昔、方言は東京で差別されていた。
東京の予備校に私が通っていたころ、九州から来た学生だと思うが、「それはこうではなかとですか」と発言した。そうしたら、教室内は爆笑となった。
なぜ爆笑が起きたのか、九州の学生は分からなかったに違いない。(東京の予備校だから当然、東京人が多い)。まことに気の毒な爆笑だった。
その後、「方言を差別してはいけない」と叫ばれるようになり、最近では「方言は地方色豊かで美しい」と言われるようになった。このような方言を「空間的(地理的)方言」と呼んでおきたい。
ところで、若者の言葉が乱れていると言われて久しい。たとえば「ヤバイ」は「すばらしい」という意味なのだそうだ。言葉をこのように使われると、意味が分からなくなる。「オレ的には」や「チョー面白い」は、まだ分かる。
いずれにせよ、年配者には若者の言葉に眉をひそめる人が多い。だが、ちょっと待ってほしい。これらは「方言」なのではないか?そう、「空間的方言」ではなく、「時間的方言」とでも言おうか。
「空間的方言」の差別がなくなって、今度は「時間的方言」の差別が始まったとは考えられないだろうか。
「空間的方言」ならよくて、「時間的方言」はよくないと言うのなら、その理由を教えてほしい。
東京の予備校に私が通っていたころ、九州から来た学生だと思うが、「それはこうではなかとですか」と発言した。そうしたら、教室内は爆笑となった。
なぜ爆笑が起きたのか、九州の学生は分からなかったに違いない。(東京の予備校だから当然、東京人が多い)。まことに気の毒な爆笑だった。
その後、「方言を差別してはいけない」と叫ばれるようになり、最近では「方言は地方色豊かで美しい」と言われるようになった。このような方言を「空間的(地理的)方言」と呼んでおきたい。
ところで、若者の言葉が乱れていると言われて久しい。たとえば「ヤバイ」は「すばらしい」という意味なのだそうだ。言葉をこのように使われると、意味が分からなくなる。「オレ的には」や「チョー面白い」は、まだ分かる。
いずれにせよ、年配者には若者の言葉に眉をひそめる人が多い。だが、ちょっと待ってほしい。これらは「方言」なのではないか?そう、「空間的方言」ではなく、「時間的方言」とでも言おうか。
「空間的方言」の差別がなくなって、今度は「時間的方言」の差別が始まったとは考えられないだろうか。
「空間的方言」ならよくて、「時間的方言」はよくないと言うのなら、その理由を教えてほしい。