リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

バッハの音楽は

2006年04月05日 10時17分49秒 | 音楽系
今朝の日経新聞に1980年生まれのドイツ人ピアニスト、マルティン・シュタットフェルトのことが出ていました。2002年のバッハコンクール(ライプチヒ)で14年ぶりの一位を獲得した逸材だそうです。

彼は6歳からバッハを弾き続けその音楽に傾倒しているそうです。彼はなかなかいいことをいっています。「(バッハの音楽の)厳格さは一側面にすぎない。詩情やロマン、娯楽などを総合した宇宙のような作曲家だ」

うーん、若いのにうまいこといいますね。まさにその通り!世の中どうもバッハの厳格さばかり見ていて、だからバッハの音楽は数理的だとか楽譜の音だけを出すようにすることを心がけるべきだとかどうも見当違いの主張があふれています。

ある音楽関係の学会で、昔こんなことを言った方がいました。
「バッハの音楽にはクレシェンドは存在しない。フォルテとピアノしかない。なぜならば、楽譜にそのように書いてあるからだ」
確か、その意見に質問したような気がするのですが、(「それは当時の楽譜の棋譜上の慣例だから云々」ってね(笑))そんなはずはないって一蹴されたように記憶しています。まぁ、生意気そうな若造でしたからねぇ。確かにバッハの楽譜は表情関係の指示は全くないか、極めて簡素ではありますけどね。(笑)

件の学会で発表された某先生をはじめ、バッハはどうも誤解の多い作曲のような気がします。でもシュタットフェルトが言うように、本当に詩情あふれた表情豊かな音楽です。ロマンティックでもあり、宗教的な敬虔さもあり、娯楽性も多分にあります。誤解のそもそもの原因は、トッカータとフーガとメヌエットあたりから来ているかな?この2曲はバッハの作品の中では最も有名な2曲ですよね。

トッカータはナントカという替え歌をやるタレントが「タララー鼻から牛乳~」とかやったり、メヌエットは、昔シュープリムスがラヴァース・コンチェルトとして歌って以来もう一種のスタンダードですよね。でもこの2曲はバッハのものじゃないですよ、多分。メヌエットはもうはっきりしていて、バッハの同時代のペツォールトの作曲、トッカータとフーガはまだ確定していませんが、おそらく偽作でしょう。

バッハを本当に理解するには、生涯のうち一番長くすごしたライプチヒ時代に書かれたカンタータを聴くのが一番いいと思いますね。本当に美しいメロディにあふれた曲ばかりです。こんなエロスさえも包含する美しすぎる曲を教会の儀式に使ってもいいもんだろうかとすら思ってしまいます。じゃ、どれを聴いたらいいかって?そうですね、迷いますが(笑)カンタータ147番「心と口と行いと生き方は」で鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン版(BIS-CD-1031)を一押しとしましょう。曲よし、ソリストよし、オケよし、指揮よし、です。そういやほぼ同じソリスト陣で4月9日名古屋で同オケがマタイ受難曲をやりますよ。