多分故郷を離れた高校生時代からだろうか、何十年と年賀状を書き続けた。
今年も「文字を書くのがつらくなったので…」今年限りで年賀状をやめるのでよろしくという賀状をいただいた。
一昨年は「古希を迎えた。これを機に…」という賀状をいただいた。
小学校時代の恩師は当然80台であるが、数年前にやはり「文字を書きづらくなったから・・・」との添え書きが
あった。これはもう年賀状は貰えないことは承知の上で出し続けている。
いずれにしてもこれからも「生涯賀状欠礼」は増えていくかもしれない。
正直自分でもその機会をうかがっている節がある。
年に一回の年賀状で安否を確認し合うという最低限の機能を考えると、まあ続けてもいいか、という気持ちもあ
るが、なんとなく惰性で賀状交換しているということが気持ちを落ち着かなくさせる。
まず11月も後半になるとパソコンの「年賀状ソフト」をひらいて、来年の年賀状を出す先を固める作業に入る。
これが以外と頭を悩ませる。「年賀欠礼」の知らせを下さった方は「印刷」から落とす。昨年「年賀欠礼」で落とし
た人を復活させる。なんとなく惰性で交換していた様な方は、これ幸いと引き続き落したままということがある。
突然来なくなって何か事情があったのだろうと出さなかったら次の年に来たりする。方針が一貫していない。
白ヤギさんと黒ヤギさんのやり取りみたいになってなんとも締まらない。
(こうしているうちにも「箱根駅伝」がスタート、我が母校は今のところビリだ。早稲田がやけに飛ばしているが
先行逃げ切りを狙っているのか。)
さて、出す先が固まると裏面作業。
むかしは「年賀状と言ったら版画でしょう」というくらい一生懸命に版画を彫った。そのうちに彫りがつらくなって
単色でごまかすようになった。「プリントごっこ」で遊んだこともある。結構面白かった。そのうちに版画はあきら
めて、その年に行った旅行先の気に入った風景写真を選んで載せるようになった。イタリア・スペイン・チェコ・
海外に行かなくなって沖縄・妙高山など。今年は5月の河口湖・富士山、6月の浄土ヶ浜12月の瀬戸大橋
が候補に挙がったが、結局「瀬戸大橋の夕景」が残った。
友人の中には版画の名人が何人もいて毎年楽しみにしていたが、今では二人だけになってしまった。I氏は
12色に及ぶ精緻な武者絵の図柄が多く毎年楽しみであった。最近は根気が続かなくなってどうしようかと言
っていたが、今年は七福神で届いた。K氏は84歳であるが単色であるが「一富士二鷹三茄子び」でなお健在
である。
裏面がお仕着せの図柄・あいさつ文が印刷された賀状が多い。
このような賀状は儀礼的なものと考えて今後賀状交換を止めてしまえばよいようなものの、かつての上司だ
ったり、お世話になった方だったりしてなかなか割り切りができないところが悩ましい。
子供や孫の写真も多い。夫婦二人のアップの写真があったりして、随分おおらかな人生を送っておられて結
構なことです。
子供の写真も、おお、こんなに大きくなったか、と写真が伝える情報量は多い。相手によって書き分けてい
たらよいがこんな年賀状をもらった上司などは苦笑しているかも。
自筆のメッセージがある賀状は少ない。
これまで自筆メッセージのない年賀状は出したことはないが、書く内容に悩むことが多い。
お元気ですか、頑張ってますか、お子さんは大きくなったでしょう、お孫さんは小学校ですか、中山道歩きは何
処まで行きましたか・・・。
何か書くことがあるでしょう。
新年のあいさつに返礼をするのは礼儀だと思うので、出していない方からの賀状にはお返しをするが、何も書
かない賀状は単なる会釈にすぎない。いくら印刷文字で美辞麗句が綴られていても心のこもった挨拶とは思
えない。
「お元気ですか」くらいは言葉を添えないと不遜な感じがしませんか。
年賀状止める勇気、出す勇気。
(早稲田は1区トップ。我が母校は10位です。只今9時)