子供のころ私は職人の妙技を見るのが好きだった。
大工さんのカンナかけを飽かずに見ていた。紙のように薄いカンナ屑で辺りが覆われていくのを、感動のまなざしで見ていた。
ペンキ屋さんが下書きもなしに看板に字を書いていくのに驚嘆した。下地を塗る職人と字を書く職人は別であるとは、父が教えてくれた。
食べ物の実演販売を見るのも楽しみだった。渋谷の文明堂の店先では、どら焼きを鉄板(銅板?)で焼いて見せていた。型に入れるわけではないのに、どら焼きの皮は見事にみな同じ大きさに、しかも正円形に鉄板上で広がった。
焦げもせず、ナマでもなく、丁度良い茶色になったところで皮はひっくり返された。私が延々と見ているので、同行していた母がシビレをきらせ、「もう行こうよ」と私の手をひっぱった。
蕎麦打ちの実演も面白かった。これは今でも見かける。大きな包丁でとんとんと蕎麦を細く均等に切っていく。それがすごい速さなのである。大人ってすごいなあと思った。そして自分もああいう技を身につけたいと思った。
今、私がもっている技は診断と治療であって、子供が見て分かりやすいものではない。少なからず残念な気持ちである。
私はよく寿司屋に行く。テーブルではなく、必ずカウンターにすわる。職人の刺身を切る技、握る技を目前で楽しみたいからである。
大工さんのカンナかけを飽かずに見ていた。紙のように薄いカンナ屑で辺りが覆われていくのを、感動のまなざしで見ていた。
ペンキ屋さんが下書きもなしに看板に字を書いていくのに驚嘆した。下地を塗る職人と字を書く職人は別であるとは、父が教えてくれた。
食べ物の実演販売を見るのも楽しみだった。渋谷の文明堂の店先では、どら焼きを鉄板(銅板?)で焼いて見せていた。型に入れるわけではないのに、どら焼きの皮は見事にみな同じ大きさに、しかも正円形に鉄板上で広がった。
焦げもせず、ナマでもなく、丁度良い茶色になったところで皮はひっくり返された。私が延々と見ているので、同行していた母がシビレをきらせ、「もう行こうよ」と私の手をひっぱった。
蕎麦打ちの実演も面白かった。これは今でも見かける。大きな包丁でとんとんと蕎麦を細く均等に切っていく。それがすごい速さなのである。大人ってすごいなあと思った。そして自分もああいう技を身につけたいと思った。
今、私がもっている技は診断と治療であって、子供が見て分かりやすいものではない。少なからず残念な気持ちである。
私はよく寿司屋に行く。テーブルではなく、必ずカウンターにすわる。職人の刺身を切る技、握る技を目前で楽しみたいからである。