古楽の人は楽譜を見て演奏することが多い、というかほとんどの場合見ます。通奏低音の場合は逆にきちんと見てないとちゃんとした演奏はできません。ただし見るのは自分以外のパートと数字のついた低音だけの楽譜です。
これらを見ながら、和音の種類、形、合いの手などをその時に応じて演奏するわけです。ですから、楽譜を見ながらといっても自分の楽器から出てくる音は、低音だけが楽譜の音ということになります。
リュートの場合、低音が非常に早く動くところは弾けないので、はしょったりするときがあります。この場合なんか、楽譜は見ていてもその見ている音符は楽器から鳴っていないという、考えようによっては妙なことになるわけです。
リュートで通奏低音をするというのは、鍵盤楽器で行うのと比べるといろいろ大変なことが多いと思います。技術的にリュートの方が鍵盤楽器よりはるかに難しい。チェンバロなんて猫が鍵盤の上を歩いても音が・・・なんていうとチェンバロの人にしかられそうなのでやめときます。(笑)
チェンバロはチェンバロ、リュートはリュートそれぞれの難しさがあるので、単純比較はできませんが、入門レベルでの和音の弾きやすさで見ると鍵盤の方が優しそうです。(「易しそう」、じゃないっすよ(笑))だから、リュートで通奏低音を、という方は、鍵盤楽器であらかた勉強しておいた方が楽かもしれません。
でもどうしてもリュートだけでやってみたい、という場合、決め手となるのは、読譜力というかフレットの位置と音符の関係。つまり何弦の何フレットを押さえるとどの音が出るか、和音を押さえてみて(頭の中の作業です)どんな響きがするかがわかる必要があります。
そういうことが完璧ではないにしてもある程度できないといけないんですが、じゃ、何か特別な方法とかとっておきの理論書があるのかというと、たぶんないでしょう。(笑)
有名な同時通訳である國弘正雄先生は、英語の上達法は「只管朗読」っておっしゃっています。禅の「只管打座」をもじった言い方ですが、要するにとにかく英語を声に出して読みまくれ、ってことですよね。音楽も、楽譜を沢山見て弾きまくりです。(笑)通奏低音ができん、とおっしゃる方は、この絶対量が一桁も二桁も少ないというケースがありそうです。
以前ある管楽器をやっている人の楽譜の読み方を知って驚いたんですが、その人は楽譜のオタマジャクシを見たら、声に出さない内的言語でドとかレとか言ってから楽器のポジションを押さえるそうなんですね。これだと、倍以上の脳みそリソースを使うことになるので、読譜が遅い=楽譜を見ながら弾けない=弾く量が多くならないということになります。やはりオタマジャクシから直で実際の音とか楽器のポジションに行かないとね。
あと、実際に弾いているところより先をいつも見てその情報を処理しながら進むという、マルチタスクを脳みそで処理しないといけません。さらに脳みそはデュアル・コアでないと。何か今のコンピュータのCPUみたいな話ですね。リソースの有効活用、マルチタスク、デュアル・コア。(笑)
わけがわからん話になってきましたが(笑)、一口で通奏低音をすると言っても、色んなことがベースとして必要というお話でした。でもこれって、リュートだけじゃなくて一般的に言えることですね。
これらを見ながら、和音の種類、形、合いの手などをその時に応じて演奏するわけです。ですから、楽譜を見ながらといっても自分の楽器から出てくる音は、低音だけが楽譜の音ということになります。
リュートの場合、低音が非常に早く動くところは弾けないので、はしょったりするときがあります。この場合なんか、楽譜は見ていてもその見ている音符は楽器から鳴っていないという、考えようによっては妙なことになるわけです。
リュートで通奏低音をするというのは、鍵盤楽器で行うのと比べるといろいろ大変なことが多いと思います。技術的にリュートの方が鍵盤楽器よりはるかに難しい。チェンバロなんて猫が鍵盤の上を歩いても音が・・・なんていうとチェンバロの人にしかられそうなのでやめときます。(笑)
チェンバロはチェンバロ、リュートはリュートそれぞれの難しさがあるので、単純比較はできませんが、入門レベルでの和音の弾きやすさで見ると鍵盤の方が優しそうです。(「易しそう」、じゃないっすよ(笑))だから、リュートで通奏低音を、という方は、鍵盤楽器であらかた勉強しておいた方が楽かもしれません。
でもどうしてもリュートだけでやってみたい、という場合、決め手となるのは、読譜力というかフレットの位置と音符の関係。つまり何弦の何フレットを押さえるとどの音が出るか、和音を押さえてみて(頭の中の作業です)どんな響きがするかがわかる必要があります。
そういうことが完璧ではないにしてもある程度できないといけないんですが、じゃ、何か特別な方法とかとっておきの理論書があるのかというと、たぶんないでしょう。(笑)
有名な同時通訳である國弘正雄先生は、英語の上達法は「只管朗読」っておっしゃっています。禅の「只管打座」をもじった言い方ですが、要するにとにかく英語を声に出して読みまくれ、ってことですよね。音楽も、楽譜を沢山見て弾きまくりです。(笑)通奏低音ができん、とおっしゃる方は、この絶対量が一桁も二桁も少ないというケースがありそうです。
以前ある管楽器をやっている人の楽譜の読み方を知って驚いたんですが、その人は楽譜のオタマジャクシを見たら、声に出さない内的言語でドとかレとか言ってから楽器のポジションを押さえるそうなんですね。これだと、倍以上の脳みそリソースを使うことになるので、読譜が遅い=楽譜を見ながら弾けない=弾く量が多くならないということになります。やはりオタマジャクシから直で実際の音とか楽器のポジションに行かないとね。
あと、実際に弾いているところより先をいつも見てその情報を処理しながら進むという、マルチタスクを脳みそで処理しないといけません。さらに脳みそはデュアル・コアでないと。何か今のコンピュータのCPUみたいな話ですね。リソースの有効活用、マルチタスク、デュアル・コア。(笑)
わけがわからん話になってきましたが(笑)、一口で通奏低音をすると言っても、色んなことがベースとして必要というお話でした。でもこれって、リュートだけじゃなくて一般的に言えることですね。