奈良県の高市郡高取町(たかいちぐんたかとりちょう)の中央を通る土佐街道には
古い町並みを保存した町屋ストリートがある。
その町興しを兼ねていろんな催しやバスツアーもあるが、地元で定期的に
3月 = 町屋のひなめぐり
10月 = 町屋の案山子(かかし)めぐり
11月 = 高取城祭り
が行われている。
町屋や協賛している場所に雛人形を飾ってみてもらおうというもの。
今年は95のポイントで展示された。(3月31日まで)
全ての画像をここでUPするには膨大すぎるので別のウェブアルバムに収めた。
興味のある方はコチラをご覧頂くとして話を進める。
以前、友人の日記に描かれていた「おひなさま」を拝見して、内裏雛と女雛の位置が
反対ではないの? と、西日本の友人だったので冗談交じりに書き込んだことがある。
ご丁寧に御親切にマジで『地方によって、時代によって変わる』とコメントを下さった方が
いらして、決して間違いでもないので丁重にコメントをしておいた。 (つもり)
物知り博士が沢山いらっしゃるものだと感心。
一般的には京雛と江戸雛があって、内裏雛が向かって右側に女雛が左側にあるのを
京雛と言い、日本古来の姿である。
平安時代から明治時代に入るまでの長い期間、京都御所におわせられたおかげで
三人官女・五人囃子の下段の下働きの男性達も安定していて、手に持つ道具も
庭掃除に必要な笹ボウキや熊手のようなもの。
一方、江戸雛は江戸末期から大政奉還の時期に天皇家の下働きも武器を持つ必要に
駆られたため鋒や刀を持っていて、海外諸国の公式な席に習って天皇様が海外の
要人の右側に並んだことで、内裏雛が向かって左側に女雛を右側に飾るようになった
のが今風になったようだ。
徳川美術館のも中期以前と以降では違っていたようだ。
三人官女は中央が既婚者、両端は未婚者で、既婚者を労わるために座らせているという
解説が真実味がある。
行事からすれば雅楽だというところから笙(しょう)・篳篥(ひちりき)が加わった7人囃子が
正式とされる。
この「ひなめぐり」にも7人囃子がみられるところがあった。
娘の居ないウチは飾ることも無く、もし居たとしてもこんなに立派な段飾りを置くと
寝るところがなくなってしまう。
おばあちゃんに「3月3日になったらさっさと片付けないと嫁に行けなくなる」と叱られるんです。
そんなことないと迷信めいたことに反発して飾っていたら・・・ 未だにシングルのままなんですよ。
と優しい笑顔で笑ってられた。 この娘さんなら大丈夫だと確信した。
私達に無理なく出来る限りの支援を考え、被災地の皆さんを応援しよう!