来年の県議選に向けてのぼり旗を新調しました。前回落選してからの今日までいろいろなことがありました。そもそも落選の原因は私自身にありました。国政選挙を二回挑戦して落選。はじめて選挙に勝って県議会議員になって、なにか偉くなった気持ちで4年間を過ごしてしまいました。反省しても反省しきれません。
しかし安倍政権の下で憲法違反の特定秘密保護法、戦争法、共謀罪、TPPなど息つく間もなくたたかいは続きました。自民党から出された改憲草案を批判するため現行憲法の学習ができたことは浪人生活のなかで良かったことです。103条をすべて読んで1条1条の意味を考え、反面教師としての自民党改憲草案があったので、何が権力者にとってイヤなことなのかがよく分かりました。
現行憲法が、国民の自由を最大限尊重している意味は、二度と戦争をしないための二重の鎖だということです。個人の尊厳を守り、世界中の国民の平和的生存権を守ろうとすれば戦争など起きるはずがありません。そして戦争をしようとする権力の暴走を止めることができるのは、まさに思想信条の自由、表現言論の自由、集会結社の自由という武器を使うことができる国民だけです。そのことを憲法が保障していいるのです。だからこそ権力者は、権力を縛る憲法を葬り去ろうとしているし、国民の自由を縛ろうとしているのです。
個人的には、父が病に倒れ、今の医療と介護の問題に直面したこと、最期は兄弟が代わる代わる付き添って寝泊まりしたこと、葬儀をして、49日の法要、新盆、新御霊、一周忌、その間に相続などの手続きもありました。最後の夜に、背中をさすったとき、もう声にはならない唇が「ありがとう」と動いたように見えたこと、忘れられません。我が家的には、まだ大きな山がいくつもありますが、私にはどうしても県政の場でやらなければならないことがあります。具体的なことは申し上げませんが、「県議会が県政のチェック機能を果たす」ことが必要だと強く考えています。
社民党長野県連合の幹事長として2004年3月からすでに14年、今一度自分というものに立ち戻って、次期県議選に臨みたいと考えています。できれば憲法を力として県民の基本的人権が損なわれていないか、しっかりチェックする。そのためには権力を拡大する憲法改悪は絶対許してはならないと考える皆さんと力を合わせていきたい。
一人ひとりが個人として大切にされる社会を目指していきたい。でも、それは政治がやってくれるわけではない。主権者である国民一人ひとりが、自覚したたたかいを通じて実現されることだと、最近の安倍政権を見ていてつくづく思う。