江戸時代、佐久の山の木は何がメイン。

2014年11月20日 | 信州の木材
昼休み「教えて欲しいのですが」とパソコンで打ち出した写真をもって訪ねてこられた方があった。

 古い土蔵の木材の材種を知りたいのだという。

 どこの地域にいつ頃建てられたものなのですか?とおお聞きした。

 この地元で江戸時代だという。

 「うーん」とうなった私。

 梁は間違いなく赤松だろうが、板材がわからない。

 まさしく地産地消の時代である。江戸時代って何年前って指折数えてみてしまう、少なくとも180年以上前の建築であろう。

 その当時の山と現在の山は全然違う。現在の山は戦後植林された山であるから。江戸時代の人の見ていた景色は今の景色ではない。

 はてそれまでこの辺りの山の木は何がメインだったのだろうか。というより建築材に何を使っていたのか。

 私の子供の頃、まだ植林が始まった頃の山は雑木が多かった。そして沢筋には杉がわずかにあった。

 それは戦争で荒れた山だったのかもしれないが、薪や炭が煮炊きや暖房に使われていたから、それはそれなりなのかもしれない。

 その頃唐松がどの程度あったのだろうか?

 それが一番素朴な疑問。

 天然唐松・・・テンカラってこの地でもとても貴重だったけど、今それが存在するかはわからない。少なくとも10年は聞いていないもの。

 写真を見ただけでは、私の目では判断はできなかった。

 ペーパー上のことなら、かなりわかるけど(笑) 実務には弱いのよね。

 うっすら埃もかかっているし・・・・なんて目を凝らしながら、勘でお答えもできないから、ギブアップ。実務に携わっている方にお伺いしたほうがとお話をした。

 社長でもいれば私よりずっとわかるんだろうけど。

 古い土蔵の調査を依頼されたのだという。

 おかげで私は200年前の佐久の山に心をはせることができた。

 どんな山だったのだろう。

 私が嫁いだ時、母屋は120年たっていると聞いた、そうすればそれはやっぱり江戸時代の建物である。あの黒光りしていた柱はなんだったのだろうか。

 こわして30数年。

 帰ったら父に聞いてみよう。

                                               依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家                          


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