読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

季節外れの雪は

2010年04月17日 | その他

時ならぬ雪に戸惑う花芽など
 本17日未明、雪が降った。窓を開けた7時にはまだ降っていた。

 桜花 散り終えた樹に 雪が舞い
 
 こんなことはちょっと記憶にないと思ってNETを観たら「東京地方に雪41年ぶり」
 とあった。東京・立川、栃木・宇都宮、群馬・前橋でも雪が降ったとある。柏でも降
 っているが、こういうときは気象台があるところの様子しかニュースにならない。

 41年前は長野市で生活していたが、そこでも桜が過ぎて雪が降ったという記憶
 はない(そもそも長野市では気温は零下11度の記憶はあるが雪は降っても余
 り積もらないところだ。)。 
  昨夜ブラジルの知人から届いたメールでは(あちらは日本の丁度裏側で、今の
 時期はサンバの夏が終わって初秋。)異常に冷たい風が吹き一気に秋めいて
 驚いているという。やはり異常気象なのだろうか。


   雪におびえた花々
       
               ドイツスズランの芽・蕗             フリージア・チューリップ・シクラメン・クリスマスローズ

    
             エビネラン・ハナニラ                      海棠

  
「世界への関心失う日本」
  話は変わって「世界の中の日本」について
 私の購読紙「日本経済新聞」では、毎週水・土曜日に英国「FINANCIAL TIMES」
 の一部の記事を掲載している。今週は「世界への関心失う日本」。サブタイトル
  (これは日経側でつけたのかも。)は「危機抱えた優雅な孤立」とある。

 『世界は日本への愛から冷め、日本は世界に愛想を尽かしている。
  中国が間もなく世界第2の経済大国の座を自分たちから奪うのを不安げに
 眺め、産業で急速に日本を追い上げ、グローバル化の変化に巧みに適応す
 る韓国を羨ましげに見る。民主党政権となったが政権交代は期待外れになり
 つつあり、政府首脳は運命論者さながらデフレを受け入れている。  
  
  しかし経済界では自分たちの将来は国外にあると果敢に海外企業の買収に
 乗り出し、日本文化の海外影響力は過去にない大きさを持つようになった。
  だが、日本人の多くは、威厳ある没落と優雅な孤立という考え方になじんで
 いるように見える。多くの日本人は、世界から距離を置いて何が悪いのだと考
 えている。・・・仕事と貯金のある日本人にはデフレさえ賜ものだ。

  日本はこれから数十年、快適で、羨望の念さえ起こさせる老衰への道をゆっ
 くり進むのだろうか。
  このシナリオには少なくとも二つのリスクが伴う。過去20年にわたり、日本は
 貯蓄を国家財政の赤字補填に充ててきた。しかしそれを無限に維持すること
 は高齢化が進み、貯蓄額が減るにつれて不可能になる。
  地政学的なリスクもある。近隣国との領土問題、最近の同盟国米国との外交
 摩擦の底流にあるのは「不安定で危険な世界に真正面から向かい合おうとしな
 い」日本に対する積もり積もった不満だ。それだけで日本の優雅な孤立が存続
 できないとは言わないが、それがひたすら快適なものになるという保証もない
 のだ。』

  国家としての老衰化では先輩格の英国からのメッセージだけに、謙虚に聞か
 なければいけない。イギリス人特有の辛口のウィットでなく、妙にジンと来るアド
 バイスになっているところを汲み取らねばならない。英国は老衰化した英国を
 世界中で哀れみの目で見られ随分つらい思いをしたと思うが、鉄の宰相サッチ
 ャーの登場で見事に過去の栄光を甦らせた。今もってEU のなかでポンドを捨
 てようとしない頑固さもこのリカバリーの自信とかつての大英帝国の威厳があ
 るからだろう。

  米国のハーバードでの日本人留学生の激減(他の大学でも同様だろう)。日
 本への留学生の減少(受け入れ環境の劣化)。国際機関での日本人職員の少
 なさ。国際的基礎学力比較での凋落。スポーツ界での不振等々。すべからくこ
 の数十年の間に日本人が気力・ガッツ・気概を失ってしまったからだ。
  内向きで、余計な苦労はしたくない(失恋がこわいから恋はしたくない。うまく
 やっていく自信がないから結婚なんかしたくない。子育てが恐いから子供は要
 らない。今の生活水準が維持できないから子供は要らない。)。今で十分だか
 ら、努力をしてまで自分の夢を実現しようなんて思わない。
  確かに内向きだ。そこからは視野を世界に広げ、自分の可能性を試すといっ
 た積極性は生まれない。右肩上がりの経済成長の中で、ろくに努力をしない者
 まで一様に何とか少しずつ豊かになっていった、高度成長時代を生きた我らに
 は、偉そうなことを口にする資格があるとは思わないが、ぬるま湯の中で易き
 に流されて生きていく姿が、このように外国から心配されるようになっては実に
 みっともない。最近読んだ司馬遼太郎の「坂の上の雲」の頃の日本人は、もっ
 と気宇広大な考えで生きたのに、いつから、どうしてこんなにも惨めな国民に成
 り下がってしまったのだろうと、つい愚痴りたくなるのだ。 

 (以上この項終わり) 

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