鉄東駅の東側を流れ、バスチーユを経てセーヌに
結ばれる。セーヌ川と水位イが異なるため、時折通るカノラマ、パリ・カナルといった
サン・マルタン運河の観光船はゆっくりとインクラインで運河を上下する。時期を外れ
ているのか乗客はさほど多くはない。運河には鉄製の跨船橋が架かってい
る。百年経った代物とは思えないしっかりとしたつくりである。風情はあるが、
かなりの高さで障害者はとても利用できない。
色付き始めた木々、水面の漣、釣り人、散策の人など絵になる光景が多い。
マルセル・カルネの映画「北ホテル」(1938年)の舞台はここ。しかし映画の場面は
殆どセット撮影だったという。
サン・マルタン運河水門 運河観光船
運河跨船橋 運河跨船橋
さて、絵も描いたし最後の目的地「オランジュリー美術館」へ向かう。何度か
地下鉄を乗り換えてコンコルド広場へ。何度か来ているが、オランジュリーは
位置関係が少し不安だったので人に聞いたのが間違い。3人聞いて、
3人とも違った答えで、さすがにおかしいと思って、引き返したら、さっ
き聞いたご夫婦が「さっきはごめん、ここだったよ」と教えてくれた。当
初自分がここら辺かな、と思ったところに入口があった。何の表示もな
い。
「オランジュリー美術館」はモネの「睡蓮」の大作のために、チュイルリー宮殿の
オレンジ温室(オランジュリー)を改装したものだという。2006年に6年かけた
大改造が終わり、3,100㎡の美術館に生まれ変わった。印象派から
キュビスムまでの150点ほどの作品がゆったりと鑑賞できるようになった。
同じ睡蓮の池を光の変化を追及した8枚の大作(幅が13mくらいある)
が睡蓮の間に並んでいる。天井からの自然光の中でこの絵を鑑賞で
きる。その先の展示室にはセザンヌ、ピカソ、ルノワール、マティス、ユトリロ、アンリ・
ルソー、マリー・ローランサン、モディリアニ、モネ、シスレー、ゴーギャンなど印象派から
フォービスム、キュビスムを経て1930年までのパリ派の作品が並んでいていつ
まで見ていても飽きない。
モネの大作「睡蓮」
セザンヌ「芸術家の息子の肖像」 同静物 ユトリロ「サン・ピエール教会」
ピカソ ? ルノワール「ピアノを弾く娘たち」
◇モンマルトルの丘へ
丘の中腹にある「Abbesses駅」に降りて驚いた。大体パリの交通機関は年
寄りにあまり優しくない造りと思っていたが、この駅は階段が優に100段
はある。(エレベータもあることはあったが)
先ずは食事と、近くのキャフェに入った。フランス語で注文は済ませたが食事の
選択は先方が英語でやってくる。ちっともフランス語会話練習にならない。
アントレはレタス・トマトとツナのサラダ、メインは白身魚(多分鱸)のムニエル・パスタ
添え、それにパン。勿論ビール。
結構美味しく食べてさてお勘定。「ラディシオン・スィルブプレ」というと、33.7ユーロ
の勘定書きを持ってきたので40ユーロ渡した。しかし一向に釣銭を持って来
ない。さてはチップにしたな。6.3ユーロ(日本円でおよそ1,000円)のチップはい
ささかとりすぎでは・・・。先ず釣銭を貰って、その中からしかるべき額の
チップをと思っていたのに。多分スペインやイタリアのお客さんだったらうるさい
から先ず釣銭を持ってきただろう。日本人と見て舐めたなニャロメ。と思
わなくもないが、やりあうにしても何せ語学力に自信がないし、釣銭の額
とチップの額はビミョーな線上にあるので、結局「メフシー(メルシー)」と言って
出て来てしまった。
もともと坂のある街は好きで、サクレクール寺院までの石畳の道は良かった。
坂の途中に絵になる風景があり、一枚描いた。「アトリエ洗濯船跡」という
歴史ポイントがある。ピカソが貧乏画家だった頃、ここでキュビスムの萌芽傑作
「アヴィニオンの娘たち」を描いた。マティス、ドガ、モディリアニなども暮らした共同
アトリエだという。当時の木造アパートは消失して今はない。
狭い路地を抜けるとちょっとした広場(テルトル広場?)があって沢山の観
光客がうごめいている。餌に群がる魚のように「似顔絵のモデルやらない
?」と客引きがまとわり付いてくる。
広場の前にある小さな教会は「サン・ピエール教会」だろうか。プチ・トラムという
観光客用の小さなトラムの発着駅がある。
路地には小さな土産物屋とかキャフェなどが並び、地元の人、観光客が思
い思いに飲み物を前に寛いでいる光景は、なるほどパリの下町という雰
囲気満点である。
サクレ・クール寺院は1870年のコンミューン議会で建設が議決され1876年から
1919まで40年以上かかって出来上がったビザンチンスタイルの教会で、その
前の広場からはパリの市街地がほぼ一望できる。とにかく絵描きさんが
多く、画学生らしき若者が絵を描く姿もちらほら見られる。ユトリロもこの
辺りの白い壁の家を描いていたと思うと感慨深い。
教会では折りしもミサの最中。荘厳な詠唱に、元日曜学校生徒の妻は
「初めて本もののミサに出会えた。」と感動していた。
坂を下ると途中に二つの風車跡がある。「ラデの風車」と「ムーラン・ド・ラ゛・ギャ
レット」。かつてはダンスホールであったが、今はレストランになっている。
「Place De Clichy駅」に向かって下っていくと「モンマルトル墓地」がある。1795
年に出来たパリでは3番目に大きい墓地だという。デユマ、エミール・ゾラ、ハイネ、
スタンダール、ドガ、ミレーなどの墓地があるということではあるが、疲れていた
こともあり、お参りは歌手のダリダだけでその他の皆さんの墓参りは悪い
けど失礼した。
有名なパリの百貨店「プランタン」で買い物をして帰った。
明日はパリにさよならをする日。荷物の整理をして早く休んだ。
アトリエ洗濯船跡前 モンマルトルでの昼食 サクレクール寺院に向かう路地
テルトル広場の似顔絵描き サクレ・クール寺院 坂のある家
テルトル広場の画家たち
坂のある家2 ラデの風車 ムーラン・ド・ラ・ギャレット
モンンマルトル墓地 ダリダの墓 プランタン