連休2日目は、レスリングの試合を応援

2024年04月29日 | 家族
朝から家事を大急ぎで片付けて、10時の試合開始からパソコンの前でライブされる試合の応援。

JOCジュニアオリンピックカップ大会のU17に高1が出場、高3はU20だったけどケガで辞退で不戦敗。

高1は高校生になって初めての大会。県外の高校に進んで寮生活。運動部の寮でないから、減量が伴う競技ゆえに自己管理が求められただろうと心配していた私。
身長がぐんぐん伸びてきて身体が大きくなりたい、なりたいといっている時期。
ようやく階級を1ランク上げられた。
たった3キロだけだけど、画面の姿からも身体が大きくなったのが分かる。
1ランク上がるとまた新しいメンツとの戦いなんだわね。

結果はベスト8。
さすが皆さん強い。
U17は高1~高3が範囲、皆さん力が付く時期なんだわね。
きっとこの中からオリンピックの選手が出るに違いない・・・・・と信じて(笑)

激しい試合が続き、ケガやちょっとしたことで中断が多かったのと、チャレンジの数も多かったのが印象的。それだけ試合が激しいと言うことなのだろう。
チャレンジとは、審判の査定がおかしいと思った時に、監督がサイコロ上の物をリンクに投げ入れる。
今はビデオがあるから・・・・・・ライブでもその審査を繰り返し繰り返し見させてくれる。
審判の問題ではなくて、あんまりにも試合にスピードがあり攻守の入れ替わりが激しいから大変なんだろうな。

孫の成長が見れてうれしい。
たった1晩だけど、監督が家に帰ることを勧めてくださったとかで、帰ってきた。
今日の昼には出て行かないと寮の門限に間に合わないけど、顔を出してくれると言う。

これだけ孫たちが大きくなるのだも、年を取るわけだわ・・・・・このセリフ義父が言っていたけど身に染みてわかるわ。
Cちゃんもいったん帰っていく。
午後は義母の面会。
なんとも慌ただしい連休前半である。
読みいただきありがとうございました。

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連休初日の私のバタバタ

2024年04月28日 | 家族
連休で孫娘が帰省。
夜8時に着くのに、夕飯はお家で食べた~いとリクエストが入っていました。
パパは送別会で留守、私は同窓会の会議で、夫が駅にお迎え役。

それで夕食時間を遅くして孫娘と夕飯。
ただいま~と元気な声の後は「お腹すいたあ~」と、着替えもせずに食卓に着いてパクパクと。
これが食べたかったんだよねえ~。
お野菜料理に飢えていたようです。

毎日送られてくる学食と寮の食事の写真。
男の子の寮の食事とは違いこじゃれているけれど、どう見ても野菜が少ないし、メインはお肉が多いし、牛乳は付かないみたい。
価格が安定しているのはお肉だものね。
このところの野菜は高いから余計かな。

どこかで牛乳をとるようにと。

オープンレンジを持ち込めれば、休日の食事も充実するかもと。

あれもこれも食べさせたくて、冷蔵庫がいっぱい。

連休初日はワラビ採りから始まりました。
こごみも毎日採らねばなりません。
蕗の煮物に菜花の煮びたしに、ウドの煮物にキンピラにと。
リクエストのあった、筍の春巻きの具も炒めて。昼食は山菜の天ぷらでお蕎麦です。タラの芽・ウド・こごみとシイタケ。
午前いっぱいキッチンから出られません。

午後は常会の花見の買い出しに、そのあと会場の設営。
いったんもどって春巻きを揚げ、これもリクエストの湯葉のから揚げも。
長芋のバター醤油焼きとホタテもバター醤油で焼いて、ここで花見の時間になっちゃいました。
あとは冷蔵庫の煮物を出して先に食べていてね。

20人ほどの参加。
5年ぶりの花見だそうです。
やっぱりこういう会必要ですね。
楽しく食べて飲んでになりました。
小さなお子さんもいらして、ずいぶん楽しませてもらいましたよ。
読みいただきありがとうございました。

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終活にはいろいろあるのです

2024年04月27日 | 家族
エンディングノートの更新を始めてはや3週間。
すっかり止まったまんま(笑)
忙しいというのか忙しくないというか、エンディングノートはそんなもの。
どこからも催促があるわけでないし。

とは言っても机の上のファイルが邪魔なのね。
なんで止まったかといえば、土地のことを細かく書き残しておいた方が親切だろうと思ったから。
義父が亡くなった後、夫と公図片手に飛び回って確認したことを思い出したから。
こんなとこに土地があったのかと驚いたことは1ケ所や2ケ所ではない。
公図には番地はあっても、土地に番地は書いてないからね。

幼い時でも1度でも行ったことのある土地であれば、夫だって記憶の底にあるだろうが、貸してあった土地などまるで分らない。
高速道が通った時、その補償金を2対8で貰った時に私はその存在を知った。
もちろん8割は借り手のほうに。
その時、もう耕作しないからと残地が返って来たのだ。

昨年、戦前戦後に開墾しただろう畑が荒れて山林になってしまっていたのを、畑から山林に地目変更の手続きを済ませた。山の中の固定資産税など、畑でも山林でも変わらないほどだ。
畑といってもほぼ傾斜地みたいなところ、かってはそこは桃畑だったのだ。
桃源郷と呼ばれるくらい平尾山の山裾は桃が栽培され団地化していたのだ。
高速道路が通る話が具体化になった頃、生産者は高齢になっていて補償金をもらった後は、その山裾の桃畑は里に下りた。

その桃源郷は高速のサービスエリアとパラダに変わり、今は桃の代わりに桜の新名所になりこの時期、桃とは違う桜色に染まる。

この頃の我が国の食料にまつわる法律が動き始めているから、到底作物など作れない傾斜地のような土地でも、地目が畑となっていれば、強制的に耕作しろとくるかもしれない・・・・・という老婆心もあって、現況に合わせたのだ。

あらためて公図と照らし合わせ1筆ごとに、いろんな事情を書き込んでいくと、アラツと思う土地があるのに改めて気付く。
これっどこなの、猫の額にような土地。
夫に聞いてみなければ。
こうしてみると、土地には我が家の歴史があるのがよくわかる。
電力会社の鉄塔に提供した土地。
本当は提供なんかしたくはないが、公共のものはイヤとは言えない。
電波を嫌がる人もいるから、土地としての商品価値は当然下がるしね。
それが、ある時返された。
土地の真ん中に分筆されて残っているのを発見。
そこだけ名義が変わってないのね・・・・・とか。(電力会社から我が家には変わっているけれどもね)
落ち着いてじっくりと眺めなければ、わからなかったこと。

終活と言ってもいろいろあるのね(笑)

先日息子ファミリーが来た時、教えておかねばならないことを少しは伝えることができた。
夫がこんな時間が取れてよかったとポッリと言った。
一緒に暮らしていれば、聞きかじっていることも多いが、そうでなければ細かいことも書き出しておかねばなるまいと改めて思ったのだった。

書類面はできたとしても、実地面での承継はこれからボチボチ。

自分の知らない土地が周囲の人の迷惑になっていることもあるのだから。

やり始めると、なかなか奥が深いエンディングノートである。
読みいただきありがとうございました。

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孫育て卒業祝いの花束   平尾山の山城に登る

2024年04月02日 | 家族

昨日、昼休みにピンポンが鳴り、みえたくださった友人の手には花束。
なんの花束なんだろう。
いやいやお祝いが重なっている我が家、そして友人とのつながりは子同士や孫まで何重もの絆・・・・・・。
「卒業おめでとう!!」
えー、孫のならこの時期は卒業というより入学だし・・・・・と。
「お孫さん育てが一区切りついたお祝いです!!」
もうびっくりの夫と私。
涙が出てきちゃいました。
こんな気遣いいただいて。
ありがとうございます。

ここまでくるまでにはたくさんの皆さんに支え育ててもらいました。
CちゃんとCちゃんパパだけで暮らさせられなかったから。

ブログでも沢山の皆様に応援いただきました。
ありがとうございました。

午後、太陽光の下の防草シートが剥げたのを張り直したり、ところどころ穴が空いてしまったところに重ね貼りしました。
10年は大丈夫という、車のシートと同じといわれる防草シートなのですが、
経年劣化というより、草の生命力の強さなのですね。
ほんの小さな穴から芽を出し、穴を広げてしまうのです。
10年を前に補強、これでしばらくは大丈夫かな?

この太陽光、20年経ったら買い取りも終了し、取り壊ししなければなりません。どこかおかしい国の方針です。

慣れぬ仕事で疲れて早めの夕食は夫と2人。
シャンパンを抜き・・・・・お祝いいただいたものね・・・・・ほどほど酔ったところで、夫が「観光協会の役員会の前に平尾山に登っておきたい」と言います。
たしか役員会って7日です。
そして水・木は雨の予報だと。
えー、それでは明日しかないじやないの。
平尾山にある山城を観光の目玉にしたくて、しばらく前から整備しているのです。
看板も付けてもらったので、様子を見に行っておきたい・・・・・そりゃあ一人でいくよりもねえ。
ハイ、シャンパンに釣られましたよ(笑)

そして今朝9時に出発。
山城まで40分の看板を見て登りました。
2年前登った時は難なく登れたけど、冬眠から覚めた熊状態の私、息切れしましたよ。
なんたって30分で登ったのですから(笑)
この冬、段を昇降して体を鍛えていた夫はさすがだと思いましたね。
下山したらちょうど1時間でした。
トレッキングコースにもなっているのですね。
皆さんお出かけください。
読みいただきありがとうございました。

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心に蓋をして前を向いて生きて行こう

2024年03月31日 | 家族
今日の日がようやく来たというか、やっと来たというか。
Cちゃんが進学のため、Cちゃんパパと早朝出かけて行きました。
空には半月の月がきれいに輝いていました。
その車を見送りながら、よくここまでやってこれたと自分を褒めました。

10年前、急に発病した娘とCちゃんを家に連れ帰って、70日間の闘病の後娘は召されました。
それからの半年、Cちゃんパパが転勤して一緒に暮らせるようになるまでが、みんなが一番辛かった時。
娘の後を追うように義父も亡くなり、私は看護疲れと心労で発病。
病名が分からないまま、奈落の底に引きずこまれるようだった。

幸い病名がわかり、薬でコントロールできて今がある。

あの怒涛のような日のことが、ここ2~3日寝ていても思い出される。

娘の付き添いの夜、病院のラウンジで我が身に替えて娘を助けてと祈った。
その口も乾かないうちに、9歳の孫娘のために、なんとか10年は生かして欲しいと祈った。
病床の娘に、必ず治るからと嘘を付いて励ました日々の辛さ、強い鎮痛剤で目を覚ませなくなった娘に、Cちゃんは私が育てるからと約束。その時娘の両目から涙がこぼれた。
耳だけは最期まで聞こえている。
Cちゃんの「ママ死んじゃあイヤだ―」の声が病棟に響いた。

それらの日々を思うと、自分が壊れそう。
友人が「誰でもひとつや二つ辛いものを持っている。だから考えてはいけない」と。
だから自分の心に蓋をした。
前を見て生きていくしかないから。

Cちゃんとつるし雛が私を救ってくれた。

Cちゃんが家を離れる日が近づくにつれて、その心の蓋が開きそうになる。

Cちゃんが立派に成長してくれたことが何よりもうれしい。

とりあえず私の手元から飛び立っていった。
娘の育て直しをしたみたい。

これからは自分の人生を生きよう。
心に蓋をして前を向いて生きて行こう。
読みいただきありがとうございました。

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巣立ちの時

2024年03月22日 | 家族
ほんと寒~い。菅平は朝5時にマイナス17度だって。そのラジオを聴きながら思わず布団にひがみついた私です。

やっぱりこの時期いろいろあるわ。
県外の高校に行くようになった孫息子用のお布団。
寮の方は、今風なお布団を用意するけれど、月2回寮を出なくてはいけない決まりで、そのためのアパート用のお布団の用意。
どう考えても3組は必要。
そうそう私たちも時たま行きたいものね。

持っていくには圧縮袋が必要だし、それ以前にお日様に当てたいわ。
押し入れから出しながら、我が家の布団の断捨離も進むわと思う。
私のできることは、新しいタオルを洗ったりすること位。

Cちゃんは新生活の用意を楽しんでいるみたい。
女子は違うわね。

夜なべしてチクチクしている花毬、ようやく4つできた。端切れがでると、それで梅も同時進行。こちらも布が減っていくと嬉しい。

高校野球、移動中の車で聴く。テレビを見たらあんまりにも観客がいなくて驚いた。野球離れかしらね。
野球をやっていた息子がいたから、春夏の甲子園に行けて、野球の楽しみも覚えた。
そのうちに・・・・・と思った、連泊して甲子園に毎日行きたいものだと。
そう思ったのもつかの間、ズッと多忙でテレビでの観戦もままならぬ年月が続いた。
そして今となれば、それだけの好奇心というか気力がない(笑)
何をするにも旬があるわ。
そうなのよ、何物もね。
夫が6月に水戸市であるレスリングの全中大会のホテルの予約を済ませてくれた。あちこちのホテルがもう満室だったという。
ここのところ予約をしてはキャンセルが続く、今回こそ生の応援をしたいものだ。
読みいただきありがとうございました。

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100歳のお祝い

2024年03月21日 | 家族
昨夜は、息子ファミリーと食事会。
最近のすべてのお祝い事をここでまとめて(笑)
しばらくの間、減量生活を続けていた彼らと食事を共にすることができなかったから。
2人ともふっくらとなっていました。

それにしても男子3人無口になったわねえ・・・・・まあー、これが成長の証なんだわね。
この次全員が揃うのはいつになるだろう。
これも子供たちが成長していく過程なんだわね。
ばーばはやっぱり寂しい。

この夏100歳を迎える義母。
先日面会に行った時、施設長さんに、お祝いをしたいのでと検討をお願いしてきました。
一度家に帰したいと。
たぶんほんの数時間くらいかな。
許可が出るのもコロナ次第だと思う。
その話を義母にしたら、義母は義母なりにいろいろ考えていて。
お世話になっている皆さんに、何かお礼がしたいのだとのこと。
ハイしっかりしています。
たぶんそれは、敬老の日に市長さんがお祝いに見えてくださる時だわね。

今日、午前中はエッセーの会。
先月は私のコロナで中止だったから2月ぶり。
その2月の間に、皆さんいろんなことがあったのね、とそのエッセーから知ります。
あの話、この話と盛り上がります。
来月分、また頑張って書かねば。
やることや、やらねばならないことがあるのはいいことです(笑)
読みいただきありがとうございました。

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孫のツーショットの写真を見て

2024年03月19日 | 家族
昨日の孫の卒業式の写真が嫁ちゃんから送られてきました。
あらー、彼女とツーショットではありませんか。
なかなか社交性のある孫ですので、ほほえましく眺めました。

夕方我が家に来た嫁ちゃんに、どこのお嬢さんと聞いたら、なんとレスリングのお仲間でした。
ズッと幼稚園の時から一緒で、その時々の節目にツーショツトで撮ってきたらしいのです。
だから今回も父親が必ず撮るようにと厳命(笑)したらしいです。
さすがにここまでくると、恥ずかしさが前に出るらしく、2人とも複雑な顔。

いつも練習着の姿しか見てなかったからわからなかったわ。
Cちゃんと可愛いねって。
でも彼女ではないらしい。

彼女は高校生になっても、レスリング続けていくのか聞いてないけれど、どちらにしても一緒に練習する日は残り少ない。
だから記念に撮っておきたかったのだわね。

Cちゃんは、今日自動車学校の卒業検定で早くに出かけていきました。
終わった後、卒業式もあるのです。
思い出しましたよ、半世紀以上前の私の時もあったは、そこで県歌「信濃の国」を歌ったことを。
今でもそうかなあー。
「信濃の国」長野県人は県外で集うとこの歌をよく歌います。
私は、スペインで長野県出身の方と意気投合して歌ったことありますもの。
連帯感でしょうね。

明日はまた休日。
仕事がはかどりません。
これからお客様訪問に行ってきます。少しずつでも終わりにしていかないとです。
読みいただきありがとうございました。

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卒業式に参列しました

2024年03月02日 | 家族

昨日と打って変わっていい天気、けど冷たい風。
Cちゃんの卒業式。
Cちゃん袴の着付けは朝6時、おにぎり食べて出かけていきました。
きっちり1時間、お髪もお化粧も着付けも終わって帰ってきましたが・・・・・締め付けられてご飯食べれません(笑)

駐車場が取れないと・・・・・なんといっても着慣れてないものをきているのでね・・・・・早々と父親と出かけていきました。
一方、私と夫ゆっくりし過ぎました。
受付も通らず会場に飛び込みました・・・・・でもちょうどいいタイミングで、前方の方に席を確保できました。

最近の卒業式の様子の写真をお願いしますと、100年誌用に依頼されていたから。
ところが座っていては撮れません。
これは無理だわ。

卒業生が最後に入場です。
女生徒はほぼ袴でした。
コロナ前にPТĀ会長さんが、袴は止めにしてほしいという保護者の意見があるのだけど、袴の着付けの予約は2年前位から始まるから、1年生の時に決めないとダメなのだというお話が、来賓の控室でありました。
そんなお話があったかもしれません、その後クラスに5人ほどスーツの女生徒がいましたが、本日はほぼ全員でした。

華やかです。
制服がない高校だからですね。
その昔、制帽無くせ、制服無くせと闘った先輩たちも、結果こうなったかと感無量だと思うわね。

世間では小学校の卒業式でも袴だというお話も聞いています。

いいお式でした。
校長先生の式辞も、あたたかくて心に染みました。
その式辞を心に留めている卒業生がどの位いるかはわかりませんが、ここ10年の間に来賓席でお聞きした入学式・卒業式の式辞はメモってあります。
大人になると、その意がよく理解できるのですね。
せっかくですから、ビデオに収めてきましたよ・・・・・Cちゃん用に。

このコロナ禍を過ごした卒業生の答辞もすばらしかったわ。
辛うじて修学旅行ができたのはうれしかったですね。

やっぱりウルウルしました。

帰り、玄関で同窓会長さんと、校長先生とパッタリ。
夫を見た同窓会長が「あれっ」って。そうでしょうね(笑)
同窓会長さんが、ズッと今回の卒業式のご招待は大丈夫だって言っていたんだもの。
それがドタンバでダメって。
今回だけでよかったのね。
ハイ、保護者席で参加させていただきましたよ、って。
思いがけず校長先生にもご挨拶できて幸いでした。

帰宅して、午後は、中1の孫男子のレスリングの試合をライブで観戦しました。今日は2回戦までですが、ここまで勝ち進めました。

姪のみゆきちゃんから、いろいろお祝い続きですね、というメッセージと共に、大量のワインとお花が届きました。
私はロクなおばさんしていないのに、なんと優しい姪たちでしょう。

今夜はCちゃんパパが、レストランでフルコースをごちそうしてくれます。

息子ファミリーは、レスリングの試合と、来週早々には高校入試があります。
今月は試合がいくつもあり体重調整が続き、食べにおいでなんて言えないのです。
お読みいただきありがとうございました。

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更紗小紋にハサミを入れる  またひとつ断捨離

2024年01月30日 | 家族
今朝の菅平の最低気温が富士山頂より低いと朝のラジオから流れてきました。
イトウミユキさんの今日の天気がゆっくりペースでした。だってどこもほぼ「晴れ」だけだったから。
今日は全国的にいい天気みたい。

嫁入り支度の更紗小紋を着てみました。
大好きな着物ですが、過去に1度着ただけ。
この着物にはハサミは入れられないとズッと思っていました。
しかし、昔は着物を仕上げる時に、男並みとか女並みというアバウトなサイズでした。
だから袖幅が短い。
この次に着る気になれない。
着物のリフームの本を何冊も開いてみるも、気に入ったものがない。
最近スカートをはかないから、なんにしようか。

今朝の天気予報を聞いて、長じゅばんを洗ってみました。
いつも、クリーニングに出すのだけど、この長じゅばん着ることがないだろうと思って。

何でも取っておくわけではないけれど、長年溜め込んでいたのは、購入した洋服についてくる端布とボタンとメーカーとプライス札も。
かれこれ40年分、差し込み式のアルバムに入れて。
私の洋服の歴史そのもの、みれば懐かしい。
でも、そろそろ処分しよう。
それで写真に撮っておくことにしました。Ā3のコピー紙4枚に収まりました。
これで収納ケースの1段が空きました。
それでもパーッと捨てられない、小さな布切れとボタン。
何にかに再生できないかと・・・・・・楽しんでいます。

Cちゃんが、自転車の鍵に付けてる飾りが取れたので付けてほしいとのこと。
3年間よく働いてくれました。たしかこれを付けた時ママの・・・・という言葉が記憶にあったので、元に戻そうとしたのですが、小さなつるし雛のこの飾り限界でした。
それで昨年どんぐりで作ったサクランボを付けました。
「かわいい!!」と・・・・・ママのではなかったようでホッとした私。

2月1日からは登校するのは限られた日だけです。
ここ10年ばかりのことを思うと、肩の荷が下りつつありますが、それと共に寂しい気もします。
お読みいただきありがとうございました。

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