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20170103 松本駅前での アベ政治を許さない! スタンディング〜 小出裕章先生

2017-01-05 15:27:19 | 小出裕章先生のお話し

20170103 松本駅前での アベ政治を許さない! スタンディング〜 小出裕章先生

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1月4日 社民党年頭の街頭宣伝

2017-01-05 12:29:57 | 活動日誌

1月4日は仕事始め。官公庁をはじめ多くの会社が4日から仕事を始める。社民党も毎週月曜日に行っている定例の松本駅前での街頭宣伝を水曜日であったが4日に行った。私たちは7時30分から行い、引き続き衆議院議員や公明党の皆さんも街頭から新年の挨拶をした。私からは、昨年一年を振り返りながら憲法施行70年となる今年を憲法を学びなおす一年としたい決意を述べた。

信濃毎日新聞の1月3日の社説では「個人の尊厳」が取り上げられていた。現行憲法13条「すべて国民は個人として尊重される」とあるが、自民党改憲草案では「個人」が「人」に置き換えられる。そこで安倍晋三首相が「知らない」と国会で答弁した芦部信喜氏の「近代憲法は・・・すべての価値の根源を個人に置いている」という言葉を紹介している。(芦部氏は長野県駒ケ根市出身の憲法学者で東大の法学部長をつとめている。)私は「個人」は、「全体主義」に対置される言葉であり決してわけのわからない「人」に置き換えることはできない言葉だと考えている。よく「個人主義」を「利己主義」と悪意を持って置き換える人がいるが、国家の役割が個人を大切にすること、人を個人として大切にすること、あなたがあなたのままでいいと国家が保障しろと憲法が命令している言葉だと考えている。

この「個人」から導き出されることはたくさんある。たとえば現行憲法前文に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。つまり日本国民だけではなくて世界中の個人に平和的生存権があることをうたっているのである。この考え方が普遍的であれば戦争など起こらない。人が人を殺すなどと言う事件も起こらないはずである。

社説は、安倍首相の著書や言葉から「国家と個人の関係」についても述べている。安倍氏の著書の一節に「個人の自由を担保しているのは国家なのである」と、さらに「その国家自体の危機が迫る時は、国民の皆様にも協力をしていただかなければ」と紹介する。一見それはそうだねとうなずく人もたくさんいるかもしれない。しかし、あくまで国家は個人としての国民の基本的人権を保障することが第一番の任務でなければならない。「国家のため」という言葉は存在しない。そうでなければ、またぞろ国家を守るために国民が犠牲となる社会が必ずやってくる。

すでに昨今の「アベ政治」を見ていると国家によって国民の基本的人権が奪われるという本末転倒も甚だしい事象が沢山ある。福島第一原発事故で原子力非常事態宣言を発して追加の被ばく線量を20倍に引き上げてそこに国民を生活させようとしていること、日本の安全保障のためと言って沖縄県民の平和的生存権を踏みにじって米軍に新しい基地を提供しようとしていること、経済や景気をよくするためと言って非正規労働者を増やしていること・・・。

個人としての国民の基本的人権を国家が奪うことはできない。現行憲法は他の個人と基本的人権がぶつかる場合において「公共の福祉」という言葉を使って、個人と個人がよく話し合って調整しなさいと言っているのである。その「公共の福祉」という言葉も自民党改憲草案では「公益及び公の秩序」に置き換えている。自民党改憲草案の前文では、「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と書いている。「公害」のように経済の成長のためには個人の基本的人権が踏みにじられることもある。だからあえて「国家のため」と書かず、「国家や企業利益」のためには個人としての国民の基本的人権を制約できるようにするため「公益及び公の秩序」に置き換えているのである。これが自民党改憲草案の本質である。

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