「かわら撫子」・・・この秋であえましたか。

2007年10月20日 | 日々のこと
お客様のお庭に「かわら撫子」の花が見事に咲いていた。近くの土手から移植したのだという。日も新しい町の分譲地だ。時々訪問する時に土手に一本二本とそそとしたピンクの色合いを見せていたので、私も気になっていたのだった。

 かっては田んぼの土手にありふれた花だったが、構造改善事業による田んぼの区画整理と共に姿を消した花のひとつである。

 小さい頃、野山を駆け巡って大きくなった私は、「野おだまき」はあそこでとか、「桜草」の群生地はここ、「しもつけそう」は・・・「われもこう」は・・・・。というふうに季節季節に楽しんできた。

 ある日そこが、コンクリートの水路ができていたりと心の故郷は少しづつ消えていった。でも一番は草原が無くなった事によるだろう。「ふでりんどう」も「ねじりばな」も「すずらん」もつい最近まであつたはずなのに、森の再生がうまくいかなくなったり、里山の消滅により、野の花は消えていってしまうのだろう。
 自然と人間の共存が野の花や昆虫や小動物を育ててきたということなのだろう。
自然に帰ろう。・・・・そんな気持ちにもなる。

 土手の中で明日には絶えてしまいそうな「かわら撫子」が庭先で大きな株になっていたのは、目くじらたてて自然破壊というか保護というかは、人様々な考えがあろうと思うが、今積極的に増やしてそして自然に戻す位の気持ちがないと秋の七草はまぼろしになってしまうかもしれない。

 会社の事務所の石垣の下に、何十年も「かわら撫子」が咲いていた。7月から霜のおりる11月頃までピンク色にそそと咲いていた。それが2年前に消えた。見事に。わたしの「撫子」位に思っていただけに残念だが、何方かの庭先で大きな株になっていることを祈るばかりだ。
                                美恵子
 
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「自然なる手入れ」のすすめ ・・・・受け売り版

2007年10月20日 | 日々のこと
南木 佳士さんは作家であるが、佐久総合病院のお医者さんである。「阿弥陀堂だより」で゛著書が映画化もされたからご存知の方も多いだろう。

 先生のご子息と息子がクラスメートだったこともあり親しみを持つてその作品を読ませていただいている。

 この頃信濃毎日新聞のくらし欄に「生きのびるからだ」「浅間山麓だより」としてエッセーを毎週書いておられる。

 彼の作品は、ご自身の病気について書かれたものが多いので、まったく患者さんみたいなお医者さんである。
 今年の人間ドックの担当になるかなーと楽しみにしていたら外れた。まーいいか、なんとなく恥ずかしいものね。もっともこちらが一方的に存じ上げているだけだけど。

 そのエッセーの中に「歯磨きと肺炎」があった。歯と歯茎の間には細菌が繁殖しやすい。ここが汚いままだと、眠っている間に口の中の唾液などに混じって細菌が気管に流れ込む。ものを飲み込む時気管に蓋をする機能は年と共に衰えるから、高齢者ほど口内の細菌が気管に入りやすくなり、それが肺炎をおこす。

 ならば、歯と歯茎の間を丁寧にみがいて口内を清潔に保っておけば、肺炎はけっこう予防ができる。自然なる体の手入れなのだそうだ。
 外来で高齢者に正しい歯磨きの仕方を伝えるようになったら、明らかに肺炎になる人が減ったとのこと。

 この前段は正しい歯磨きの仕方を50歳過ぎて、歯磨きのケースの裏を読んで知った驚きから始まっている。
それは「歯と歯茎の間に45度にブラシをあて、細かく丁寧に磨く」ことなのだそうだ。
 
 日本の医療費のために実践しょうではないか。
                             美恵子
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