大正から昭和になった時、元号は昭和ではなかった?

2014年10月28日 | 長野労基のひと口コラム
昭和は遠くなりにけり・・・・そう思いますね。

 我が家は大正・昭和・平成の混在家族。まあ父は1925年、私たちは1950年と換算して物を考える癖がついています。

 毎朝ラジオで今日は何の日を聞きながら、自分のその時の年齢に直して、まさしく歴史を復習しています。

 あーあ、と思うこともしばしば・・・・・なんと古い話までわかってしまうんだなー。

 遅まきながら9月号の長野労基の「ひと口コラム」き『「大正」から「昭和」になった時、元号は「昭和」ではなかったようです?』

 それにしても平成も26年になりました。この平成になれるまで皆さんはどの位を要しましたか・・・・私は結構かかりましたよ。

 それではいか要約です。

 大正15年12月25日午前1時25分に大正天皇が崩御され、その日の午前4時の東京日日新聞(現在の毎日新聞)の号外で、「元号制定『光文』と決定」との見出しが報道されました。

 しかし、宮内省がその日午前11時に発表した元号は「昭和」であったため、東京日日新聞が政府の発表前に報道した「光文」から急きょ第2候補だった「昭和」に変えたとの話題が広がりました。

 元号作成の中心は宮内省でしたが、内閣でも案を作成しており、「光文」は宮内省案に存在せず、内閣案にあったようです。

 宮内省と内閣が調整した結果、「昭和」を最終候補としたようで、どうも「光文」という元号は選ばれるはずがなかった内閣案のひとつが選定作業中に漏れ、スクープの形で報道されたようです。

 昭和天皇崩御の際は、毎日新聞が政府の正式発表30分以上前に元号「平成」を入手し、勇敢3版で報道しています。

 他の新聞社は正式発表後の最終4版で報道しています。

 以上終わり。

 スクープですか・・・・新聞離れが叫ばれる時代ですね。

 私はやっぱり紙の文化が好きです・・・・・タンスの底にしいてある古い新聞などお目にかかった日にはついつい読みふけってしまいます。

 そこに載る20年前・30年前の広告なと見る度に、世の中の流れを感じてしまうのです。

  ここ何年か創業100年以上の企業の数が発表されます。企業30年説と昔から言われていますが、世の中のスピードがあがっていますから、今はもっと短いかもしれません。

 倒産企業の名前など見ていると、カタカナ名が多いのもその表れかなあーと、ひとり思っています。

 名前は変わらずとも、中身は時代に即していかねばならない・・・・ですね。

 大企業が不採算部門を切り離しているのを見ると、地球がグローバル化しているのを否応なく思い知るのです。

 資源のない日本で、これから先飢えないでいけるだろうかなんて先まで考えてしまうバーバなのでありました。

 
                                      依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家                          


【 中島木材のホームページは こちら


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