◇「双生児」(原題:The Separation)著者:クリストファー・プリースト(Christpher Priest)
2007.4 早川書房刊
とにかくこれほど重量感のある、おもしろい本に出会ったのは久しい。
細かい活字で2段組み。510ページの大作である。
初めて接する作者であるが、英国ではSF・ファンタジー界を代表する作家とされる。この作品は、はてどのジャンルに
入るのか。良質のミステリー&SFと言ってよいのではないだろうか。
主人公は第二次世界大戦前後のヨーロッパを舞台に、見た目の姿かたちは瓜二つでありながら性格がまったく違う一
組の双生児。ナチスドイツの猛攻に徹底的に反撃を試みるチャーチルが指導するイギリスで、一方は空軍で爆撃機の
操縦士として活躍し、一方は良心的兵役拒否者として赤十字で働く。
この本のミステリーらしさは、親がどういうわけかこの一卵性双生児に、ジャックとジョンと名付けたところに起因してい
ると言って差し支えないだろう。ジャックとジョー。どちらも「J・L・ソーヤー」である。性格はともかく略称と容貌が瓜二つ
であることから多くの混乱が生じる。
作品は五部構成となっている。第一部は歴史作家がチャーチルの回顧録で疑惑のある人物「ソーヤー」に係わる部分
を埋めようと関係資料を求める広告を出す。
応じてきた女性から提供された祖父ソーヤーのノート。果たしてこのメモは本物か?
第二部では双生児の生い立ちとその後の二人の生き様が綴られる。これが作者の作品構成の一つのスタイルなのか。
注意していないと10年前、5年前時代と登場人物が行ったり来たりして目まぐるしく混乱する。
母親がドイツ生まれ。したがってドイツ語は堪能。二人で舵なしペアというボート競技でベルリンオリンピックに出て3位
になる。なんとそこでナチスのヒットラーに次ぐ実力者ルドルフ・ヘス副総統からメダルを授けられ、かつパーティで奇妙な
話を持ちかけられる。
第三部は再び歴史作家がソーヤーのノートとかつて彼の部下だった人物からの手紙を前にこの疑惑の解明に取り組む
か否か思い悩む。
第四部は航空士であったJ(ジャック)・L・ソーヤーの部下だった航法士が記した回想録。J・L・ソーヤーには不審な言動が
ある。 彼は歴戦の勇士であったが、ある日ドイツのハンブク爆撃の帰りについに高射砲に撃墜され海に不時着するが
救助される。
そして最終章第5部。
それぞれが、瓜二つであるが故に関係者の疑惑を招きながらも英国の対独戦争の中で重要な役割を担う流れが語られ
る。赤十字のJ・Lは国際赤十字でも重きをなし、指導的立場を得ていく。
ポーランド侵攻後ナチスに対して融和的だった英国首相チェンバレンは、1940年5月ドイツ軍のフランス侵攻、イギリス
攻撃でついに辞任、サー・W・チャーチルが後を襲う。破竹の勢いのドイツはロシアに目を向ける。そこでヒットラーは腹心
のルドルフ・ヘスに英国との単独講和の道を探らせる。また一方、国際赤十字を通じて独・英・中立国とで米国とソ連を排
除し、英独が有利な形で戦争を終わらせる工作を進める。この時期のヨーロッパの歴史に詳しくないので何処までは史実
なのか良く分からないが、どうやらドイツナチス指導層内での勢力関係から、ヘスが影武者だった疑いも強い。
果たして真相は。
結局国際赤十字が関与した戦争終結策は、英国首相がドイツに譲歩した形での終結に頑強に抵抗する。ドイツ側が提
案する戦争終結条件はチャーチルの辞任、現英国王の退位とエドワード八世(ウィンザー公)の復位、東欧でのドイツの
フリーハンド容認等々随分虫のいいものであった。このドイツとの交渉には親独派の、かつて英国王でありシンプソン夫
人との結婚のために退位した元エドワード八世(ウィンザー公)が係わっていたことになっている(一旦弟のジョージ6世
に王位を譲った兄エドワードがまた返り咲こうとしたわけだ)。
そして休戦協定・平和条約は調印される。ヘスとチャーチルが調印する。赤十字のJ(ジョー)・Lソーヤーが副署する。
双子のJ・Lが共に愛したビルギットが子どもを産む。父親は二人のどちらか。作者には途中でシーンをとんでもない方向
に変える癖があって、あるときは赤十字のJ・Lは敵機の爆撃に遭い死んだはずなのに、最後には生きていて自分の子供
に会える。子どもは女の子のはずなのに途中で男の子に変わる。これは決して間違いではなく作者の技法であろう。
何カ月ぶりに郷里に帰ったジョー・L・ソーヤーは我が家にいる妻とジャック・L・ソーヤーを見る。
実はジョーはある事故の後、時折鮮明な幻想を見ることになった。今日また疲労と感情の高まりで転倒し頭を売ったジョ
ーはジョーはまたも5年前の事故のシーンに舞い戻る。もしかして・・・。僕らが確立した高貴な和平、二つの偉大な国家の
戦争の恐怖からの離脱は幻想ではないのでは?
評論家大森望が解説を書いている「・・・読者の思い込みを利用して背負い投げを食わせ、意外な場面で宙吊りにする。」。
1995年世界幻想文学大賞受賞作『奇術師』と表裏一体をなす似た構造を持つという。作者自身は本書がお気に入りの
自作長編のひとつで、「最も”完成された”小説に一番近づいた作品。バランスが良くてシリアスで複雑。しかも、純SFの
(しかし軽く見られている)設定を採用している」と述べているそうだ。
SFには改変歴史(もしこうであったなら)という手法がある。この小説でもルドルフ・ヘスの部分が史実と異なる。随所に歴
史文献が出てくるが、偽物の歴史文献のもっとのらしさはプリーストの面目躍如とか。
ちなみに作者プリースト自身二卵性双生児の父であるとのこと。
ともかく一読の価値ある作品だと思います。
(以上この項終わり)