福島南相馬からの告発と題して、南相馬安心安全プロジェクト代表の吉田邦博さんの講演が行われました。
【南相馬からの告発 安心安全プロジェクト吉田邦博さんイン松本】福島第一原発では、外国人労働者を騙してプールに潜らせたり、新人の労働者が間違って被曝すると監禁して様子を見て、お抱えの医者に見てもらい、その後はわからない労働者がたくさんいる。
【南相馬からの告発イン松本】除せん作業は被曝労働で、やりたくない。幼稚園は、除せんしても、すぐそばの側溝は10マイクロシーベルトの袋が86袋が野ざらしになっている。未だに仮置き場が決まっていない。我々も除せんした土をもっていく場所がない。
【南相馬からの告発】南相馬市民は津波の影響から飯舘村へ大勢逃げた。当時でも300マイクロシーベルト、今でも100マイクロシーベルトの場所がある。除せんしょうがない。(吉田さんが)住んでいた広野町では、住民をおいて、行き先も告げず役場が避難をしてしまった。
【南相馬からの告発】当時は、行政もボランティアセンターも機能していなかった。今回の災害で何が機能していたのか!もちろん身を粉にして働いている職員もいたが。自分の身は自分で守るしかないのが現実。結果として無駄な被曝をしてしまっている。
【南相馬からの告発】避難をする自衛隊も見てきた。メディアも3月12日に一言もなく、いなくなっていた。東電の社員が住んでいたいわきの社宅は、11日に家族は皆逃げた。南相馬の東電社員も12日に、何も言わず逃げた。一度許してしまった原発事故を起こせば、家族もバラバラ、仕事もない。
【南相馬からの告発】南相馬市内に残っている人は、放射線のことがわからない人や、諦めている人。逃げた人は、脱原発を叫んでいるが。アンケートから、将来が見えない、避難中母を亡くし生きる希望がない、殺してください。私たちが何をしたのでしょうか。月8万円の金ですむと思っているのでしょうか
【南相馬からの告発】唯一の釣りの趣味もやる気にならない。人生が180度変わった、この海では釣りはしない。子どもを抱えている親の苦しみは、除せんをしながらも感じる。最近除せんした家は12.28マイクロシーベルトだった。小学生がいる家は2.2マイクロシーベルトを越えた人は避難先を確保
【南相馬からの告発】それでも南相馬はいいほう。3.8マイクロシーベルトを越えないと逃げれない伊達市もある。除せんをはじめたが、放射線が強いのは雨樋で20マイクロシーベルトを越えているが、交換するしかないが、国のメニューに交換するというメニューはない。セメントの瓦は取れない。
【南相馬からの告発】国も除せんができないことはわかっている。初期の頃は3センチ削り取れば放射能はなくなった。最近は5センチとらないと減らない。早期に除せんしていれば取れたかもしれない。南相馬は屋敷林が多く、何回除せんしても屋敷林の放射能が降ってきて、下がらない。
【南相馬からの告発】この屋敷林の家には、妊婦さんがいるが、逃げられない。間違った情報を信じた奥さんは、産婦人科の先生も大丈夫と言ったから、家族もバラバラになるからと、逃げないので、除せんをして、0.65まで下げられた。(それでも0.65!松本は0.06。)
【南相馬からの告発】ゼネコンの除せんも始まった。片倉地区の除せんでは1.5マイクロシーベルトが、1.0マイクロシーベルト。何%下がったが問題ではなく、何シーベルトになったかが問題。せめて0.1を越えないように除せんしたい。
・・・スマホのバッテリー切れで、この後も30分程度お話が続きました。今後、まとまった原稿が公開される予定ですので、その際補強ができればいいなと思っています。
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