◇久々の街道歩き
このところ天候も穏やかな日が続いている。
意を決して「旧水戸街道」歩きを再開した。
いろいろあって、一年以上牛久宿で足踏み状態にあったが、このところ相棒の体調も安定し
ているので再開に踏み切った。
牛久から土浦まで17キロ。
旧東海道などでは一日最高36キロを歩いたことを思うと軽い行程ではあったが、年齢を考
えると再開第1回目としたら、まあこんなものか。
足馴らしに流山おおたかの森駅から豊四季・南柏・新柏を通るコース(およそ8キロ2時間
コースを歩いた。これなら20キロ程度は大丈夫と手応え・足応えがあったので、牛久から
土浦までなら15キロほどなので思い切って歩いた次第。
寒の入り翌日(1月7日金曜日)は晴れたものの、時折冷たい筑波おろしが吹きつけ、普通
歩いていると汗ばむ筈のダウンコートを着っぱなしだった。
朝食を家で摂ると歩きだすのが遅くなるので、逆方向だから混んでもいないだろうから電
車でおにぎりでも食べようと思っていたらとんだ誤算で、牛久まで立ち通しだった。なんでみ
んな牛久や土浦あたりまで行くのだろう。
牛久駅を8:10に出発。まずは道路わきの電柱に両手をついて両足の筋肉を伸ばすスト
レッチ。
傍から見ると「変な夫婦が変なことやってるわ」と見えること間違いなしだが、五街道を歩い
た時も欠かさずやった。これをやっておかないと脚に早く咎めが来るのだ。
見ていた子供は「おじさん、その電柱倒れないよ」。
☆ 国道6号の道路案内標識にちゃんと「茨城空港」の標識が付け替えられている。国土交通省の
無駄遣い。こんなことでわざわざ直すこともない。
☆ 間もなく圏央道の下をくぐる(日本橋から54キロ地点)。
☆ 牛久市の下水道マンホールにはシンボルの河童の姿が。
☆ 牛久から4.2キロ地点に「ひたち野うしく駅」の先には「中根一里塚」碑があった。ということは牛久
駅あたりにも一里塚があったはずだが残ってはいないのだろう。
☆ 見事に保存された萱葺屋根の家が立て続けに2軒もあって驚いた。
これを補修する職人が果たして残っているのか、また大量の萱をどう入手するのか、勝手に心配
してしまう。
☆ そのお次にはしゃれたコロニアルタイプの家が。これがなんと皮膚科医院でした。
☆ これまで双体道祖神像は安曇野など信州に多いとばかり思っていたのに、ここにもありました。
☆ さすが茨城。既に梅の花が。
☆ 北関東三十八不動明王霊場三十一番札所「大聖寺」。大きなお寺で山門まで100Mはあり
ます。本堂はさらに奥のこんもりした小山の中。
☆ 左手の廃屋が売りに出ていました。参詣客の茶屋にはうってつけのロケーションなのだが…。
どなたか買いませんか。
☆ 国道6号をまたぐ橋に出たら、「おっ!」イタリアの街と見紛うような光景が目に飛び込んでき
た。しゃれた造りの団地です。
☆ 次第に街道筋らしい旧い造りの建物が増えてきます。
☆ 霞ヶ浦医療センターの坂道を下ると、ついに到着土浦市のシンボル「桜川」に架かる「銭亀橋」。
橋からは筑波山がよく見えます。
☆ 桜川の土手の桜並木が見事です。桜のころは大賑わいとか。
10月上旬にはこの桜川の少し上流で「土浦全国花火競技大会」が開かれ、大いに賑わう。
☆ 桜町から大手町に向けて進みます。大町信号はかつて土浦城(亀城)の南門があったところ。
☆ 中城通りには蔵や商家、煉瓦建造物など歴史的建造物が多い。
中でも土浦まちかど蔵「大徳」は、見世蔵、袖蔵、元蔵、向蔵などを改修し公開している。
向かいにある建物も江戸時代から続く商家「野村」の母屋と袖蔵、文庫蔵、煉瓦蔵を改修し
たもので公開中。中には珈琲やカレーなどのショップも設けてある。
☆ 土浦市中央1丁目は旧土浦城跡。現在は亀城公園として一般に開放されている。
土塁を巡らし水を呼び込んだ平城。
水路が五角形で城郭が水に浮かんで見えたことから「亀城」と呼ばれた。
もともと15世紀中頃、小田氏の家臣今泉三郎の築城とされるが江戸時代には土屋氏が居
城とし廃藩置県を迎えた。
本丸は火災等で焼失し、現在は東櫓と西櫓、太鼓櫓と呼ばれる2層の楼門、霞門などが
残っている。東・西の櫓は2層の小ぢんまりしたもので、見学料は105円。
太鼓櫓・正門
東櫓 西櫓
本日の街道歩きは中央一丁目の交差点までとし土浦駅に向かった。
駅前に大きな鯉と鳥の群れの彫刻が。霞ヶ浦を象徴したのかも。
早立ちしたおかげで結局4時間で中央一丁目に着いたので公園でおにぎりを食べ、駅に着いた
のが12時半。家に帰って風呂に入りゆっくりできた。
(以上この項終わり)