戦い・終わって。

2007年04月10日 | 日々のこと
 選挙が終わった。静かになった。
投票所は公民館である。外はもう春うららだつたので、散歩がてら歩いて行ったから、投票所のストーブの「どやんどやん」(これ信州語かな)にびっくりして、気持ち悪くないのと立会いをしていた気安い友人に言ってしまった。「それが寒いのよ、足元から寒さが這い登ってくるのよ」とのこと。ああなんと気遣いの無いことを言ってしまったと後悔した。

 もう建替をしたほうが良いような公民館で入口が開け放し状態だから、どんなに焚いたストーブの熱も上へ上へと逃げていっているのだ。朝の7時から夜8時までの長時間座り詰めの大変な仕事である。
せめて電気カーペツトを敷いてあげたらいいのに、いやいやカネカの断熱材を床に敷き詰めただけでもいいんじやないかしらと寒そうに肩をすくめた友人のために考えてしまった。

 立会いはなかなか大変なしごとである。有権者数が少ないから退屈さとの戦いであるらしい。

 学生時代東京ではじめて投票に行ったのが、なんの選挙だったか良く覚えていないのに、立会いの年配の女性が「よく来たあね」という雰囲気でうなずいてくれた。その姿だけは、選挙の度に思い出す。あれ以来1度として棄権しないのは、あのご婦人の「よく来たあね」の言葉ではない言葉のメッセージのせいかもしれない。

 選挙に絡んで言えば、私は候補者に握手を求められるのが苦手なのだ。お願いだからと思っているのに、先日もショツピングセンターからのこのこ出てきたら、目の前に白い手袋が差し出されてしまった。断るのも大人げないので、貴婦人のごとくの握手をしてしまう。候補者にしてみれば、握手して、手応えをみているのだと思う。投票してくれるか、くれないかを。でもねえ私はそういう問題以前なのよね、良く知らない人の手を握るのっていやじない、あちらは手袋だけどいろんな人と握手した手袋でしょう。そうなのよね。そう思いませんか。
                          美恵子
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久しぶりの休日

2007年04月09日 | 日々のこと
 遠い山程青い・・・車でテレビの音を聴いていたらそんな言葉が耳にとまった。
運転しながら、山々を見渡せばなるほどその通りである。レオナルド・ダビンチの空気の遠近法だそうである。知らなかったというか気が付かなかったと言うか。
新しい発見をしたみたいでうれしくなった。

 土曜日は出勤だったので、お嫁さんが夕食の用意をしてくれた。明日は私が腕を振るうからねと夕食に誘った。
この時期じゃがいもが芽をだすようになるので、休日はコロッケにするのが常である。「お宝拝見」を横目で眺めつつコマーシャルの間に料理をする。
 自慢のコロッケに初物のわけぎとホタルイカのぬた・溶けるチーズを使った茶碗蒸しは最近友人のお店でいただいたものの真似である。春野菜のサラダ・きのこソースのハンバーグ・たらこスパゲッティにetc・・・。なんのことはない冷蔵庫の整理である。
 
 久しぶりの休日、本屋さんにも寄れたし、イベント時にポップコーンを皆さんに差し上げるのにそのレシピをマーケットでゲットすることもできた。
このポップコーン父が作ってくれたもので、300本もある。当日実演して食べていただいた位では終わりそうも無いので、レシピ付きのおみやげにしたいと思ったのだ。
 いよいよ感謝祭の準備が始まった。うっかりと予告に日を入れなかったらいつですかのお問い合わせをいただいた。すみません5月12日なんです。
お待ちしています。
                           美恵子
 
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1冊の本から思い出したこと。

2007年04月07日 | 読書
 春日さんの山登りの本を読んでいたら、突然に昔のことが思い出された。
小学校2年の春の遠足で神津牧場に行った。1年生から3年生までの小さな村の50人ばかりの分校であった。山を越えればお隣は群馬という山奥、本校まて゜子供の足で行きは1時間、帰りは1時間半。
 そんな訳で3年生までは分校である。

 その遠足の帰り山を下ってきて点呼をしたら1人足りなかったのである。
誰だったのだろうと考えたら、3年生の顔が浮かんできた。昔の子供は山歩きなんて当たり前だからそんなにビックリはしなかったけれど、引率の先生は青くなっただろうな。大騒ぎにはなったけど無事落着した。

 今まで思い出したこともないことが突然思い出された、あの日の遠足がなぜこんなに鮮明に思い出されるのかと考えたら、学校新聞に遠足の作文を書いたからである。神津牧場のジャージー牛のこと。野ばらの木にいっぱいいた毛虫の塊り。
休憩時間になつたとたん、魚肉ソーセージ(当時とても高価だったもの)1本をまるかじりして先生に叱られた弥寿雄ちゃんは今は農協の支所長さんだ。でも一人居なくなったことは書かなかったな。どうしてだろうか、子供にとってはそんなに問題ではなかったということなんだろうな。

 バス通学ができるようになって分校はなくなり、そして校舎も壊され記念樹の桜の木も伐られてもうない。校庭は今はケートボール場になり、私たちの親世代がそこで新たな思い出づくりをしている。

 1冊の本から思い出したこと。
                         美恵子
 
  
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座右の銘は「謙虚に生きる」

2007年04月04日 | 読書
 春日明さんはわが社で家を建てさせていただいた方である。新幹線通勤をなされていたと思ったのに、いつの間にやら早期退職をしてすっかり軽井沢の住人になられてしまった。その春日さんに著書をいただいたのは3年程前であった。

「ぶらり九州山めぐり」は春日さんが、博多に単身赴任中の2年間に登った九州の山々の登山エッセーである。
 最近山登りは山梨の櫛形山と地元の平尾山に登った位で縁のない毎日だが、登山ってこんなに醍醐味があるのかととても楽しく読ませていただいた。

 このエッセーを読ませていただいて一番の感動は、全編に漂う「謙虚さ」なのである。山・自然に対する人間の謙虚さでもあるかもしれないが、著者のお人柄なのではないかと感じ入ってしまった。

 私も時として激することがある。10年に一度位か。あふれる怒りを抑えきれなくて自己嫌悪におちいる。
私に足りないのはこの「謙虚さ」に違いないと読後しっかり思った。

それ以来「謙虚」に生きようを座右の銘にした。慢心が心に芽生えそうな時心の中で「謙虚に・謙虚に」と唱えることにしている。

 2年前に本好きな姪にこの「謙虚」な本を贈呈してしまった。

 どうしてももう一度読みたくて、先日春日さんにお会いした折おねだりをし、3冊もいただいた。眠る前の一時私は九州の山を一山一山登っている。

 最近の登山は中高年が多い。実際山で行き会ってみて納得してしまう。
私もそろそろ山デビューかもしれない。

 お読みになりたい方はご連絡ください。
                        美恵子

 
 
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農地が商品に。

2007年04月03日 | 住まいづくり
 相変わらすアパートの新築が多い。農地を持て余している身にとては、手残り幾らですというお誘いは魅力だろうと思う。

 休日家にいると、アパート経営の営業をうけることがある。だまって農家のおばちゃんのような顔をしいて聞いている。ところで・・・・とついつい日頃気になってることを聞くと・・・・それは専門のものが・・・。といって逃げる。

 
 農地が商品としてどんどん出てくる時代になった。
国は高齢者の農業離れ対策で新補助制度なるものを打ち出した。食の安定なくして国が存在するかである。

 不動産コンサルティングの勉強を続けていた中で課題に土地に建物を建てて賃貸収入を得るための企画提案があった。
その土地の立地や法令やさまざまな設定の中で、私は幾十通りもの試算をしてみた。容積率いっぱいに建てるか。ファミリーよりワンルームか。1階はテナントか。賃料が更新毎に高くなるという状況ではなくなってきたので、最終行き着くところは建物の建築費を下げるしか方法がないことに思い当たった。

 今、アパートを建てているいる人はどこまで承知しているのだろうかと気になる。私のところに来た営業はマニアル以外には疎かった。
その会社は家賃保証しますといっても、会社が保証しているのではなく、アパートのオーナーがお互い共済金を出して補填する仕組である。賃料の5パーセントも共済金を払ってまで収益があるのであろうか。

 見かけだけはきれいに見えるが、住む人にやさしくとは建てられていない。
冬場は結露だらけで窓際のフローリングは黒ずみ、サッシ廻りのゴムはカビだらけである。だれも持ち家ほどに家を大切にしない。
相変わらず化石燃料だのみのすまいである。10年もしたらその資産価値の減少は想像できるようだ。

 外壁の塗り替えや水廻りの更新がそのシュミレーションにどの程度入っているのだろうか。 我が家へ来た営業は100万円位あれば・・・とあっさり言いのけた。

 持て余した農地に誘惑の手が伸びる、供給過剰である。
相続税対策という明確な目的を持つて建てても、へたをすると借金地獄がまっている可能性も考慮にいれてほしい。

 一番儲かるのは、持ちきれなくなった人のアパート安く買ってオーナーになることらしい。最近この手のFAXが流されてくるが、知る人ぞ知る話である。
「禿げ鷹ファンド」と同じことかな。
                             美恵子
 

 
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明るい声で。!!

2007年04月01日 | 住まいづくり
3年に1度の同窓会でのことである。丸テーブルを囲んでの懇親会で席順で自己紹介が進んでいた時である。「皆さん こんにちは」と明るく華やかな声に会場の全員が顔を上げその方のほうを注目したのである。

 現役のアナウンサーでした。さすがに話術に秀でていました、どなたも顔も名前も覚えてお帰りになりました。

 その日彼女に「話し方のこつ」をうかがいました。私も人様の前でお話する時は明るい声でお話するよう心がけています。そうですよね。ぼそぼそとしたイントネーションのない寂しそうなお話ぶりではどなたも気に留めてくださいませんものね。

 平成4年にソーラーサーキットの営業の研修会に初めて参加しました。
NHKの榊寿之アナウンサーが話し方をカネカの堀内さんが技術をと、私がそれ以前にもそれ以後に幾多の講習会や研修会を受けたけれど、これほどユニークな研修会をうけたことがありません。

 20人でまず自己紹介から始まりました。自分で話そうことを考えている間がないのです。次から次へと今自己紹介をした方の感想を求められるのですから。
ですから、だんだん皆さんの自己紹介がよくなっていくのですね。
自己紹介と研修の発表は2日目の最終に一人ひとりビデオにとって、客観的に見ることができました。

 技術面については、日頃自分が疑問に思っていることを書き出すところから始まりました。教えてくれるんだとばかり思っていましたら、そっくり返されました。
その疑問がお客様からの質問だと思いそれにお答えできるように勉強するという仕組みでした。
 20人の疑問を2日間勉強させていただきました。発表すると質問がでて、さらに話し方が直され、どんどん指名されてで感想を求められるパターンでした。

 おかげさまで、ソーラーザキットの知識がバッチリと身につきました。
やはり、榊アナウンサーも明るい声でと、そして自己紹介にしても発表にしても、最初に結論を言ってそれから中身をお話するほうがインパクトがあるというようなことをおっしゃられました。
 もうあれから15年の月日がたつのですね。昨夜のラジオ深夜便は榊寿之アナウンサーの日でした。お声をきいて懐かしく想いだしてしまいました。
                            美恵子

 
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