◇戦争とは一体何なのか
「終わらざる夏(上・下)」著者:浅田次郎 2010.7 集英社刊
昨年夏に出版された「終わらざる夏」を、早々に市の図書館にリクエストしたが、今年に入って
やっと順番が巡ってきて、上下本を一気に読んだ。
浅田次郎は映画化されて高倉健が好演したということで有名になった「鉄道員(ぽっぽや)」の作
者として始めて知り、その後「ハッピーリタイアメント」を読んだくらいで、多くの作品もほとんど読
んではいないが、今度読んでその力量に感心した。
初出は小説「すばる」で、2005.11~2009.10までの連載。
太平洋戦争の末期、千島列島の北縁の島「占守島」におけるポツダム宣言受託前後における
帝国陸軍の始末記でもあるが、いってみればこれは浅田の反戦小説であろう。
小説の主人公は一応千秋社という出版社の編集長片岡ということであろうが、この小説の本来
の狙いは戦争というものがいかに人の人生をめちゃめちゃに踏みにじるものか、この不条理を登
場する人々の口を藉りて糾弾するところにある。と私は思う。
登場人物は多い。
雑誌編集長片岡直哉、その妻チャコ(久子)、同僚尾形、その妻(佐江)、大本営作戦参謀吉池
大佐、作戦本部動員班参謀小松少佐、第5方面軍参謀吉江少佐、占守島第32軍の古参将校
大家准尉、少年戦車兵中村兵長、歴戦の勇士鬼熊軍曹、美形不死身の船舶兵岸上等兵、信州
への疎開学級の小山訓導・浅井訓導、疎開児童である片岡の息子・譲、一緒に脱走する上級生
女子生徒吉岡静代、ひょんなことから脱走の二人を助けることになった元博徒岩井万助、占守島
の鮭缶工場の森本主任、その工場に動員された函館高女の生徒夏子とキク、不可侵条約を踏み
にじり、ポツダム宣言受託後に占守島に攻撃を仕掛けた、ロシア軍対戦車砲大隊第一小隊長
オルローフ。
戦争は人と人がするのではない。国同士がするのであって、割を食うのは国民という個人。軍
人も民間人も平等に被害を受ける。抽象概念としての国民は、勝った負けたにかかわりなく生身
の人間一人ひとりは、間違いもなくそのために人生を蹂躙される。
軍隊にあってはどうか。動員計画を策定する参謀も、その数字を生身の人間に割り振らねばな
らない役場の徴兵担当も、召集令状を配る人も苦しむ。その召集令状を配られた人も、その母も
兄弟もその子も、働いていた職場の上司も同僚も、人しなみに突然戦争という不条理の世界に突
き落とされ、振り回され、泣く。
私の兄も終戦前年に高等小学校を卒業し海軍少年兵を志願し横須賀へ向かった。母は長男を
戦争に巻き込んだ国を恨んだ。「先生にたぶらかされて」と言っていた。当時国民学校1年生であ
った私には空襲や食糧難のつらさは記憶にあっても、この小説で語られている国民各層各人の
苦悩する姿に思いを及ぼすだけの頭はなかった。いくらか長じてのち、戦争が続いて戦場に狩り
出され、命をとられることにならなくて良かったとしみじみと思った記憶はある。今どきの戦争を全
く知らない人たちにはこの実感は分からないだろう。
この小説の主たる時間的舞台は終戦の詔勅の前後1ヶ月足らずの短い期間であるが、登場す
る人物それぞれの人生が、運命の日8月15日に向けて徐々に収斂していく。
「この戦争はもういい。負けてもらったほうがいい。」軍人ですら本土決戦といった無謀な決定
がもたらす国民と国土の悲惨な姿を思い描くとき、戦争はしてはいけないと思うのだ。ただ個人の
非戦の思想も、よほど確固たる姿勢を維持したとしてもその思想を反映しがたいシステムやその
中の決定因子の反応次第で戦争は起こる。個人の世界では不条理でも、マスの世界では十分成
り立つ条理があることを忘れてはならない。
主人公である片岡は、外語学校を出て出版社で翻訳などを仕事にしていた。すでに召集可能
年齢の45歳直前ではあったが、堪能な英語力があだとなり召集され北辺の島に配属されること
になった。
占守島はアメリカの本土上陸の最有力地点と目され、2万3千人の精鋭部隊が配された。しかし
実際は硫黄島・沖縄と南方方面が本土上陸の主戦場となって、終戦間近にあってもこれら精鋭部
隊は無傷でかつ士気旺盛なまま千島列島に取り残されたのである。本土決戦の場に動かそうにも
移動用の艦船が払底していたがために。
終戦時に、2万3千人の精鋭部隊を、混乱なく武装解除させるためには、占領軍とスムーズな武
装解除等の交渉が行われる必要がある。片岡はまさにそのために召集され占守島にて送り込ま
れるわけであるが、しかし本人はもちろん周りを取り巻く関係者もほとんど終戦の最終段階までこ
れを知らない。これは、もしかすると天皇陛下から和平の御聖断が下されることになるかもしれな
い。その時に、大本営命令を混乱なく行き渡らせる方策の一環として、大本営参謀本部編成課動
員担当参謀が本土決戦要員動員計画の中に密かに紛れ込ませた企みであった。
終戦後にスターリンが卑怯にも仕掛けた無益な戦闘で、戦場にあった主要登場人物のほとんど
は命を落とす。祖国の地を守った兵士も極寒の地シベリアに抑留され苦役で斃れていく。
あの戦争が終わって65年が過ぎた。既に当時少年だった若者も後期高齢者と邪魔者扱いされる
歳になった。戦争という究極の不条理がまかりとおる状態がおこる予感は今のところないが、この
状況も、かつて祖国のわが子や父母や兄弟、友人のためを思いながら死んでいった多くの人びとの
切ない思いの上に築かれていることを忘れないようにしなくてはいけない。
本書は決して風化させてはならない太平洋戦争の実像を描いた反戦の書として受け止めたい。
(この項終わり)