従姉妹の1年忌の席だった。65歳という若さで突然倒れてそのままの死であったから、私たちも驚いたが、家族の驚きと悲しみは最大級であっただろう。
一女二男の子供達は、結婚こそしていたが、商売のこと家庭のことも父親よりも母親が回していただろうから、大変な1年であったと思う。
その娘が私たち従姉妹に挨拶にきた。そしてバックから持ち出したのは、我が母の葬儀の灰寄の席に座っていただいた皆さんに差し上げた「雑巾」と私の書いた「雑巾と大正の女」という文章であった。この文章は2009年8月18日のブログに加筆したものである。
この雑巾と文章机の中に入れて時々読んでいます。の言葉に彼女の母を亡くしての1年がどんなに寂しく大変であっただろうことが察しられた。
母につながる物がどんなものであれ、欲しいのであろう。
何か困ったことがあったら言ってね、が精一杯の言葉でしかなかったが、まだまだ母親に頼りたい時がいっぱいあるだろうに。
北アルプスの山頂で最高の笑顔で写っている遺影に、家族を見守ってねと手を合あわせたのでした。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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一女二男の子供達は、結婚こそしていたが、商売のこと家庭のことも父親よりも母親が回していただろうから、大変な1年であったと思う。
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この雑巾と文章机の中に入れて時々読んでいます。の言葉に彼女の母を亡くしての1年がどんなに寂しく大変であっただろうことが察しられた。
母につながる物がどんなものであれ、欲しいのであろう。
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北アルプスの山頂で最高の笑顔で写っている遺影に、家族を見守ってねと手を合あわせたのでした。
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