一場所だけ土俵が大きくなりました・・・・・・長野労基のひと口コラムから

2024年11月04日 | 長野労基のひと口コラム
相撲の世界、ただいま新旧交代の時期なんでしょうね。

まもなく始まります。

フルに働いている時は観ることできませんでしたが、今はテレビもナナメに見ています。
郷土力士の御嶽海戦は結果を聞いてからでないと見れません。
心配で観ていられません。

長野労基の11月の「ひと口コラム」は「一場所だけ土俵が大きくなりました」と言う相撲のお話です。

どうでもいいような話題なのですが、最後のオチがなるほどでした。

以下引用抜粋です。
土俵は直径15尺(4.55m)の円を基本に、4か所「徳俵」と言われる俵1つ分外側に引っ張りがあります。
戦後すぐの11月場所のことですが、直径16尺(4.85m)で行われました。
相撲協会は国技とされる相撲の存続がどうなるか、連合国総司令部(GHQ)の意向にピリピリしており、あらかじめ相撲の面白さを分かってもらおうと、本場所2日前にGHQ幹部を招いて相撲を披露しました。

そうしたところ、逆に何度も繰り返す仕切りやあっけなく決まる勝負が不評で「仕切り時間を短く、土俵も広く」と注文を付けられました。

そのため、相撲協会は急遽直径16尺の土俵に広げることに決定。
しかし、力士らはけいこで磨いた(土俵の)感覚が染みついており、直前で16尺変更は受け付けられないと猛反発。

ある平幕力士が「相撲協会の立場も分かるが、力士の主張も最も」と仲介に入り、「一場所取った上で判断」と妥協案を取り付けて、11月場所は16尺の土俵で行われました。

GHQ幹部ら大勢の集客を見込んだものの思ったほど効果なく、力士の不満も相変わらずで、結局16尺の土俵は一場所限り。

当時69連勝の大記録を持つ横綱双葉山も反対力士の一人で、16尺になった11月場所は全休し、そのまま引退。

体力の限界以上に相撲協会との「意見の疎遠」が引退を決意させた副因と言われています。
引用終わり

GHQも双葉山もどの年代の人たちが知っているかしらねえ~。
昭和も遠くなったと言われるようになったわ。

お読みいただきありがとうございました。

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