「校歌と農業人生」の一文を読んで。

2013年01月30日 | 日々のこと
お客様をお送りして事務所を出たら、お隣のりんご園に人が見えます。根雪のなか剪定作業をしておられたのはお父様とご子息です。

 こんにちはと、道端からお声をおかけいたしました。

 26日の信濃毎日新聞の文化欄の生活雑記にお父様が一文を載せられていたからでした。

 「読みましたよ」と言うと「反響がいっぱいありました」とおっしゃられました。
「校歌と農業人生」という題である。母校の校歌に寄せる思い、それと校歌に寄せて母校で学んだ精神を生かしたご自身の農業にかけた人生が書かれていました。

 国文学者の高野辰之先生作詞の校歌は風光明媚を織り込んだものではなく、農業の生き方や心構えを散りばめてあるという。

 50年以上3代にわたってお隣同士のおつきあいをさせていただいている。だから身内のようにお隣のりんご園の様子が気になるのである。

 遅霜の時期も雹の降りそうな時も、台風の時期になればなお更のように、私たちは隣のりんご園をのぞきこむ。

 台風一過の朝、みんなの出勤の第一声は「そんな落ちていないようでよかったわね」とか「いっぱい落ちたみたいだけど」である。

 果樹は年1回しか収穫できないから、自然災害との闘いである。その姿を傍目ながらずっと見てきた。

 実際は傍目で見ているよりも、自然相手ともいえる農業の現実は厳しいことも承知している。

 若き後継者もいて栽培面積も増えておられるようである。果樹園の場所が少しでも違えば降雹で全滅というリスクは避けられるかもなんてこれも傍目に思ったこともある。

 その母校が高校再編で消える。母校に5年間通った皆さんの母校に寄せる思いは、入ったらたちまち3年経ってしまったという私たち世代とは確実に違う。

 同窓会は支部で残るだろうが、校歌は消えてしまう。その切なさを話された。
石碑で残すというお話もあるらしいが、歌ってくれなければ・・・・と。
 自分の農業人生の心のよりどころでもあったと思われる校歌が消えていく無念さ。

 私が母校の同窓会は残るから、そこまでの気持ちにこの一文を読むまで心至らなかったのである。

 高校再編はこれからの人だけでなく、こんな先輩たちにも影響しているのだとあらためて、学び舎の力を感じたのだった。

 我が母校だって世代によって校歌は違う。先日新年祝賀会で旧制中学の校歌を歌える人は参加者の中に3人しかいなくなった・・・・と言いつつ歌ってくれた。
 
 私は野球の応援があったから、校歌も応援歌も覚えたけれど、野球の応援も少ない後輩たちは卒業までに覚えるだろうかと思った。

                               依田美恵子

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