お手玉づくり

2014年11月05日 | 家族
夫の妹がお手玉を持参してきてくれた。母が30年前に作ってくれたと、作った当人の記憶はないが、布は自分の着物だという。

 それとバザーと購入したという、ウール地の大ぶりな物。

 手にした瞬間「おひとつ石落して♪~♪・お二つ石落して♪~♪・お三つ石落して」とお手玉の遊び歌が出てきて、手も反応した。

 半世紀以上前の記憶がよみがえった。ところでなんで「石」なんだろう?

 2つを交互に挙げてとったりも。

 遊びには流行があるから、私の年代ではそれほど熱中した記憶はないが、2歳上の隣のお姉さんと遊んだ記憶がある。

 母が縫ってくれたお手玉の赤い柄までが蘇ってきた。

 けい子さんは器用に3つを挙げた。

 孫たちが即反応した。

 すなわちお手玉を作らねばならないということだ。

 お手玉にするなら、あの縮緬の羽織と思い立ち、先日処分を保留しておいた、仕付けもとってない羽織をほどき始めた。

 母と染物屋に出かけて、白生地を染めた日のことがこれも鮮やかによみがえる。

 着物は縫ったが、とうてい羽織まで到達しなかった私は、どこがどうなっているのか理解できないままに解きほどいていく。

 これを仕立ててくれたのは、母なのか伯母なのか覚えがないが、丁寧な針目に、自分が自給自足の世界からほど遠いところにいることを感じる。

 祖母は12~13歳で母を亡くし、その母が縫いかけたままの妹の筒袖の着物を仕立てるべく、縫いかけの片方の袖をほどいてみた、という話

 も一緒に思い出したのだった。

 明治20年前後に生まれた祖母は、そこまでの生活能力を持っていたということなのだ。

 織ったり、縫ったりすることもせずに、山ほどの衣類を持てる私・・・・・これこそ地球温暖化の原因かもね(笑)

 妹に布の縦と横の裁断に気を付けてと言われていたのに、どっちが横なのかしらと悩む私。

 まあひとつ縫ってみて様子をみよう。なんたって布地は有り余るほどあるのだから。中はもちろん小豆で。

 
 連休の2日目は窓拭き65枚やっつけた。3日目は20枚それでもまだ終わらない。

 家にいると仕事が見えすぎて休まらない。

 ちーちゃんと約束していた、紅葉を見に行くことにした。

 軽井沢の紅葉は1週間前だったら最高だったかもしれないが、それでも十分美しい。

 ちーちゃんは今学校の中庭のそうじ当番で、毎日桜の落葉で掃除が大変なのだという。

 桜の葉の美しさより、そちらに頭がいっている様子で笑ってしまった。

依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家                          


【 中島木材のホームページは こちら


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コメント (2)
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