◇ 『ユニット』著者:佐々木譲 2003.10 文芸春秋社刊
佐々木譲は北海道警が登場すると安心する。
今回も北海道警の警官が登場する。それにしても北海道警も相当ゆるんでいますな。少なくとも佐々木譲の世界では。「こ
んなにひどくないよ!」と道警から佐々木譲に苦情が出はしないかと要らぬ心配するのは我が家人。
今回の『ユニット』は、少年凶悪犯罪の裁き方、DV(Domestic Violence=家庭内暴力)被害者の庇護という二つの現
代社会病理の課題がテーマである。
登場人物は①妻子を17歳未満の少年に殺されたサラリーマンと②家庭内暴力を振るう警官である夫から逃れる子連れ
主婦③それに会社業務と家事を押し付けて来たために妻に逃げられた中年男性の工務店経営者。 この三人が偶然「ハロ
ーワーク」で出会う。それぞれにその時点ではほとんどよれよれになった状態。帰り道の地下鉄で、またも偶然にも人身事故
(ホームから転落)の女性を助ける側に。
ここでは少年犯罪に甘い法執行・罪刑執行システムがもたらす復讐という私的制裁の危険、家庭内暴力から追われた女性
(今では被害を受ける男性も少なくないという実態もあるが)をかくまうシステムが、警察という権力機関の手にかかるとその
シェルターの機能が如何にもろいかなどの問題点を題材にしている。
少年加害者の更生機会を与えることを理由に、ひたすら加害者を社会から隠し、一方被害者の人権も不条理な被害結果も
ほとんどないがしろにして憚ることないシステムには、まともな人は反旗を翻し私的制裁に走るだろう。少年犯罪者には罪一
等を減じ、死刑相当の罪は無期懲役にする。仮釈放は通常刑期のの10年経過で審査対象になるのに、それが7年になる。
この7年間罪を犯すことがなければ自由放免になる(通常仮釈放者が再度罪を犯せば、何年経っていようが即収監であるの
に、なんという優遇!)。こんな甘いことでよいのか。と問うているわけである。
DVもしかり。最近でこそ目が厳しくなってきたが、家庭内のことは知らんとばかりに、警察も暴力行為を野放しにする。逃げ
る被害者を匿う仕組みを、警察の身分さえ騙ればいとも簡単にシェルターの在り処を教えてしまう。これも甘い。
仮釈放された少年犯罪者の所在を私立探偵社に依頼するが、ちょっと脅されると依頼人の秘密保持義務など弊履のごとく
捨てられてしまう。これも情けない。
性犯罪・万引き・DV・など社会病質犯罪は病的性癖の問題であって、通常の再発防止システムでは十分な効果が望めない
というのが吾輩の考えである。かれらに刑務所において教育を通じて社会性を身に付けさせる。生来の性癖を変えさせ社会
に順応出来る人間にして世に出すことが果たしてできるのか。否である。ならばどうすればよいか。本人に自らの生まれなが
らの「性癖」を認識してもらっう。その上で認識コードを肌に埋め込む。再犯防止のためには自動追跡システムに頼るしかない
(あの自由の国アメリカでさえそうしているのだ)。彼らが起こす問題を社会として罪と判断した以上やむを得ない。
ところで個人的には、DVの男性が結婚する前は調子よく、愛しているの君は僕の天使だの、死ぬまで君を離さないよだの
調子のいいことを述べたてていながら、結婚するとガラッと変わって突然暴力を振るうようになる。その切り替わりの心理的プ
ロセスがよく飲み込めないのだ。そうした性癖をなぜ女性は気がつかなかったのかとつい思ってしまう。眼にフィルターが掛か
って判断がつかない時期はあるのかもしれないが、この本でもその辺りははっきりと窺えない。暴力を振るった後は泣いて謝
って「もう二度としない。君が離れたら僕は死んでしまう」とか言われて、ついずるずると…。ところがある日また突然暴力を、
という話もある。誰か納得できるDV病理を説明してくれないものだろうか。
いささか話がずれてしまったが、エンターテイメントとしての勧善懲悪小説の落としどころは、善人は救われ、悪者はしかるべ
き懲らしめを受ける。こうであって欲しい。そしてこの本も幸いそうなっていた。めでたしめでたし。
(以上この項終わり)